唄と暮らす

ピアノを少し習っただけだけど、音楽の美しさと楽しさ、自分の言葉で語ってみたい

中村紘子さんの言葉

2017年06月01日 19時29分34秒 | 音楽と暮らす
ピアニストの中村紘子さん、もうこの世にいらっしゃらないけれど、日本のピアニストとして、母国を深く愛してらっしゃったのだと思います。
その証拠に、日本を思うアドバイスをたくさんなさいました。
しかし、それらの貴重なアドバイスに耳を傾けた日本人が、どれだけいたでしょうか。

お亡くなりになってから時間がたった今、思い出してみると、ほんとうに、
中村さんは、祖国を、かけがえのないものとして、大切に思っておられたのだと思います。

世界中をまわったかただからこそ、日本のよさ、すばらしさを、行く先々で再認識し、日本人であることの誇りも、
きっと、強くお持ちになっていたのでしょう。

今、中国など、アジアの近隣の国々と日本の関係がシリアスな問題をかかえています。
今に始まったことではなく、過去からの問題の累積が限界にきている、というより、もうとっくに限界を通り越してしまった状態です。

ここまで悪くなるずっと前、中村さんはおっしゃいました。
ほかの国に滞在している中国人は、同じ中国人とネットワークを持ち、助け合っている、と。
日本人は、ひとり、すぐれた人がいると、みんなでその人の足をひっぱるけれど、中国人は、
すぐれた人が自分たちの中からひとり出ると、みんなでその人を応援する、こういうことの積み重ねで、いつか、
日本は中国に負ける、と、おっしゃっていました。
これは、音楽の世界のことについて言われたことではありますが、中国人のいいところを、日本人は学ぶべきだ、という、中村さんの意見に、私はとても共感しました。

アメリカに留学していた人たちから聞くところによれば、日本人は日本人が嫌いなのだそうです。
同じ日本人どうし、助け合いましょう、という日本人はとても少ないという話です。
アメリカで見るに、たとえば、フランス人は、同じフランス人と出会うと、喜んで友達になり、助け合うのだそうです。
イギリス人も、ドイツ人も、みんなそうなんだそうです。
同じ国の人間を毛嫌いするのは、日本人だけなのだそうです。
日本人が全部そうかというと、決してそんな人ばかりではなく、産院で、日本人どうし同じ部屋になったことで知り合って、一生ものの友情で結ばれたというような、すばらしいお話も聞きます。
でも、そういう人はとても少ない、大多数の日本人は、同じ日本人を嫌う、と、アメリカの人々は不思議がっているそうです。

健全な愛国心がないから、日本人は、よその国と、健全な関係を作っていくことができないのではないか、と、私は思います。

昔、日本人が欧米に、いろいろな技術を学びに行ったとき、親切に教えてもらえたのは、日本人が礼儀正しかったからだそうです。
その日本人たちは、よその国の人々の前で、日本人であることに誇りを持ち、自分の国に対する使命感も持っていたそうです。
自分の国を大切に思っていたから、教えてください、と、礼儀正しく、しかし、卑屈にならないような接し方ができたのではないでしょうか。
健全な愛国心がない、つまり、自分をだいじにできない人間が、相手のことを大切にできるわけがありません。
日本の外交の諸悪の根源は、ここなのではないかと思います。

前橋汀子さんもおっしゃいました。
自分の国のエッセンスを持たない人間は、国際人ではない、と。
世界的な活躍をなさっている音楽家の方々の、貴重なご意見に、日本人は耳を傾けるべきだと、私は思います。

今のままだと、日本は、そのうち、中村さんの予言どおり、中国に負けるでしょう。
愛国心をしっかり持った国々に、近い将来、次々と追い越されていくかもしれないと、私は危惧しています。



