清濁混交フリートーク

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管理人:観月伽耶、白利

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正しさの証明は難しい

2005年10月23日 16時26分31秒 | Weblog
 嘘、間違いであるという証明は簡単です。一つでもいいから例外を見つければいい。でも、正しいという証明は、厳密にはすべてをしらみつぶしに検証した後でないとできないはずなのです。
 …というような話を最初に聞いたのは『宇宙人はいない証明の難しさ』だったか『神はいない(以下同文)』だったか『あの世は存在しない(以下同文)』だったか。

 それらと同様に、『現実は真実であるか』という証明というのも相当な難題だと思います。

 私たちはあるがままを見ていないし、あるがままを聞いていない。
 網膜に映る像は視力に関わらずぼやっとした逆さまのもので、脳で処理しなければクリアで上下が正しいものにはならない。(だったらちょっとぐらいピント機能が狂っても調整して欲しいもんだが)
 自分の部屋の音を録音・再生すれば、聞こえていなかったざわつきがずいぶんたくさんあって驚くだろう。
 感覚はいいかげんなもの。しかし私たちはその感覚を通してしか世界を、自分さえも把握できない。
 さて、私の思う現実は、本当に現実なのか?

 脳科学だのバーチャルリアリティもののSFだのにはまる前、子供の頃にも似たようなことを考えたことがありました。
 たしかきっかけは、うっかり休みの日に習字教室に行ってしまったことだったかと。
 それ以降ときどき、『私は本当にここにいるのだろうか』という不安が。たとえば、実は習字教室に来てみんなと一緒に毛筆の練習をしているというのは妄想で、どっかすっとんきょうなところでひたすら習字をやろうとしてるんじゃないかとか。たとえば、病院のベッドの上とかで。あるいは、体育の時間でサッカーをしていると思ってるけど、真実はどこかで一人馬鹿暴れしてるんじゃないかとか。

 最近はさすがに(というか、当時も)そんなことを100%本気で思っちゃいませんが妄想と現実の線引きは難しいと思います。あ、この場合は『想像・理想の世界と現実を混同する』というどっかの異常性愛系犯罪者とは違う意味で。
 ただ、真実である証明は難しくても、常識で考えて妥当なこととおかしいことはあるわけで。いちいち真実かどうか悩んでいたらそれこそ気が狂ってるでしょう。
 でも、『何馬鹿なこと言ってるのくだらない』と一蹴せずにたまにはそういうことを考えるのも面白いんじゃないかと思います。
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1 コメント

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あるある、ありますね~ (Uジロー)
2005-10-27 00:03:34
トラックバック、ありがとうございました。



幼少の頃のそんな感じの経験、私もありますね。当時はかなりの実感をもって体感できたのですが、今ではその感覚をリアルに思い出すことは難しくて、やはり感受性が鈍った、ということなんでしょうか・・・orz

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