唄と暮らす

ピアノを少し習っただけだけど、音楽の美しさと楽しさ、自分の言葉で語ってみたい

美しい言葉

2017年04月18日 14時54分09秒 | 音楽と暮らす
先日、ラジオから流れてきた、なつかしい歌。
「ケンタッキーの我が家」は、私の大好きな歌なので、思わず喜びました。
が、歌が始まって、ああ・・・・
私の愛するあの歌詞ではなかったのです。

あの美しい古い言葉の歌詞はどこへ行ったのでしょうか。
そういえば、最近、ケンタッキーの我が家は、私にとってはなじみのない新しい歌詞でばかり聞こえてきます。

昔の訳詞は、ほんとうに美しかった・・・
故郷の廃家も、古い訳詞が忘れられていきます。
ゆくとせふるさときてみれば・・・
なんて美しかったのでしょう、日本の古いことばは。

はっと目がさめるような言葉の美しさ、心になじみ、しみこんでいくような言葉、
言葉というものの深さ偉大さを、幼い私たちに教えてくれた古い訳詞の数々。
とってかわられるのは、しかたがないのかもしれない、でも、私は忘れたくない。
いまのうちに、せっせと書き残しておかなければ。
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港町ブルース

2017年04月07日 19時31分58秒 | 音楽と暮らす
今の時代には、演歌ファンは、もはや少数派である。
とはいえ、高齢者の集まるところでは、演歌がたっぷり聴けたりする。
このまえも、そんな場所で、森進一さんやら、美川憲一さんなどの歌を、次々と聴いた。
私はとくに演歌ファンというわけでもないけど、中学生くらいのころにはやった歌はなつかしくて、聴き入った

港町ブルース。
たくさんの似たような歌の中で、この日の私のコンディションのせいだったのだろうか、この歌だけが、なぜか、他とちがうように感じた。
なぜ、他の歌とちがったものに聴こえたのだろう・・と、ちょっと考えた。

他の演歌の歌、森進一さんのほかの歌や、他の歌手の歌は、絶叫調が多い。
泣き叫ぶような歌い方とか、思いのたけをぶつけるような歌いかただとか。
あそこで流れていた曲のなかで、「港町ブルース」だけが、長調である。

本家の森さん以外に、藤圭子さんの同じ歌も流れた。
港町ブルースは女心の歌だから、男性の森さんが歌うより、藤圭子さんのほうが重みが感じられる。
苦労した人にしか歌えない歌ではあるけど、そして、森さんも藤さんも、ほんとうに苦労した人だけれど、やはり、女の歌は女のほうがうまい・・・他の歌は知らないが、この港町ブルースに限っては。


もう会えない、悲しいーっ!と絶叫するより、長調のメロディーで、静かにでもないけど、歌いあげられると、歌詞の持つ悲しさが、胸にどーんとひびく。
歌も話も同じだなあ、と思う。
私はかわいそうなのよ、と言わんばかりに絶叫調で、かなしい、かなしい、と訴えられるより、飲みながら、淡々と、こんなことがあった、こんなこともあった、と、聴かされるほうが、どんなに悲しかったかということが、強く胸に迫るものだ。

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伴奏

2017年02月13日 11時40分06秒 | 音楽と暮らす
また大昔の話ですみませんが・・・中学のときのことです・・
理科の授業中、誰かのおなかが、グー、と鳴りました。
そのあとにちょろちょろ、とかいう音が、その人のおなかから聞こえたので、みんな笑ってしまいました。
すると、先生が言ったのです。
「あれは、彼女のからだが生きようとしている音だ、いのちの音なんだ、大切な音なんだよ。笑いものにするなんてとんでもない。」と。
おそらく、先生は、おなかが鳴って恥ずかしい思いをしている生徒をかばおうとしたのだと思います。

そのときは、それだけで聞き流しましたが、ずっとあとになって、といっても、これも昔の話ですけど、絵の勉強をしている人にその話をすると、こんなことを言われました。
「私たちは、たとえば、木のこずえを雲が通り過ぎるのだって、1本の木の立ってる姿だって、ひとつのデザインとしてみる。
音楽もそれと同じじゃないの?。
からだの中から出る音だって、水の音だって、風の音だって、みんな生きている音なんじゃないかしら。」

絵を描く人のものの見方は独特のものがあります。
自由でとらわれないのです。

このときから、私は、音はみんな生きている、と思うようになりました。

そういう意味でおもしろいなと思うのは、フォーリーブスの歌の伴奏。
フォーリーブスの大ファンだった私たち、残された歌を、今でも聴いています。
手をたたくような音や、足音みたいな音や、水道の蛇口から水が流れ落ちるような音は、
フォーリーブスの伴奏にしかないものです。
他には絶対ない、あのような音は、どのような楽器から生まれているのでしょうか。
どんな音も、工夫次第で、オーケストラの一員として生きることができることを、教えてくれます。
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浅き春によせて

