創価学会の信仰に功徳はあるか?

コメントする人は「01.創価学会の信仰に功徳はあるか?を書く前に」を読んでね。

396.【重要】創価学会がすべき謝罪について

2017年04月16日 10時58分03秒 | 日蓮系遺文
◎◎◎◎ 重要 創価学会がすべき謝罪について ◎◎◎◎

 一体何時、学会本部は公式に謝罪するのでしょうか?
謝罪もなく新しい御書を出版するか修正版を再版するんですか?
謝罪なく、また出せば末端の会員はますます信用されないでしょう。

元々信用なんかされて無いと私は思います。

本来であれば、明治時代、大正時代、昭和初期に出た全ての日蓮宗の遺文集の調査を行い、現在の学会本部が昭和当時の創価学会教学部がどの様に盗用剽窃したのかを徹底調査すべきです。
更に日蓮宗の風間さん、加藤文雅さん、稲田海素さん達の遺文集作成の苦労や履歴を創価学会として一冊の本にまとめ、謝罪を明記した上で出版する必要があるでしょう。
会員に無償で配り周知徹底させ、会員の自己判断で可能であれば周囲に謝罪させればよいと私は考えています。創価がお詫び登山した時に冊子を作っていますから似たような前例はあります。*1
(日蓮宗には遺文集作成の経緯や記録を書いた本があります。詳細を記事にするかは未定)

-------'17/04/20-------
*1
一九七八年六月三〇日
創価学会は「教学上の基本問題について」(教義逸脱を是正)を発表しています。
「教学上の基本問題について」で検索のこと。
特別学習会テキスト内容一覧など。
-------'17/04/20-------

新しい御書を作成するのは、上記を終えてからでしょう。

南無妙法蓮華経と書かれた本尊に祈る際、「現世過去世の謗法の罪をお許し下さい。」と祈念しろと学会本部で私に指導し、また、勤行要典や出版物にその旨を学会側が書いたではありませんか?
創価学会によれば、人間生命は皆、南無妙法蓮華経の仏性を持っているのであり日蓮遺文の「此御本尊全く余所に求むる事なかれ。只我等衆生法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱る胸中の肉団におはしますなり。」(行道文庫版 日女御前御返事 一二九三ページ)を信じてないのですか?
学会本部は会員、元会員にすら謝罪できませんか?

更に写真製版で見えづらくなっている行道文庫版の手直しの資金を創価学会から上限なしに提供すべきでしょう。
創価学会が行道文庫版の編集方針に口を出すことなど絶対にあってはなりません。
稲田海素さん達、日蓮宗関係者への謝罪として昭和定本の編さんへの資金提供もあって当然でしょう。

学会版の新しい御書を準備するにしても、これらを終えてから取り掛かるのであれば社会的責任を果たしたといえるでしょう。

私に対しては、創価から謝罪がなければ指導料として10億円、謝罪があれば5億円頂ければ幸いです。公認会計士か弁護士に仲介を頼みますので、メアドまで御連絡下さい。>学会本部
創価学会にとっては大したことない金額だと思います。
後述しますが、何の罪悪感もなく今までどおり、これからも会員から御供養を貰えばいいのでしょうから、すぐに回収できるでしょう。
謝罪や入金をブログには書かないことを考慮しても良いので、ご検討下さい。

●今後の予想

 私のように病気や悩み事を抱えた人間から(通常の会合を除き)創価班などの無報酬労働や選挙活動、著作権保護法違反した御書や改ざんの日寛本尊を買わせて平気なのだから酷いと思います。

創価学会は謝罪しないで今後も学会本部としての活動や御書修正などを進めると思います。
日蓮宗関係者にしたのと同様、私に謝罪やお礼も明記することなく、無断で勝手に私のブログから「とうよう」し御書を作成するのでしょう。とうよう哲学研究所があるくらいですからね。

本来であれば、聖教新聞紙上で私へ謝罪と感謝を書いて欲しいですが、学会本部に謝罪のスキルがないから出来ないでしょう。(小樽問答、大御本尊、二〇一四年の教義改正、邪宗よばわり等々)
ブログ名「創価学会の信仰に功徳はあるか?」とハンドル名「創価学会嘘つき」は無償で使ってもいいですよ。
宗教の平等性ではありませんが、心理学や常識などから、私のブログでは誰々さんとして特例な人を除き、さん付けしています。これくらいは付けて欲しいところです。

そううそ、米山士郎、soukagakkai_usotukiなどのハンドル名使用は創価学会本部、聖教新聞などには許可しません。「不許使用」と四角でかこって書かないと理解できませんか?

とうよう哲学やとうようの血脈相承、とうようの師弟不二は創価という濁流に厳然と輝いていると思いますが、皆さんいかがでしょうか?

病気や悩み事を抱えた人を騙した人は宿業によって病気や悩み事を抱えるのが創価仏法の道理ではなかったのですか?

普通の人であれば、申し訳ない気持ちで一杯になるのが当たり前です。平気でいられるのは、学会本部側などの教える側の人の場合、嘘を教えることに慣れてしまったからでしょう。(教えを受ける側は少し異なります。)
普通の精神や宗教心、生活環境から学会本部に放り込まれれば、躁うつ病や統合失調症など精神病になっても不思議ではないと思います。様々に本を読んでいると宗教関係者が精神病になるのは、心と体の防御反応の事例があるようです。
人の不幸を笑ったり、あげつらったり、現実や矛盾や他人の気持ちなどに無関心な人は、実は信仰心が全く無いか冷酷な人だと私は考えています。

以上

-------'17/04/20-------
追記。
コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 395.状況を分かってないのは... | トップ | 創価学会は仏 日蓮正宗は魔 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

日蓮系遺文」カテゴリの最新記事