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世良譲さん

2017年05月06日 12時07分57秒 | 音楽と暮らす
世良譲さんのピアノ、いつ聞いてもいいなあ、と思う。
雰囲気になじめるのは、同郷だからだろうか。
同郷と言ったらおかしいかもしれない。
世良さんの故郷は雲南市だそうだけど、私はその町に行ったことがない。
故郷が近いと言うほうが正しい言い方だろう。

錦織健さんと、見かけは全然ちがうのだけど、奥のほうに同じものを感じる。
島根県の人らしい感じのする演奏で、私は好きだ。
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故郷の人々

2017年05月03日 19時43分17秒 | 音楽と暮らす
はるかなるスワニー川・・・

中学で誰もが習った歌です。
音楽の教科書上では、訳詞は、今は代替わりしているかもしれませんが、私が小学校で習ったのは、
勝承夫訳です。
それが、自分の魂のいち部とも思えるほどに心にしみついているので、どうしても、現代語訳の歌詞はしっくりきません。
昔習った古い歌詞が大好きです。

ただ・・・
ひとつ、気になってならないことがあります。

おおつかれしわが胸・・・

これを、おお疲れし・・と書く人が多いのですが、これは、

おお憑かれし・・ではないでしょうか。

若くなくなってから、ふるさとを恋しく思う気持ちをあらわすには、
「憑かれた」という表現は、決してオーバーではありません・・・私はね。

フォスターは、ふるさとに、生涯強い思いを抱いていた人です。
私の何倍も憑かれていたのではないでしょうか。

おお憑かれし我が胸・・と読むと、私には、この上なくしっくりきます。

「ケンタッキーの我が家」も、あの美しい古い言葉の歌詞はどこへ行ったのでしょうか。
最近、ケンタッキーの我が家は、私にはなじみのない新しい歌詞でばかり聞こえてきます。

昔の訳詞は、ほんとうに美しかった・・・
故郷の廃家も、古い訳詞が忘れられていきます。
ゆくとせふるさときてみれば・・・(犬童球渓による訳詞)
なんて美しかったのでしょう、日本の古いことばは。

言葉というものの深さ偉大さを、幼い私たちに教えてくれた古い訳詞の数々。
とってかわられるのは、しかたがないのかもしれない、でも、私は忘れたくない。
いまのうちに、せっせと書き残しておかなければ。

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港町ブルース

2017年04月07日 19時31分58秒 | 音楽と暮らす
今の時代には、演歌ファンは、もはや少数派である。
とはいえ、高齢者の集まるところでは、演歌がたっぷり聴けたりする。
このまえも、そんな場所で、森進一さんやら、美川憲一さんなどの歌を、次々と聴いた。
私はとくに演歌ファンというわけでもないけど、中学生くらいのころにはやった歌はなつかしくて、聴き入った

港町ブルース。
たくさんの似たような歌の中で、この日の私のコンディションのせいだったのだろうか、この歌だけが、なぜか、他とちがうように感じた。
なぜ、他の歌とちがったものに聴こえたのだろう・・と、ちょっと考えた。

他の演歌の歌、森進一さんのほかの歌や、他の歌手の歌は、絶叫調が多い。
泣き叫ぶような歌い方とか、思いのたけをぶつけるような歌いかただとか。
あそこで流れていた曲のなかで、「港町ブルース」だけが、長調である。

本家の森さん以外に、藤圭子さんの同じ歌も流れた。
港町ブルースは女心の歌だから、男性の森さんが歌うより、藤圭子さんのほうが重みが感じられる。
苦労した人にしか歌えない歌ではあるけど、そして、森さんも藤さんも、ほんとうに苦労した人だけれど、やはり、女の歌は女のほうがうまい・・・他の歌は知らないが、この港町ブルースに限っては。


もう会えない、悲しいーっ!と絶叫するより、長調のメロディーで、静かにでもないけど、歌いあげられると、歌詞の持つ悲しさが、胸にどーんとひびく。
歌も話も同じだなあ、と思う。
私はかわいそうなのよ、と言わんばかりに絶叫調で、かなしい、かなしい、と訴えられるより、飲みながら、淡々と、こんなことがあった、こんなこともあった、と、聴かされるほうが、どんなに悲しかったかということが、強く胸に迫るものだ。