2017年02月12日 15時35分49秒 | 音楽と暮らす
今は2月、たったそれだけ・・・で始まる、立原道造の詩には、たくさんの作曲家が、曲をつけています。
こんなにたくさんの曲がついているとは、きょうまで知りませんでした。
私は、同郷の高木東六さんのものを聞きたかったのですが、他の作曲家のものならあるんだけど・・と、みんなに言われてしまいました。

ひとつの詩にいろんな面があって、いろんな作曲家がいろんな曲をつけているというのは、おもしろいものです。
たとえば、シャンソンの枯葉などは、こんな曲にこんな一面があったんだ、なんて発見が尽きません。
不思議なのは、シャンソンとも、枯葉そのものの雰囲気とも、一見似ても似つかぬような編曲や演出であっても、どこかひとつ一致点が必ずあるのが感じられることです。
歌も、詩も、かぎりなくいろんな顔があるものなんだな、と思います。

現代で活躍中の作曲家によって、立原道造の古くて新しい個性がひきだされています。
でもやっぱり、時代の近い作曲家のほうが溶け合うよ、とか、しろうと談義もけっこう楽しいものです。
クラシックだとかジャズだとか、ほんとうは、そんな分類は意味がないのかな、なんて思いながら、
ひとつの詩についた、いろんな曲を、聞き比べることになったのでした。
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オルガン

2017年02月05日 20時08分46秒 | 音楽と暮らす
結婚式に出席させていただきました。
とても個性的な結婚式でした。
やみくもにゴージャスにやるより、こじんまりと家庭的な結婚式にしたい、という2人の意向で、
温かい雰囲気にあふれた小さな結婚式でした。

お嫁さんの好みで、ピアノよりオルガンで結婚行進曲が演奏されました。
オルガンの音ってこんなに温かくてほっとするような音だったのかしら、と思うようなやさしい演奏をなさったのは、
音大のピアノ科の学生さんでした。
このかたの演奏の腕がすごくいいのでしょう。

オルガンという楽器を見直しました。
こんなやさしい音色の楽器が、なぜ、こんなに・・・あまり見向きされないんでしょう。
ピアノにはない、ゆったりした豊かな音。

もっと、伴奏とか、ソロとか、あと、オーケストラの一員としても、活躍の場があるような気がします。
もっとオルガンのことを知りたくなりました。
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雪の降る町を

2017年02月02日 22時08分19秒 | 音楽と暮らす
この季節の歌は、なんといっても、これ、「雪の降る町を」。
私の住む関東にはほんとうに雪がありませんが、私の故郷の町は雪が降って、スキー好きがすごく喜んでいます。
私の子どものころの思いでも、雪景色です。
もの心ついたくらいのころ、雪の降り積もる庭を見ながら、橋幸雄さんの歌う「雪の降る町を」を聞いていた記憶は、なぜかすごく鮮明です。
白黒テレビの画面までおぼえています。

演奏というものの難しさを思い知らされるような曲です。

女性がソロで歌うと、ちがう歌になってしまうような気がする。
しぶーい、苦みばしった、ちょっとこわいような男でないと、似合わないような気がする。
そういう人は、もしかしたら、音楽とか詩とかで、自分の内面を外に出さないのかもしれない・・・
外国人では、出汁の味がちがって、いけないのです。
これは、やはり日本人の歌です。
いろんな感じかたがあるのでしょうけど、私は、この歌の演奏に、そんな理想を求めてしまうのです。
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日本のシューベルト

2017年01月08日 11時42分42秒 | 音楽と暮らす
「日本のシューベルト」という言葉があります。
作曲家の誰かのことを指す言葉らしいのですが、実際誰のことか、はっきりしないみたいです。
中田喜直先生の合唱団の団員だったかたは、あれは中田先生のことよ、と言われるし、
誰もが、自分の尊敬する作曲家のことだと思いたいみたいですが、私は、あの言葉には違和感を感じます。

たとえば、私の尊敬する作曲家は、
林光先生ですが、林先生のことを「日本のシューベルト」と言われたら、いい気持ちしないです。
ま、林先生とシューベルトとでは、作風がだいぶちがいますから、にじみ出てくる生きかたもだいぶちがうみたいだから、
林先生のことを、そう言う人はあまりいないようですが。

