創価学会の信仰に功徳はあるか?

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418.日蓮「余は二十七年」神戸製鋼は四十余年!?創価は何年か?(その2)

2017年10月29日 00時14分43秒 | 創価学会
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●日蓮遺文「余は二十七年なり。」

日蓮宗の昭和定本2巻1672ページ 聖人御難事(真蹟:中山法華経寺)

(c)2003日蓮宗
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清澄寺と申寺諸仏坊の持仏堂の南面にして、午時に此法門申はじめて今に二十七年、弘安二年[太歳己卯]なり。仏は四十余年、天台大師は三十余年、伝教大師は二十余年に、出世の本懐を遂給。其中の大難申計なし。先々に申がごとし。余は二十七年なり。

(訳)
清澄寺という寺の諸仏坊の持仏堂の南側で、四月二十八日の正午に法華信仰を説きはじめてから、今弘安二年(一二七九)にいたるまで実に二十七年になります。釈尊は四十余年をへて本義である法華経を説かれ、中国の天台大師智宮は三十余年、日本の伝教大師最澄は二十余年をへて、それぞれ出世の本懐をとげられましたが、それまでの間に言葉ではいいつくせないほどの大難があったことは、前々から日蓮が申し上げているとおりです。そして、この日蓮もまた二十七年間の法華経弘通の間に、いかに多くの大難にあったかはすでにおのおの方が承知されているとおりです。
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 日蓮宗の解釈では「法華経弘通」が”出世の本懐(しゅっせいのほんかい)”である解釈のようです。日蓮在世時に存在しなかったであろう大石寺大御本尊を出世の本懐としていない解釈と思われます。

出世の本懐とは、お釈迦さんがこの世に生まれ出た真の目的のことです。衆生(しゅじょう)を救済し座禅で悟りに導くことが目的とされます。
日蓮さんの遺文一つに複数の解釈がなされることがあります。
日蓮宗の出世の本懐は「法華経弘通」、日蓮正宗の出世の本懐は「大石寺の大御本尊の図顕」となっています。

余は二十七年なりを「大石寺の大御本尊の図顕」と限定してしまうと、二十七年目の一年だけを最高点と考え、他は軽視されるか見落とされがちです。
仏は四十余年の解釈に「五時八教で最後に法華経が説かれた。究極の教えは法華経で他の経典は不要」を前提とするので間違いが生じるわけです。
現代では「五時八教」と「法華経が究極の教え」は誤りです。
二十七年目の一年だけの点ではなく、「法華経弘通」の二十七年間を重視すべきでしょう。
(間違いだらけではありますが)二十七年間の過去に書かれた日蓮遺文の五大部十大部も見落とされないでしょう。

個人的にですが、余は二十七年なりを点でなく期間で捉えるだけでなく、他の仏教学の軽視されがちな期間の要語でも意味を見出すことが古来からの仏教だと考えています。機会があれば書きたいと思います。

●補足

 日蓮正宗、創価学会の古い教学では日蓮が「日蓮正宗/大石寺の大御本尊を図顕したことが出生の本懐であり、本懐までに二十七年かかった」と解釈しています。以前は創価でも大御本尊の信仰と拝むことは必須でした。
現在の創価学会では教義変更され、遺文などの最低限の事実は認めながらも大石寺の大御本尊を拝む意義を強調しません。
(弟子の日興遺文によれば、大本尊の記述は存在しそれが大御本尊の可能性を示す学説もあります。がしかし失われた本尊であるとのこと。)

日蓮さんは悪いことをしようと意図したのではなく、鎌倉時代の人(ひと)としての限界があったのでしょう。
鎌倉時代当時、密教を完全に捨てませんでしが、天台法華に寄りになり根本仏教に近くなったことは評価すべきです。
現代人から日蓮さんの「聖人御難事」を見れば仏教を間違えたにもかかわらず、自画自賛しずぎということになると思います。

●まとめ

 神戸製鋼は40余年(四十余年)で不正を止めました。
日蓮さんは27年を振り返って自身に仏教的な意義を見い出し書き残しています。
創価の著作権法違反は65年も続き、現在も継続中です。「犯罪することと著作権法違反の遺文集を広めることが出世の本懐である」との池田大作名誉会長の大確信と伝統なのでしょう。

創価では聖人御難事に限らず多くの日蓮遺文で「この日蓮大聖人の御遺文には御本仏の大確信がぁ〜!!」なんてよく習ったものです。
創価学会員は確信、大確信という言葉が大好きです。世の中には確信犯という言葉がありますね。

以上

参考リンク
416.創価学会の著作権法違反について - 創価学会の信仰に功徳はあるか?

2017年11月6日 誤字脱字を修正
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