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伴奏

2017年02月13日 11時40分06秒 | 音楽と暮らす
また大昔の話ですみませんが・・・中学のときのことです・・
理科の授業中、誰かのおなかが、グー、と鳴りました。
そのあとにちょろちょろ、とかいう音が、その人のおなかから聞こえたので、みんな笑ってしまいました。
すると、先生が言ったのです。
「あれは、彼女のからだが生きようとしている音だ、いのちの音なんだ、大切な音なんだよ。笑いものにするなんてとんでもない。」と。
おそらく、先生は、おなかが鳴って恥ずかしい思いをしている生徒をかばおうとしたのだと思います。

そのときは、それだけで聞き流しましたが、ずっとあとになって、といっても、これも昔の話ですけど、絵の勉強をしている人にその話をすると、こんなことを言われました。
「私たちは、たとえば、木のこずえを雲が通り過ぎるのだって、1本の木の立ってる姿だって、ひとつのデザインとしてみる。
音楽もそれと同じじゃないの?。
からだの中から出る音だって、水の音だって、風の音だって、みんな生きている音なんじゃないかしら。」

絵を描く人のものの見方は独特のものがあります。
自由でとらわれないのです。

このときから、私は、音はみんな生きている、と思うようになりました。

そういう意味でおもしろいなと思うのは、フォーリーブスの歌の伴奏。
フォーリーブスの大ファンだった私たち、残された歌を、今でも聴いています。
手をたたくような音や、足音みたいな音や、水道の蛇口から水が流れ落ちるような音は、
フォーリーブスの伴奏にしかないものです。
他には絶対ない、あのような音は、どのような楽器から生まれているのでしょうか。
どんな音も、工夫次第で、オーケストラの一員として生きることができることを、教えてくれます。
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浅き春によせて

2017年02月12日 15時35分49秒 | 音楽と暮らす
今は2月、たったそれだけ・・・で始まる、立原道造の詩には、たくさんの作曲家が、曲をつけています。
こんなにたくさんの曲がついているとは、きょうまで知りませんでした。
私は、同郷の高木東六さんのものを聞きたかったのですが、他の作曲家のものならあるんだけど・・と、みんなに言われてしまいました。

ひとつの詩にいろんな面があって、いろんな作曲家がいろんな曲をつけているというのは、おもしろいものです。
たとえば、シャンソンの枯葉などは、こんな曲にこんな一面があったんだ、なんて発見が尽きません。
不思議なのは、シャンソンとも、枯葉そのものの雰囲気とも、一見似ても似つかぬような編曲や演出であっても、どこかひとつ一致点が必ずあるのが感じられることです。
歌も、詩も、かぎりなくいろんな顔があるものなんだな、と思います。

現代で活躍中の作曲家によって、立原道造の古くて新しい個性がひきだされています。
でもやっぱり、時代の近い作曲家のほうが溶け合うよ、とか、しろうと談義もけっこう楽しいものです。
クラシックだとかジャズだとか、ほんとうは、そんな分類は意味がないのかな、なんて思いながら、
ひとつの詩についた、いろんな曲を、聞き比べることになったのでした。
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オルガン

2017年02月05日 20時08分46秒 | 音楽と暮らす
結婚式に出席させていただきました。
とても個性的な結婚式でした。
やみくもにゴージャスにやるより、こじんまりと家庭的な結婚式にしたい、という2人の意向で、
温かい雰囲気にあふれた小さな結婚式でした。

お嫁さんの好みで、ピアノよりオルガンで結婚行進曲が演奏されました。
オルガンの音ってこんなに温かくてほっとするような音だったのかしら、と思うようなやさしい演奏をなさったのは、
音大のピアノ科の学生さんでした。
このかたの演奏の腕がすごくいいのでしょう。

