サラの苑 院代崇正のブログ

久留米へ
今日は打ち合わせのため、霊園主任と一緒に福岡の久留米というところに

行ってまいりました。

久留米は実は熊本と意外に近いということが分かりました。

でも、打ち合わせのみで良いところを発見する時間がありませんでした。

が!ラーメンだけはいただきました。

やっぱり久留米ラーメン!

いやー、美味しかった。

ナビで調べて行ったのですが、正解!!

大砲というところだったかな?

結局、一日仕事になりましたが、主任がほとんど運転してくれたので、助かりました。

さあ!これから新しいことがどんどん始まります。

お困りの方に安心していただけることを一番の喜びとして頑張っております!

また、皆様にご報告ができる時がくるよう、精進いたします。


それでは。



※主任、お休みだったのにお疲れ様です!!

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秘密の撮影
先日、ある撮影が行われました。

菩提樹苑の絶景・見事な新緑をおさえることができました。






カメラはカメラでも一眼レフカメラの動画モードを使っての撮影。これで雰囲気が全然違うのだそう。


撮影といえばこれ!!


監督、かっこうぃ!!


主任も立ち会い。



まだ、なんの撮影かわからないでしょう???


お楽しみにー!!




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小倉へ
今日は、ある霊園の社長様とお会いするため福岡の小倉に出向致しました。

新幹線で行けば、何と一時間もかからずに到着。

駅までは、お迎えにきていただきました。

いろいろとお話しをする中で、とても勉強になることを教えていただき

良い意見交換をすることができました。

私は、僧侶でありますが、こうして仏教以外の方々とお話することをとても大事にしています。

私の凝り固まった頭を柔軟にしてしてくださるのは、案外こうした方々との交流による部分も

大きいのです。

仏教と言っっても、実は中にいるものより、外にいる方の方が全く新しい価値を見出されていることも

少なくありません。



また明日より新しい私が始まります。

※昨日まで、一家三人みんな高熱を出しピンチでした😂

でも、三人で協力して乗り越えました。家族の力を感じました。

お父さん、倒れてられません! 家族を守るのだー!!

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月例総供養法要
本日は、サラの苑の月例総供養法要でした。

弟子の宗良君が、初めてデビューする記念すべき法要でした。

本人は、大分緊張していたようですが、立派に勤めてくれました。

なかなか法話も上手で、私なんぞよりよっぽど・・・。



来月は、6/3ですので、皆様のご参列をお待ち申し上げます。



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しらぬい荘へ GO!
昨日は、特別養護老人ホーム「しらぬい荘」に行って参りました。

素晴らしいつつじ群



がお出迎え。



入居者数も大変多い、とても大きな施設です。


こちらとのご縁はとても古く、私の祖父の時代からのご縁です。

こちらで亡くなられた方々の菩提をお祀りすることと、創設者様の菩提をお祀りすることを

祖父の時代より続けております。

その歴史がわかるものがこちら



代々続くこちらの過去帳。

こちらで2冊目だそうですが、最初のページは祖父の字なんですね。

とても、実直な字を書かれる方で、そのお姿が現われるようでした。


お参りの後、いつも少しお話をいたしますが、いつもながら私がいろいろと教えていただいて帰ることになります。

いつまでもお元気で、そして一緒にお参りいたしましょう!!




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仏の種まき


今日は、九州動物学院様へ教養講義ということで、学生さんたちにお話をさせていただきました。

少し難しかったかもしれませんが、「いのち」「死」についての考え方のヒントをお話しいたしました。

これから、いのちの現場に旅立たれる方としては、絶対に必要不可欠な問題だと思います。

答えを探すのではなく、「問い」と磨くことの大切さもお話ししました。

私が18歳の頃、いろんなことを思い悩み、そして決断していった自分自身の問題も重ね合わせると

自分自身もあらためて考えさせられます。


話す側と聞く側。

今回は私が話す側でしたが、わかっているということをお話しするというより、一緒に共通の問題として

お話しすることを心がけています。

お互い有限のいのちをいただいたものとして、無限のいのちを考える。

今はまだ、ピンとこないと思います。私もそうでしたし。そう簡単な問題ではありません。

でも、またどこかで思い返す時が来るといいな。仏の種まきです。


種まき、大事なことだなー。

それがいつ芽を出すかはわかりません。

一生芽が出ないかもしれませんし、今出るかもしれません。

すべては縁です。われわれの計り知れないところです。


今日は、お話を聞いてくれて、ありがとう!!



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若い子

今日の本蔵院


明日は、九州動物学院の講義に参ります。

やっぱり、若い子たちにお話をするのは楽しい!!