林先生の作品は、日本人の音楽だと思いますから、それを、安易に、よその国の作曲家のコピーのように言われたら、屈辱さえ感じます。

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伴奏について思うこと

2016年12月01日 06時56分30秒 | 音楽と暮らす
サンサーンスの「白鳥」を聴くときに、伴奏者のドレスにまでこだわってしまうのは私だけだろうか。
知り合いのコンサートに行ったとき、ちょっと残念だった。
チェロのうしろで、まっ赤な色や、派手なもようのドレスを着た人がピアノを弾いていると、気分がこわれるのだ。
こんなことを言うのは私だけなのかもしれないけど、でも、伴奏舎のドレスと曲がマッチしていると、音楽を何倍にも楽しめたような思いが残る。
「白鳥」のときだけは、まっかなドレスはちょっとなあ・・・・
水色のすてきなのを持ってるはずなのに、なぜ、あれを着なかったんだろう。


でも、お客さんの中に、中学生くらいのお嬢さんが多いのを見て、ピアニストのかたが、コンサートの最後に、
「エリーゼのために」や、「おとめの祈り」を弾いてくださったのは、すばらしいアイデア。
「娘を連れてってよかった、すごく喜んでたわ。」と言ってましたよ。
私も、すごく楽しかったです。




バイオリニストのかたが言われた。

「いつも、僕が彼女に伴奏をしてもらって、申しわけないと思ってるんだ。
彼女のピアノが主役で、ぼくのバイオリンが伴奏というような曲がないだろうか。」

そんなものがあるわけないことは、最初からわかってるんだけど、でも、そういう曲、作ってほしいと思う。
現代音楽ならできるんじゃないかしら。





どこの誰のことを書いたかわからないように、あえて、かなりの時間が経ってから書いてるんだけど。

知り合いのバイオリンの発表会に行った。
生徒さんの演奏だから、ま、正直なところ、頭が痛くなるような演奏が多いんだろうと、正直なところ、最初から覚悟して行ったんだけどさ、実際行ってみると・・・
あまりにも伴奏がすばらしかった。
慣れたかただったのかしら、ほんとうに、流麗な、すばらしいピアノの音色に、すっかり聞きほれてしまって、肝心の、バイオリンの演奏は、正直なところ、雑音としか聞こえず、はっと気がついたときは、知り合いの番はとっくに終わってしまっていた。
あとで、感想を聞かれたらどうしようと、あわててしまったんだけど、同行者がいたから、その人に聞いて、ま、なんとかかんとかとりつくろったけどさ。

ああ、ほんとに、今も忘れられないようなすばらしいピアノの音色・・・お名前を出すと、どこの演奏会だったかばれるかもしれないから書かないけど、未熟なバイオリンの演奏を優しく包み込むような、美しいすばらしい演奏であった。
熟練の伴奏者だったのであろう。
その人の、滝のような白いドレスと、清潔な短い髪を、今も思いだす。
あの演奏会の本来の目的からすると、あまりに不本意な結果になっちゃったのかもしれない。
へたな演奏をカバーする、という目的があって、腕のいい伴奏者を選んだのかもしれないけど、プロの演奏家じゃないと釣り合わないよ。

他のお客さんも、あのピアノはすばらしいと思っただろう。
ほんとに、今も忘れられない。







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浮世絵と音楽

2016年11月20日 19時26分49秒 | 音楽と暮らす
ドビュッシー・・・確かドビュッシーは、日本の浮世絵から音楽的なインスピレーションを得たそうです。
それを知って聞くと、確かに、ドビュッシーの曲には浮世絵の面影が感じられます。
透明で、地味なんだけど、それでいて華やかさがあって、きらきらするものがあって、それでいてもの哀しさがあって・・・
日本の芸術って、浮世絵にしても、音楽にしても、ほんとに不思議。
日本人の私がそう思うくらいだから、西洋人のドビュッシーは、底知れぬような深い神秘を感じて惹かれたのかもしれません。
日本で生まれ育った私にとっても、日本の音楽は、美術は、知れば知るほどすばらしいです。
この個性と西洋の音楽の接点が日本人の音楽家のかたがたなのでしょう。
きらきらしていて、それでいて派手でなく、華やかだけれど哀しくて、深みがあるけど地味すぎない・・・・
この特質を生かしたクラシック音楽のすばらしい演奏や創作に、今後も期待しています。


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赤とんぼ

2016年10月19日 22時18分35秒 | 音楽と暮らす
日本人なら誰でも幼いころから歌っているこの歌

夕焼けこやけの赤とんぼ・・・

この歌を嫌いだという人はいないでしょう。
いっけん、とってもシンプルな歌なんだけど、心の奥深くのいちばんやわらかなところにやさしく触れてくる歌。
どんな異質な人どうしでも、みんなでいっしょに大合唱できる歌。