オルガンという楽器を見直しました。
こんなやさしい音色の楽器が、なぜ、こんなに・・・あまり見向きされないんでしょう。
ピアノにはない、ゆったりした豊かな音。

もっと、伴奏とか、ソロとか、あと、オーケストラの一員としても、活躍の場があるような気がします。
もっとオルガンのことを知りたくなりました。
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雪の降る町を

2017年02月02日 22時08分19秒 | 音楽と暮らす
この季節の歌は、なんといっても、これ、「雪の降る町を」。
私の住む関東にはほんとうに雪がありませんが、私の故郷の町は雪が降って、スキー好きがすごく喜んでいます。
私の子どものころの思いでも、雪景色です。
もの心ついたくらいのころ、雪の降り積もる庭を見ながら、橋幸雄さんの歌う「雪の降る町を」を聞いていた記憶は、なぜかすごく鮮明です。
白黒テレビの画面までおぼえています。

演奏というものの難しさを思い知らされるような曲です。

女性がソロで歌うと、ちがう歌になってしまうような気がする。
しぶーい、苦みばしった、ちょっとこわいような男でないと、似合わないような気がする。
そういう人は、もしかしたら、音楽とか詩とかで、自分の内面を外に出さないのかもしれない・・・
外国人では、出汁の味がちがって、いけないのです。
これは、やはり日本人の歌です。
いろんな感じかたがあるのでしょうけど、私は、この歌の演奏に、そんな理想を求めてしまうのです。
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日本のシューベルト

2017年01月08日 11時42分42秒 | 音楽と暮らす
「日本のシューベルト」という言葉があります。
作曲家の誰かのことを指す言葉らしいのですが、実際誰のことか、はっきりしないみたいです。
中田喜直先生の合唱団の団員だったかたは、あれは中田先生のことよ、と言われるし、
誰もが、自分の尊敬する作曲家のことだと思いたいみたいですが、私は、あの言葉には違和感を感じます。

たとえば、私の尊敬する作曲家は、
林光先生ですが、林先生のことを「日本のシューベルト」と言われたら、いい気持ちしないです。
ま、林先生とシューベルトとでは、作風がだいぶちがいますから、にじみ出てくる生きかたもだいぶちがうみたいだから、
林先生のことを、そう言う人はあまりいないようですが。

林先生の作品は、日本人の音楽だと思いますから、それを、安易に、よその国の作曲家のコピーのように言われたら、屈辱さえ感じます。

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伴奏について思うこと

2016年12月01日 06時56分30秒 | 音楽と暮らす
サンサーンスの「白鳥」を聴くときに、伴奏者のドレスにまでこだわってしまうのは私だけだろうか。
知り合いのコンサートに行ったとき、ちょっと残念だった。
チェロのうしろで、まっ赤な色や、派手なもようのドレスを着た人がピアノを弾いていると、気分がこわれるのだ。
こんなことを言うのは私だけなのかもしれないけど、でも、伴奏舎のドレスと曲がマッチしていると、音楽を何倍にも楽しめたような思いが残る。
「白鳥」のときだけは、まっかなドレスはちょっとなあ・・・・
水色のすてきなのを持ってるはずなのに、なぜ、あれを着なかったんだろう。


でも、お客さんの中に、中学生くらいのお嬢さんが多いのを見て、ピアニストのかたが、コンサートの最後に、
「エリーゼのために」や、「おとめの祈り」を弾いてくださったのは、すばらしいアイデア。
「娘を連れてってよかった、すごく喜んでたわ。」と言ってましたよ。
私も、すごく楽しかったです。




