創価学会の信仰に功徳はあるか?

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02.入信編 その1

2006年01月05日 23時31分56秒 | 創価学会
 はじめて創価学会を知ったのは未入信の(1985年前後)高校生の時です。友人の某君に誘われて高校生向きの会合に誘われたのがきっかけでした。その時は電話で誘われ、楽しいだか面白いだか、何をいわれたのか殆ど覚えていませんが、ちょうどその時は暇だったのでしょう。軽くOKしてしまいました。両親から「そんな会合に行ってはいけない。」と注意され、自分も「そんなの入らない、とか入信なんかしない」などと返事した覚えがあるので、創価学会の会合だと某君から言われたと思います。

 会合の場所に行って確かぼろぼろの建物、バラックだったと思いますが、入っていくと、自分と同じ町内の幼馴染みM君がいました。私以外にも部外者の高校生が一人いました。たしか某君の親戚のA君(名前は忘れてしまいましたのでA君)の友人だったと思います。
 このM君とA君にはネタがそれぞれ一つあります。これも本題の功徳論がテーマで、当然、彼らの不幸な姿、言動なのですが、時間軸が曖昧なので何時書き込み出来るかわかりません。
 お題目らしきものを周りの人が唱えて当時は未入信なのでびっくりして違和感を感じました。確か自己紹介をして、なぜか拍手とかがあって、会合の最中に某君から「歌でも歌わない?」とか言われた覚えがあります。もちろん知ってる人は某君とM君だけであとは知らない高校生と大人ばかり、歌う訳がありません。(笑)

 そしてここからが本題、会合が終了する時にさしかかって、お茶とお菓子がテーブルに出てきたのを覚えています。10人前後の高校生全員がものすごい勢いで飛びついてお茶菓子をGETしました。あっけにとられた私とA君の友人は呆然(笑)。
 私は何も差し出される事もなく、結局、何も食べず、飲む事もなく帰った覚えがあります。つまり自己紹介して会合を盛り上げる為に歌を要求され、自己紹介以外、特に何も発言しないので、来た意味が分かりません。目の前でお菓子とかもらえずにちょっと腹が立ちました。
 どうしてこのことを今でもはっきり覚えているかというと、食べ物恨みは怖い、ってやつです。次の日に某君に「何をしに言ったのかわからない、それと、お菓子など、お客に失礼じゃないか?云々」と苦情を言うと、返って来た答えが(担当者か責任者に)「言っておくよ」という物でした。彼自身が謝った訳ではありません。学会は常にリーダー教育され人格を磨くように創価班や牙城会でいわれますが、まぁ子供だからしかたないですね。しかしこの某君、これからブログに書いていくと思いますが、残念ながら今では尊敬出来る人間ではありません。
某君はこの頃から高校生の幹部だったわけですが、今でも幹部です。
 普通はお客に分けておくか、誰かが別に取り分けるかする物でしょうが、学会の底辺信者や部外者を見下す体質はこの頃から有ったと思います。
 もちろん創価班では一人一人の会員を大切に、がモットーですけど。

 今でも高校生の会合はあるのでしょうか?そして部外者を連れ出しているんでしょうかね?高等部などの担当になったことがないので判りません。少なくとも未来部の小等部では2,3人が親と一緒に参加して、部外者は誰もいないってのは知ってますけどね。
 どうなんでしょうか?

2006.01.07 タイトル変更。

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