安田南さんは、個性的な歌をたくさん歌われたコンサートのいちばん最後に、これを歌われました。
「もっと歌わせてください。」と。

個性的なすてきな歌をたくさん聞いたあとに聞く、なじみの歌。
めったに食べられないようなごちそうのあとの、さっぱりしたお茶漬けみたい。
さっぱりしたお茶漬けだから、もっとほしくなるのです。

私の個人的な嗜好だけど、たとえば、椿姫とかのオペラや、こってりした交響詩のあとに、アンコールとはまた別に、一番最後にこの歌が出てきたらすてきだろうなあ、と想像しちゃいます。



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手のひらの歌

2016年10月02日 13時16分57秒 | 音楽と暮らす
知り合いの家に遊びに行ったとき、小さいお子さんたちが、手のひらをたたいて遊んでいるのを見ました。

見て、見て、手のひらでこうたたくとこんな音が出て、こっちをたたくとこんな音が出るんだよ

ほんとです。
両のてのひらを合わせる、手のひらの場所がちがうと、同じ人間の手から、それも、小さな子どもの手から、表情のちがう音が出るのです。
これで歌を作るとかなんとか言ってあそんでいましたが、大合奏を聞いていると、ほんとに、
もしかしたらオーケストラで使えることもあるんじゃないかって気がしてきました。
クラシックでは聞いたことがないけど、フォーリーブスの歌の伴奏で、確か、手のひらをたたくような音が聞こえるのがあるでしょ。
すごくうまく、歌や楽器の音に溶け込んでました。

大昔、人間がみんなほらあなで暮らしていたころ、太鼓さえもなかった時代には、口で歌う歌に、こうして手のひらで伴奏していたのかもしれません。

じっと聞いてると、今まで気がつかなかったけど、暖かい音です。
ヴォーカル同様、人のからだが楽器だもの。

手のひらという楽器は、伴奏として、意外な可能性がありそうな気がします。

子どもたち向けのコンサートで、使えそうな気も・・。

子どもは、コンサートに連れてこられて、ただ、聞いてなさい、と言われても、じっとしているのは難しいと思います。
自分も、何か参加できるようなプログラムなら、子どもにとっても、つきそいのおとなにとっても楽しいコンサートになるだろうと思います。

うちの近所に幼稚園があって、毎日歌声が聞こえてくるんですが、そのとき、ピアノの伴奏に合わせて、みんなで手をたたく音とか聞こえてくるんです。
手拍子も、ある意味楽器。
ああして、みんなで手拍子を打つと、クラシック音楽も、より身近に感じられるようになるんじゃないかしら。

林先生のコンサートも、ラストで、みんなして歌ったりというのがありました。
子どもを音楽好きにするには、まず、みんなでいっしょに手拍子とか歌とか、原始的なところからはいるのがいいんじゃないでしょうか。
コンサートへ連れて行かれて、静かにしなさい、とか、じっとしてなさい、と叱られてばかりでは、好きなものもきらいになってしまうと思います。

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ストラディヴァリウス

2016年09月29日 09時58分26秒 | 音楽と暮らす
半小説みたいな感じの物語「ストラディヴァリウス ある名器の生涯」。
この本の存在を知ったのが20年ほど前で、それから長い間、読みたいと思っていました。
さがしても、本屋さんの店頭に並んでなかったのは、かなりマニアックな内容だからでしょうか。
知り合いの音楽の専門家のかたがたにも、かたっぱしから聞いていましたが、プロの音楽家のかたがたも、みなさんご存知なくて、あきらめていました。
それを、やっと、5年くらい前、たまたま、アマゾンのサイトで遭遇しました。
新品ではなくユーズドですが、買いました。
読んでみると、ほんとにおもしろい・・わからない部分もありましたが。
音楽家のかたに、この本の話をしたら、専門知識を持っている人は、私たちとは読み方がちがうのでしょう、すごくおもしろかったと言われました。
いつか、わからない部分を、教えてもらおうと思っています。

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スポーツ感覚

2016年09月12日 14時22分14秒 | 音楽と暮らす
コンサート、特に生演奏を聞いたあとの爽快感は、スポーツで汗をかいたときの気持ちよさに似ています。

ドビュッシーの交響曲はシーダイビングや水泳、モーツァルトはスカイダイビング、チャイコフスキーは森林浴という感じ。
沖縄の民謡は、ボートをこいでるような気分です。


音楽はからだの調子を整えるそうですが、そういうのが効いているのかも。


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アラブの音楽

2016年09月04日 12時25分17秒 | 音楽と暮らす
たまたまはいった喫茶店で、あまり聞かないような、何の楽器かわからないけど、笛らしき音色の、神秘的な感じの音楽が聞こえてきました。
聞いてみると、中東の音楽なんだそうです。