バイオリニストのかたが言われた。

「いつも、僕が彼女に伴奏をしてもらって、申しわけないと思ってるんだ。
彼女のピアノが主役で、ぼくのバイオリンが伴奏というような曲がないだろうか。」

そんなものがあるわけないことは、最初からわかってるんだけど、でも、そういう曲、作ってほしいと思う。
現代音楽ならできるんじゃないかしら。





どこの誰のことを書いたかわからないように、あえて、かなりの時間が経ってから書いてるんだけど。

知り合いのバイオリンの発表会に行った。
生徒さんの演奏だから、ま、正直なところ、頭が痛くなるような演奏が多いんだろうと、正直なところ、最初から覚悟して行ったんだけどさ、実際行ってみると・・・
あまりにも伴奏がすばらしかった。
慣れたかただったのかしら、ほんとうに、流麗な、すばらしいピアノの音色に、すっかり聞きほれてしまって、肝心の、バイオリンの演奏は、正直なところ、雑音としか聞こえず、はっと気がついたときは、知り合いの番はとっくに終わってしまっていた。
あとで、感想を聞かれたらどうしようと、あわててしまったんだけど、同行者がいたから、その人に聞いて、ま、なんとかかんとかとりつくろったけどさ。

ああ、ほんとに、今も忘れられないようなすばらしいピアノの音色・・・お名前を出すと、どこの演奏会だったかばれるかもしれないから書かないけど、未熟なバイオリンの演奏を優しく包み込むような、美しいすばらしい演奏であった。
熟練の伴奏者だったのであろう。
その人の、滝のような白いドレスと、清潔な短い髪を、今も思いだす。
あの演奏会の本来の目的からすると、あまりに不本意な結果になっちゃったのかもしれない。
へたな演奏をカバーする、という目的があって、腕のいい伴奏者を選んだのかもしれないけど、プロの演奏家じゃないと釣り合わないよ。

他のお客さんも、あのピアノはすばらしいと思っただろう。
ほんとに、今も忘れられない。







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浮世絵と音楽

2016年11月20日 19時26分49秒 | 音楽と暮らす
ドビュッシー・・・確かドビュッシーは、日本の浮世絵から音楽的なインスピレーションを得たそうです。
それを知って聞くと、確かに、ドビュッシーの曲には浮世絵の面影が感じられます。
透明で、地味なんだけど、それでいて華やかさがあって、きらきらするものがあって、それでいてもの哀しさがあって・・・
日本の芸術って、浮世絵にしても、音楽にしても、ほんとに不思議。
日本人の私がそう思うくらいだから、西洋人のドビュッシーは、底知れぬような深い神秘を感じて惹かれたのかもしれません。
日本で生まれ育った私にとっても、日本の音楽は、美術は、知れば知るほどすばらしいです。
この個性と西洋の音楽の接点が日本人の音楽家のかたがたなのでしょう。
きらきらしていて、それでいて派手でなく、華やかだけれど哀しくて、深みがあるけど地味すぎない・・・・
この特質を生かしたクラシック音楽のすばらしい演奏や創作に、今後も期待しています。


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赤とんぼ

2016年10月19日 22時18分35秒 | 音楽と暮らす
日本人なら誰でも幼いころから歌っているこの歌

夕焼けこやけの赤とんぼ・・・

この歌を嫌いだという人はいないでしょう。
いっけん、とってもシンプルな歌なんだけど、心の奥深くのいちばんやわらかなところにやさしく触れてくる歌。
どんな異質な人どうしでも、みんなでいっしょに大合唱できる歌。


安田南さんは、個性的な歌をたくさん歌われたコンサートのいちばん最後に、これを歌われました。
「もっと歌わせてください。」と。

個性的なすてきな歌をたくさん聞いたあとに聞く、なじみの歌。
めったに食べられないようなごちそうのあとの、さっぱりしたお茶漬けみたい。
さっぱりしたお茶漬けだから、もっとほしくなるのです。

私の個人的な嗜好だけど、たとえば、椿姫とかのオペラや、こってりした交響詩のあとに、アンコールとはまた別に、一番最後にこの歌が出てきたらすてきだろうなあ、と想像しちゃいます。