昨日は、祖母の話を書きましたが、年配の方々との話とはまた違った刺激が

そこにあります。

あー、同じことで悩んでいるんだ、こういうふうに考えるんだ、などこちらが考えさせられます。

明日は勉強させていただきます。よろしくね!!


写真は、納骨堂の位牌。毎朝、檀信徒各位の菩提をお参りいたしておりますと、

力が湧いてきます。不思議なんだな・・・


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つながり

今日の本蔵院

おばあちゃんとひ孫。


祖母は、大正11年。90歳。

まだまだ現役の裏千家の先生。

そして、檀信徒の方々からの憧れの人。

あのように年を取っていきたいだとか。


こうしてひ孫をを抱いて、何を思うのでしょうか。

90歳にしかわからない思いがあるのでしょうね。

だからこそ、年配の方を大切にしなければなりません。

最近特に思います。

ご挨拶をする、敬語で話す、席を譲る、お話を聞かせていただく、

そのすべてが先生みたいなもので、特に戦争という大変な時を生き抜いてこられた

世代の方です。

我々の世代がこの立場になったとき、何を伝えられるでしょうか。

何か情けなく思う気持ちもあります。

しっかり生きて、そして伝えていく。

これが大切です。


いつまでも、かわいい大ばあちゃんでいてくださいね!!





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九博

今日の本蔵院



九州国立博物館へ行ってまいりました。

今、平山郁夫さんの「シルクロードの軌跡」という特別展があっておりましたもので。




こういう本物に触れるという時間は大切だなとあらためて考えさせられました。

今、毎朝職員全員で「本物を知る」「神は細部に宿る」などの、コラムを転読し皆で共有の認識と感覚を養うことを

鍛錬しております。

私が率先して本物に触れないと皆にも言えませんので


九博の建築も素晴らしかった。

また、その中に入っているCAFEも良かった。

どこか一つでも抜け落ちていたら、それはゼロに等しいということになるんです。

細部に神が宿った時、はじめて感動を与えられるし、また自分自身も満足感を得られるのではないかと思います。


彼女も「はあー」と感心していました。



もうあちこち一人で歩いて大変。



床の青色の光が気に入ったみたいで、そこでしゃがみこんで奇声をあげていました。


彼女はまだよくわからないかもしれませんが、感覚として本物に触れるという機会を多く持ってあげたいなと

思っています。

連れてきたの覚えていてね



 写真は、今朝の朝勤行での宗良さん。学院の生活を崩さず真面目に取り組んでおられます。


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瑞々しさ

今日の本蔵院


「みずみずしさ」と読みます。

ある本を読んでいたら、瑞々しい人生、というような表現でした。
I
何か、美しくもあり、前向きでもあり、躍動的でもある。

そんな表現がいいなーと思いました。

でも、そんな悠長なことを言っていてはいかん!というような厳しい本ではあるのですが。



どんな人生もそれぞれにあります。でも、共通しているのは「死ぬ」ということ。

自分の周りをどんなに着飾っても、満足がいかないことは文明の発達のおかげで、人間も一応頭では

理解できるような世の中になってきているのではないですかね。

でも、人間が求めるのは、外にだけ。外しかむいていない。

暑い部屋がある。 → クーラーを入れる。

寒い部屋がある。 → 暖房を入れる。

この原理と同じように、他を変化させ自分を満足させる。これが人間の根っこにあるんですよね。

でも、もっと深いところに実は大きな不満足感が残っているのを、人間はなかなか自覚することができない。

ある意味、次から次へと欲求が出てくるのは、その不満足感からの叫びなのでしょう。

ということは、本当の満足というものはもっと違うところにあるということを、考えなければなりませんね。


最近思います。立派な電気類がたくさんありますが、あれって埋め立てゴミなんですよね。

何か虚しいですね。

人間が開発した便利なものって、最終的には埋めてしまえーってことでしょ?

お偉い大企業の社長様はどのようにお考えなのでしょうか?

埋めてしか処分できない商品を開発し、もっともらしく販売する。

もう、こういう時代もやがて終わるでしょうね。


他を変化させ満足を得る。これを仏教では外道といいますが、そうではなく本当の救いは内へのベクトルなんです。

エピクテタスという人は、奴隷で鎖に繋がれてもなお自由だったといいます。


本当の自由


命が尽きるまでに、「これ!」というものがつかめるのでしょうか?

それを求めてこその、与えられた命なのでしょう。



写真は、別院のお花たち。今日は世間のお休みということでたくさんの方々がお参り来られました。瑞々しい




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