宇宙麻雀理論

最先端を行く、時代を先取り

麻雀と信念

2017-04-17 20:07:51 | 戦略

誰でも、人間は常日頃、何かしらのことを選択し、信じながら生活を送っているものだ。誰でもというと、嘘のことのように思えるが。

例えば、よくある、神を信じるか信じないか?ということである。

有神論者であれば、神を信じていると思えるが、、、

逆に、ややこしいのが、無神論者でも実は同じことが言えるということだ。
私はねぇ、神を信じないですから何も信じないですよ~みたいな。ことを聞くが。矛盾があることに気付くだろうか?

それは彼女が神を信じないと言うこと信じているということである。また、何も信じないということを信じているということだ。

また、中立もそうだ。
神を信じるのか信じないのか?分からないということだ。
この場合は、どちらでもないことを信じているのである。

そもそも神も霊もいないなら寺も神社も墓も葬式もいらない。無神論者にそれらを全て破壊する勇気はあるのだろうか?

話が逸れそうなるので戻すと、麻雀でもそれはよく起こるということである。

気分、怠惰という感情だけで打つと場はハチャメチャになりがちだ。
気分なら、その時の気分を信じ選択し続けた結果、怠惰なら、いい加減でも良いということを信じ選択し続けた結果、
それが麻雀に反映される。

最も、確率、合理的であるという罠もある。
一見このような物は厄介で、中立的、客観的という意味合いを持ち何もイデオロギーを感じさせないが。
実は上述したように合理的であるということを信じているから、そうなるということでもある。
事実、合理主義という言葉も生まれてこなかっただろう。
それは1種のイデオロギーなのであり、イデオロギーのない人間などいないように思える。
それに抽象度が高く、捉え方も人によって違うものである。その点、思考は現実化するというのは真実であろう。

その時打ってる人間(自分も含めて)が何を信じ、どう解釈しながら麻雀をやってるかを考えながらやってみると良いのかも知れない。
また、信念というのは敵に回せば恐ろしいものであり、味方につければこんな頼もしいものもない。

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