創価学会の信仰に功徳はあるか?

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399.著作権法のメモ書き、随時更新

2017年04月29日 23時16分14秒 | 日蓮系遺文
 私は著作権法の専門家ではなく、調査が足りないかもしれませんが、著作権法についての今の認識は以下のとおりです。
ご質問やご指摘は大歓迎です。

メモ書き、随時更新します。

●根本的な問題は何か?

 根本的な問題は、「創価が御書全集を作る時に何かの本を底本にするのは良いのです。
しかし、許可を取らなかった事が問題」だと私は考えてます。
当然、何を底本にしたかを元本名を序文などに明記し感謝する必要があったと思います。

●許可を取っていれば?

 例えば創価学会の御書全集が複数の許可をとっていて証拠が残っていれば稲田海素さんが十でも二十でも遺文集を著作していても、他宗、他の出版社から遺文集が複数出ていても学会側は問題にされないと思います。
現時点で、遺文集出版の比較検討から序文や奥付に明記するのが世間の一般常識だと思われます。

御書全集を作る時に例えば◯◯出版社の□□□本を底本にしました、と明記していれば
問題は起こりません。
底本元は複数あっても明記すれば問題ありません。
もちろんそれぞれの書籍の著作権者からの了解や許可が必要でしょう。
更に言うと昭和新修、霊艮閣版、行道文庫版それぞれを見るかぎり日蓮宗の方々の協力関係や仲の良さが読み取れます。
どこかの大きな石の地方とは大違いですな。(笑)

例えば昭和定本の凡例などに底本だけでなく参考文献が複数あります。
念の為に複数の資料をチェックして昭和定本は編さんされているのでしょう。

出版業界の常識なのか、仏教系遺文編さんの常識なのかは分かりませんが、
過去記事に何度も書いてきたとおり、日蓮宗系の遺文には序文などに底本名や編集者、功労者の名前があります。
場合によっては、資金協力した信徒さんまで名前が掲載されている場合があります。

この点でも堀日亨、戸田城聖の良識や常識が疑われます。
堀日亨は名義貸しをしただけで、一切関わってないと私は考えていますが
御書全集出版以降、堀日亨がそれを読まなかったこと、創価学会に注意しなかったのは、かなり大きな問題だと思います。
堀日亨死後、他の日蓮正宗の坊主にも同じ問題があると私は考えています。

日蓮宗の優秀なお坊さんは稲田海素さんだけではありません。
図書館などで昭和定本の奥付を参照して下さい。
(堀日亨の名前もあります。此の記載について正宗系の人と議論する気は一切ありません。)
学会批判をする都合上、創価のオジちゃん、オバちゃんに分かりやすいように、稲田海素さんなど、人物を限定して記事にしています。

●御書全集の盗用元は一つか?

 御書全集の盗用(または剽窃。以下、本記事では盗用と記載)元は一つではありません。

霊艮閣(蔵)版、行道文庫、A。現時点で3つは確定。
大正類さんが疑惑レベル。他にも元本が不明な日蓮遺文が複数あります。

●許可はあったのか?

 創価学会本部側の反論がありませんが、現時点で手元の資料、過去記事に書いてきた内容から推測すると
「創価が各遺文集の著者や日蓮宗などから許可、了解をとっていないのは濃厚」
だと私は考えています。御書全集の戸田城聖の序文、編年体の序文なし、398などの過去記事、昭和二十年三十年四十年の聖教新聞、学会系の書籍、他に二〇〇〇年代に入るまで日蓮宗はずっと邪宗でした。これらが証拠といえると思います。

●日蓮系の僧俗の皆様方から複数の証言が欲しいです。

393-9.【年表と著作権法違反】御書全集(全ての版)その9 - 創価学会の信仰に功徳はあるか?

ここで触れましたが、日蓮宗のお坊さんは「学会版御書全集が霊艮閣蔵版の本文をパクったものであること」を知っていて言及していました。許可が無かった証拠(証言)の一つです。

他に知っていたお坊さんがいても不思議ではありません。
こうした証言は私にとっては日蓮系の僧俗の皆様方から複数欲しいところです。
どうかどうか宜しくお願い致します。

●ようやく本題

 行道文庫版の場合、年表に西川景文さんの名前があるので、著作権法上、西川景文さんの死後五十年は保護期間です。よく名前を明記してくれたと思います。さすがです。西川景文さんと他の方々。

 昭和定本は四巻まででており、四巻は一九八八年(昭和六三年)ですから公開から五〇年だとしても、さきのことです。一巻は昭和二七年に出ていますが、四巻が出た場合、一巻も二〇三八年まで保護期間になるようです。著作権法を読むと複数巻出て団体名はあっても個人名のない場合は、こうした計算のようです。

 個人名のある場合はどうなのでしょうか?昭和定本の奥付をみると編さんチームに複数のお坊さんの名前が明記されており、個人名がある場合は各人の死後五〇年、最後に亡くなった方の五〇年先までが著作権保護法の期間です。
個人名がある場合はこちらが適用されるそうです。

「本化聖教(天)日蓮聖人御遺文 霊艮閣蔵版」は「霊艮閣版 日蓮聖人御遺文 山喜房仏書林」として昭和四二年に改訂版が出ています。以降、出版されているのか改訂があったのか調査中です。
相続人不存在で途中で消滅するケースが有り、霊艮閣版の著作権は消滅しているかもしれません。
ご存じの方がいれば教えて頂きたく宜しくお願い致します。
出版社の方ではわからないようでした。

●著作権法の改正

 一九七〇年(昭和四十五年)に著作権法の改正がされています。
行道文庫版は一九七二年(昭和四十七年)に改訂されているので、私の指摘に問題はありません。

 昭和定本は上記のとおりです。

 御書全集は改訂されて一九七〇年(昭和四十五年)以降も出ています。
それ以前の初版が出た一九五二年(昭和二七年)〜一九六九年(昭和四十四年)に出た御書全集については犯罪であるとの指摘や立件はできないのかもしれません。
一九七〇年(昭和四十五年)を超えて過去に遡る場合、どうなるか私には分かりません。

しかし、戸田城聖達が盗用した事実は厳然(学会員はこの言葉が大好き!)とした事実です。
過去記事に書いたとおり、その責任は個人でなく宗教法人創価学会にあります。
また「日蓮宗の遺文集に著作権では何の問題もありません。」ところが「盗用(または剽窃)問題」を始めとして、社会的道義的な責任問題や複雑怪奇な問題が数多くあるのは学会側ばかりだと私は思います。

創価は自分たちに都合のいい時は日顕、日蓮正宗、他宗、退転者、批判者の過去を問題視するくせに、自分たちの過去は一切、問題視しないのですから呆れます。

 編年体は一九七三年(昭和四八年)に初版が出ていますから、先の記事に書いた盗用は違法だと私は思います。
皆さんはどう思いますか?

以上

'170430
いくつか追記した。
●ようやく本題
●著作権法の改正

'170501
誤記と修正
出版社の方ではわからないようでした。
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