イスラムだとか、先進国では評判の悪い国々ですが、こうして落ち着いて聞いていると、ほんとにいい音楽です。

私たちとは、宗教的にも、モラル的にも、そうとうに価値観がちがう民族ですけど、これらの国々の文化は、もしかしたらすごく深いのではないか、というように思えてきました。
私は歴史や地理には、そんなにくわしくはない者ですが、これらの国々と、もっと文化交流をして、おたがいを理解しあうことを、日本だけでなく、アメリカも、中国も、みんながすべきではないか、という思いにかられました。

音楽は光だと、私は思います。
世界をすみずみまで、わけ隔てなく照らす太陽の光、やさしい月の光、シャンデリアの灯、雪明りみたいな音楽もあるけれど、この中東の音楽は、闇を照らすろうそくの生火のあかりのような感じです。
決して心の貧しい国ではないような気がします。


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錦織健さんと竹内まりやさん

2016年09月01日 06時56分20秒 | 音楽と暮らす
みんなである人のところへ遊びに行って、錦織健さんの歌をたっぷり聞かせてもらいました。
どれもこれもよかったけど、みんな、それぞれ、この歌がいちばんいいというのは、ひとりづつちがっていたけど、私は、「明日に架ける橋」がいちばんすてきだと思いました。
まさに、錦織健さんが、ご自分の星を歌い上げているという感じ。
私は錦織さんを個人的には、まったく存じ上げないけれど、こうして聞いていると、錦織さんらしさが、押さえきれず、あふれてくる感じ。
私には、そんなふうに感じられました。

錦織健さんは、ご本人は、おそらくダンスを伴ってのにぎやかな演奏がご本意なのかもしれませんが、私は、静かな歌で、錦織さんの美声に聞き惚れるって感じです。
静かな歌、静かな環境でなければ、楽しめない部分もあるのです。


皇室のかたが、出雲のかたとご結婚なさることになりましたね。

錦織さんは、その出雲のご出身です。
ついでに私も、錦織さんの母校である出雲高校に、演劇部の交流でお尋ねしたことが何度かあります。
出雲高校のろうかや、出雲の町で、錦織さんとすれちがったりしたこともあるかもしれません。

私は、内気なタイプなので、錦織さんのダイナミックなストレートさにとても惹かれるのです。
自分にはできないことを、してみせていただいているような感じで、ファンになりました。

錦織さんが、たとえふるさとをお忘れになっても、錦織さんの血はふるさとを忘れません。
錦織さんの歌のなかには、永遠に、出雲の空と海があります。

出雲といえば、竹内まりやさんも同じ出雲高校出身。
私、竹内さんも大好きなんです。

竹内さんが、ふるさとの出雲市のために作られた「愛しきわが出雲」の存在を、だいぶ前から知ってはいましたが、長い間、どんな曲か知りませんでした。
先日、初めて聞いたのですが、びっくりするほど素敵な曲。

だいたい、県民歌だの、市の歌だのというジャンルは、酔っ払いの歌みたいな感じの曲が多いんですけど、
竹内さんのこの曲は、とてもモダンですねえ。
日本のチベットと呼ばれる島根の歌だとは思えない。
私も、生まれ故郷はとなりの鳥取県ですから、似たようなものですけどね。

でも、島根の県民歌って、けっこうモダンなんですよ。
「薄紫の山並み」というんですけど、さらりとしたきれいな若々しいメロディです。

まりやさん、ふるさとの人たちにまざって、ご自分の作られた歌を歌っていらっしゃいました。
小さいころ遊んだ海や山や、青い空などを、きっと、歌いながら、心の中で思い返していらっしゃったのでしょう。

ふるさとがあるということはとてもいいこと。
若いときは、その価値に気がつきませんでした。
でも、気がついてみると、自分を育ててくれた町であり、そこに住む人々は、精神的にも、自分と同じものを持っている人たちなのです。
いやなこともあったけれど、たくさんの恩人がいる町でもあります。

どこの出身であっても、人がふるさとを思う特別な思いは同じ。

そんな思いを胸に、竹内さんは、ふるさとの人たちといっしょに、ご自分の作られた歌を、歌われたのでしょう。
そして、私も、そんな思いで聴きました。
ほんとうに素敵な曲です。




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