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手のひらの歌

2016年10月02日 13時16分57秒 | 音楽と暮らす
知り合いの家に遊びに行ったとき、小さいお子さんたちが、手のひらをたたいて遊んでいるのを見ました。

見て、見て、手のひらでこうたたくとこんな音が出て、こっちをたたくとこんな音が出るんだよ

ほんとです。
両のてのひらを合わせる、手のひらの場所がちがうと、同じ人間の手から、それも、小さな子どもの手から、表情のちがう音が出るのです。
これで歌を作るとかなんとか言ってあそんでいましたが、大合奏を聞いていると、ほんとに、
もしかしたらオーケストラで使えることもあるんじゃないかって気がしてきました。
クラシックでは聞いたことがないけど、フォーリーブスの歌の伴奏で、確か、手のひらをたたくような音が聞こえるのがあるでしょ。
すごくうまく、歌や楽器の音に溶け込んでました。

大昔、人間がみんなほらあなで暮らしていたころ、太鼓さえもなかった時代には、口で歌う歌に、こうして手のひらで伴奏していたのかもしれません。

じっと聞いてると、今まで気がつかなかったけど、暖かい音です。
ヴォーカル同様、人のからだが楽器だもの。

手のひらという楽器は、伴奏として、意外な可能性がありそうな気がします。

子どもたち向けのコンサートで、使えそうな気も・・。

子どもは、コンサートに連れてこられて、ただ、聞いてなさい、と言われても、じっとしているのは難しいと思います。
自分も、何か参加できるようなプログラムなら、子どもにとっても、つきそいのおとなにとっても楽しいコンサートになるだろうと思います。

うちの近所に幼稚園があって、毎日歌声が聞こえてくるんですが、そのとき、ピアノの伴奏に合わせて、みんなで手をたたく音とか聞こえてくるんです。
手拍子も、ある意味楽器。
ああして、みんなで手拍子を打つと、クラシック音楽も、より身近に感じられるようになるんじゃないかしら。

林先生のコンサートも、ラストで、みんなして歌ったりというのがありました。
子どもを音楽好きにするには、まず、みんなでいっしょに手拍子とか歌とか、原始的なところからはいるのがいいんじゃないでしょうか。
コンサートへ連れて行かれて、静かにしなさい、とか、じっとしてなさい、と叱られてばかりでは、好きなものもきらいになってしまうと思います。

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ストラディヴァリウス

2016年09月29日 09時58分26秒 | 音楽と暮らす
半小説みたいな感じの物語「ストラディヴァリウス ある名器の生涯」。
この本の存在を知ったのが20年ほど前で、それから長い間、読みたいと思っていました。
さがしても、本屋さんの店頭に並んでなかったのは、かなりマニアックな内容だからでしょうか。
知り合いの音楽の専門家のかたがたにも、かたっぱしから聞いていましたが、プロの音楽家のかたがたも、みなさんご存知なくて、あきらめていました。
それを、やっと、5年くらい前、たまたま、アマゾンのサイトで遭遇しました。
新品ではなくユーズドですが、買いました。
読んでみると、ほんとにおもしろい・・わからない部分もありましたが。
音楽家のかたに、この本の話をしたら、専門知識を持っている人は、私たちとは読み方がちがうのでしょう、すごくおもしろかったと言われました。
いつか、わからない部分を、教えてもらおうと思っています。

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スポーツ感覚

2016年09月12日 14時22分14秒 | 音楽と暮らす
コンサート、特に生演奏を聞いたあとの爽快感は、スポーツで汗をかいたときの気持ちよさに似ています。

ドビュッシーの交響曲はシーダイビングや水泳、モーツァルトはスカイダイビング、チャイコフスキーは森林浴という感じ。
沖縄の民謡は、ボートをこいでるような気分です。


音楽はからだの調子を整えるそうですが、そういうのが効いているのかも。


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