音の四季~風の彩

作曲家、しの笛・龍笛奏者、ジャズピアニスト、城山如水の徒然日記。
オカリナ、フルートの事も・・・・

哲学教える幼稚園

2011年07月04日 | 日常雑感
今朝のテレビで、ドイツ、オーストリア・・・など西欧諸国の学校では7歳から哲学の授業があるのを知った。

フランスでは幼稚園から哲学を教え始めたそうだ。
さすが、デカルトを生んだ国だなあ、と感心した。

幼稚園児達は「貧乏な人はなぜ貧乏なの」と自ら質問を発して、議論している。

「親とは」「自由」とは、と語り合っている。

この姿こそ世界を変えるものだと思った。

戦争、貧困、格差、人権・・・こういった世界的な問題の解決法がいろいろ模索されてきた。

さまざまな国際機関や機構などが国際条約、国際法を定めて解決に動いている。

しかし、いっこうに小規模な戦争や紛争、貧困、経済格差、人権問題・・・などは無くならない。

これらを解決する唯一の力は「教育」である。

なかんずく哲学であるといえる。

自分の周りの総てを「疑い」自ら「問いを発し」自ら「考える」・・・

自分を取り巻く世界に「たじろがぬ眼」を持って対峙していく。これが哲学なのだ。

世界の劣悪状況がいっこうに変わらないのは、国際機関や国際法や国家や法や制度があっても、一人ひとりの人間に哲学がない、あるいは哲学する姿勢がないからだ。
大多数の民衆が哲学を持たないからだといえる。

これは一に「教育」の問題といえる。

「哲学」は難解な無用の長物ではない。むしろ子供の時から「持つべき」自主思考、主体的思考のための学問なのだ。

子供に哲学教育が不要ということは、全くの間違いであるといえる。

なぜなら、生きることは「哲学すること」そのものであるからだ。

「思考の方法」を教えるのが「哲学」の役割の一つであるといえる。

自主的に「世界にかかわる方法」を教えるのが哲学の役割であるといえる。

したがって、すべての学問の土台にあるもの、基礎となるものが「哲学」なのだ。

それをさして「哲学は諸学の女王」と呼ばれる。

現代は混迷の時代で、インスタントに、即席ラーメンのように「哲学の時代」と叫ばれている。

この風潮は全く底の浅いものでブームでしかない。時が経てば忘れ去られるだろう。

そうであっては、世界は変わらない。悪化するかもしれない。

ここで唯一、世界を救う光明となるのが「教育」である。なかんずく子供時代からの「哲学教育」なのだ。

これは、現代の教育者自身が「哲学する姿勢」を身に着けていないので、教えようがない、と思われるかもしれない。

しかし「哲学教育」とは「教え込む」ものではない。
答えのない、「世界、人間社会のテーマ」を教師と生徒達が一緒になって考え、意見を醸成していくことなのだ。

小さな子供達が新鮮で旺盛な感受性で「自由、正義、貧困、人権、格差、戦争、幸福、環境、生命・・・」などを「哲学する」ようになった時、彼等が大人になって世界・社会が変わっていくものと思われる。

世界も社会も、一人ひとりが「主体的に世界に関わる」姿勢を持たない限り、根底的には変わらない。

世界を変えるのは政治でも、武力でも、経済でもない。「教育」なのだ。

この教育の中心に なくてはならないのが「哲学」なのだ。






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