市街・野 それぞれ草

 802編よりタイトルを「収蔵庫編」から「それぞれ草」に変更。この社会とぼくという仮想の人物の料理した朝食です。

週末、巻き込まれて、ただちに犬となる

2009-09-16 | Weblog
 

 土曜の午後になった。すぐに自転車で神宮の県総合文化公園の西通りに沿ったエコをテーマとした倉庫改造の集合店舗に出かけた。そのベジタブルカフェ・チャゴへチケットを持参したのだ。そこには玄米食がランチで、白米はない。どうも玄米はその姿、ぶちぶちとした米粒、色、匂いがどうも苦手で、おいしい、おいしいという愛好家のおすすめに、玄米を食おうかとはどうしてもなれないのだ。でもチケットをあ付けるのだから、玄米を食うことは交換儀礼だ。こうして玄米ランチを食べた。

 おそるおそる口に運んだとたん、それがうまいのだ。質のいいおこわの感じ、特有の臭みも無く、姿は粟ご飯にも似ていて気にならない。玄米は炊き方よと聞いてたが、なるほどそうかと肯定できた。それにベジタブルカフェをテーマにしただけにサラダや野菜の料理がいい。どうもカフェのランチとは、若い女性に聞くと、太りたくない、安全な有機野菜が健康志向と一致するようだ。チャゴでは、大豆グルテンを使ったチキン南蛮そっくりの料理が人気だという。女性の痩せたい気持ちに沿って量も控えめである。カフェのランチはどこも量をケチっていると思っていたのは、女性の希望にそっているに過ぎないのだ。そんなこともわかるようになってきてはいた。

 と、携帯が鳴り出した。黒木さんから、今夜、若者の集まりにでかけるので、ちらしとチケットをアルベロベロに届けてほしいということだった。彼女こそ、先日に書いたようにもう一人のぼくであった。すぐにここからアルベロベロへ走り、とどけたのであった。店主は彼女の実兄であり、70年代の新宿、赤テント、天井座敷とあの時代を語れる。アングラ演劇をともに語れるので、店先で話が弾んでいった。

 午後3時帰宅。孫の誕生日イブで、会食をするつもりであったが、かれらは来宅していないので、午後5時にスタートするニューレトロクラブでのライブに走った。ところが5時半からということで、付近を歩いてみることにした。大成銀店街という看板文字を掲げた昭和30年に設けられたアーケードも先日取り払われ、ついでに通りの店も取り去られすべて有料駐車場に変じていた。ひとの姿もなく、秋の陽射しの寂寥感につつまれて、街をこうしてしまった時代の流れにいいようもない怒りを覚えながら、通りを眺めていると、とつせんあらあと声をかけられた。なんと黒木さんであった。彼女は、今からニューレトロのライブに行くのだと言うのだった。まさに偶然の一致であった。さっさく二人で行く。

 ライブは轟音であり、彼女と話をしをして、どくんごのことを話したかったが、そんなことは不可能であった。それに雑誌サルママの編集にかかわった若者たちにも何人もあえたのだが、話をすることはできなかった。ここでもやはり孫の誕生日祝いが気になって、午後7時には出ることにした。。ライブはこれから深更までつづけられるらしかった。彼女を置き去りにして、悪いと思ったところ、連れがくるからと言われ、それよりもたんたんと平然として一人で、このライブハウスにいる姿に感銘できた。こんな自立を若者の多くがもってくれたらなと、つくづく思うのであった。群れるなと。

 外はすでに暗かった。昭和町の一番ラーメンでラーメンを食う。おまけににぎりめしも一個そえた。

 午後8時前、帰宅すると、孫と次男とが、ぼくを待っていた。これから行こうというのだ。お茶でもとしようかと提案すると、孫は「おどり寿司」と大声で言った。どうしても孫は、その寿司店で見せたいものがあると言うのだった。

 店は花が島の北バイパスの郊外大型店舗の集合したなかにあった。回転寿司で、まだ
人がかなりいた。ただし、ここのは、円形にぐるりぐるりと回るのではなく、直線で、両脇に客席、椅子席と座敷席とがある。座敷に座る。お茶が抹茶を木のカップに入れ回転テーブルの蛇口から熱湯をそそぐ。これはいい。ガリはつぼに充ちている。座敷が気分をリラックスさせる。ただ、ラーメン食ったばかりで食えそうもない。握りが40種類,炙りもの15種類、軍艦巻きと普通巻きで20種類ばかり、それにスイーツと100種類ばかりが、皿にもられて直線と回転台を流れている。ボタンを押すと、店員が飛んできて、注文を聞く。次男はつぎつぎと聞いたこともないような品をどんどん注文する。

 ときどきベルの音がする。直線の台の一番上を新幹線の模型電車が、注文した寿司をのせて運んでくるのだった。孫がみせたかったのは、この仕掛けであったのだ。プラットフォーム式回転寿司であったのだ。

 皿は100円皿と200円皿、たまに300円皿、もうだめだというくらい食いまくったのだが料金は2900円あまりでしかなかった。こんなに安くて大丈夫なのかという気持ちが食材への不安感を誘う。しかし、次男も孫も食いまくっていく。チャゴとはなんという違いであろう。食い終わって外に出ると午後9時を少し回っていた。結構楽しかった。

 クラシックのピアノ連弾とロックライブ、有機野菜の玄米食と、一皿100円のマグロ寿司や、名も知らぬ肴の寿司のやま、あまりにも対照的な食とアートに、怒濤にまきこまれるように巻き込まれ、それぞれおもしろかった。ということは、この世にどれが正しいと断言することが困難な楽しみに誘惑されるに似ていた。思想も哲学もあったものではない、これが消費社会の現実なのだろうか。どくんごの芝居のタイトルではないけど、ぼくもまた「ただちに犬」となって、食を楽しみ、アートを楽しみと、なにかを漁るような感じである。もっとも演劇のタイトルの意味はもっと哲学的意味のある抽象である。 
 
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