市街・野 それぞれ草

 802編よりタイトルを「収蔵庫編」から「それぞれ草」に変更。この社会とぼくという仮想の人物の料理した朝食です。

チケットを売る

2009-09-08 | Weblog
 こんな高い料金では売るのは難しいです。そりゃ、いいものかもしれないが、
ここじゃ、だれも知ってないし、とてもこんな値段じゃねえ、売れまんせんよ
とアドバイズを受けることが多い。有名ならば、一万円でもあっというまに売り切れになる。国際音楽祭の故アイザックスターンの出演料は5000万円だといわれた。なぜならかれは巨匠であったからである。芸術の値段というのは、高いのか安いのかは、常識では測れないのだ。無名であれが、2500円でも高すぎるのである。

 委員会で、その意見が出ると、たいがいシーンとしてしまう。われわれはなにか
おおきなまちがいをしようとしているのではないかと、不安にもなってくる。ではどこまで安くすればいいのかというと、じつはこれもわからない。まあ、1000円か
500円くらいなら、見ても損じゃないということになるのだろうか。

 ぼくが、これまでやってきたほとんごの自主公演、「黒テント」「テント劇団どくんご」¥「ベリーダンス」「暗黒舞踏」「ダンスカンパニー」「クラシックコンサート」などなど、今思えば、コストがとりもどせるぎりぎりの価格設定であったが、これでも
高すぎると言われ、なかには値段を下げたものもあった。しかし、今はそういうことはしない。

 自主公演というのは、安ければ売れるというものではないのが、わかってきたからである。それになによりも、自分が惚れている上演を、安く売って観客を集めようという気になれないからである。高く売ろうとは思わないが、一枚のチケットには自分の価値観がこめられている、それを安売りは出来ないという思いを、だんだん知るようになってきた。

 だから、一枚のチケットを買ってもらえたとき、そのとき、そこにはその人とぼくには、信頼関係が生まれたと思うのだ。義理や同情で買ってもらえる場合もあるが、今は経験によって、義理や同情が生じる関係は避けられるようになった。ぼくは遠慮なくぼくの価値観を売りつける。それを買ってもらえたときのよろこびは、
じつに大きい。 そこにはすこし悪魔的快感さへあるのである。さらにその人が上演に感動やよろこびやを得られたときから、ぼくらは信頼関係の絆でむすばれることになる。

 それと、ぼくにとって自主上演をプロデュースすることは、作品批評を書くこと
評論活動とまったくおなじことである。無名のものに光を当てること、世にしられていないからこそ、そこには、むしろこれから価値が高まる期待や希望がある。つまり株式でいえば、これから上昇する株である。有名で上がりきって、これから下がるだけの優良株など、ほとんど批評意欲などはそそられないのである。

 
 チケットを売るとは、冒険であり、リスクであり、利益も不利益もすべて引き受ける自己完結の行為であり、それゆえに誰にもしばられぬ、喜びでもあるわけだ。


 


 
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