HAKATA PARIS NEWYORK

いまのファッションを斬りまくる辛口コラム

伊勢丹騒動の余波と影。

2017-03-29 07:30:05 | Weblog
 ニュースとしては旬を過ぎた大西洋三越伊勢丹ホールディングス社長の辞任。一般紙はじめ、経済紙誌、流通系メディアの多くがその経緯と行く末を論じているので、ここで改めて語ることもないと思う。

 ここは福岡の百貨店に絞り、社長辞任騒動の余波と忍び寄る影を考えてみたい。主人公はまず「岩田屋」である。同社は長らく地域1番店として君臨してきたが、拡大路線で有利子負債が300億円に膨れ上がり、2002年に経営破綻した。

 2009年、三越伊勢丹HDが同社の株式を取得して完全子会社にしている。10年にはその岩田屋が三越グループの「福岡三越」を吸収合併し、(株)岩田屋三越が誕生。店舗は岩田屋、福岡三越に分かれ、営業している。

 岩田屋が破綻したきっかけは、流通戦争に巻き込まれたことだ。福岡は博多を中心に商業発展したことから専門店の力が強く、岩田屋のシェアは意外に低かった。ところが、大型商業施設が開業する度に、域外資本の専門店、専門業態が続々と進出し、それらに対抗するために岩田屋がとった拡大路線が裏目に出てしまったのである。

 NTT福岡ビル再開発事業に核店舗として出店した「Zサイド」の失敗がそれだ。1989年、岩田屋の社長に就任した創業者中牟田喜一郎氏の長男、健一氏は、西日本鉄道が進める再開発事業「ソラリア計画」で、新福岡駅ビルへの出店に失敗。地元ではこれが岩田屋凋落の元凶だとの見方が多数を占める。

 中牟田健一社長は、喜一郎氏から「俺の頃は日本の小売りがどうなるかわからなかった。お前は自分の店だけ考えればいいんだ」と言われ、全幅の信頼を得ていたわけではない。それゆえ自分の力を示すには、どうしても独断専行になってしまう。西日本鉄道との関係がこじれたことは、むしろZサイド出店に突き進む格好の理由になり得たのである。


すべての施策で成果を出せない

 Zサイドは1996年秋に開業した。店舗はファッションを主軸に置き、MDはブランドではなくライフスタイル・テースト別の編集で、主要ターゲットは「25歳から39歳までの働く女性」。中核をなすキャリアゾーンでは、95年から実施している「買取・自主販売」がほぼ100%導入された。いろんな面で新基軸が打ち出されていたのである。
 
 ただ、キャリア畑出身である筆者の目には百貨店系アパレルをむりやり集積し、手当たり次第に取引可能なブランドをかき集めたとしか映らなかった。単にメーカー企画の商品を買い取っているだけだから、素材やデザイン、仕様におけるオリジナル提案がない。目の肥えた大人の女性に対し、価値訴求の弱さは一目瞭然だった。

 筆者はその年の年末、東京出張した時に中牟田社長と同じ飛行機に乗り合わせた。モノレールも同じ便だったため、浜松町に着く間に「Zサイドの状況はどうですか」と聞いてみた。すると、「洋品やバッグが売れている」との答えだった。「服はどうですか」と再度聞くと、「まだまだ」と返答された。

 角度を変え、「ミラノのセレクトショップから独自で導入したという『クラン』は、テイスト、サイズ感で岩田屋の顧客層に合わないのでは」と、直球で質問した。「クランは売りにつなげるというより、セレクトショップのシステムを研究するために導入した」との返答だった。プレスプレビューの時から「あれがセレクトショップなのか」と懐疑的だったが、その疑問に対する明確な答えは中牟田社長から聞き出せなかった。

 もっとも、キャリアゾーンで買取・自主販売を貫くには、プロパーで売り切らなければならない。その場合、建値消化率は70%は必要なのに、ふたを開けてみるとそれも達成できず仕舞い。「まだまだ」がそれを表している。ターゲット設定も、買取・自主販売も、Zサイドには重荷になったということである。

 セレクトショップについても、当時はユナイテッド・アローズやビームスが伸び始めていた時期だ。しかし、クランはコンテンポラリーなアイテムばかりで、サイズがタイト。フラットなMDでUAやビームスのような奥行きはない。研究するといっても、自前でマーチャンダイザーやバイヤーを育成していないのだから、売れるはずもないハコを置いてもしかたないわけだ。

 中牟田社長はZサイドのロケットスタートが失敗したため、今度はコンサルタントを入れて人時管理に手を付けた。LSP(レイバー・スケジューリング・システム)というもので、過去1年の実績から集計した日別・時間帯別の「予測来店客数」に対し、「販売員1人あたり何人接客できるか」という基準をもとに必要な販売員数を割り出し、効率よく配置していこうとした。

 確かに業績悪化で安易にコスト削減に走るのは、短絡的な考え方だ。しかし、販売態勢が整備されたからと、急に「販売力」がつくものではない。そこで並行してSIP(セールス・インプルーブメント・プログラム)という販売力強化プログラムをスタートさせた。3カ月単位で販売員のスキル分析から教育トレーニング、成果・検証を行い、次ぎの目標設定まで段階的な教育指導を行った。

 ところが、どちらも実効性を発揮したとは言い難い。買取・自主編集を導入する前は、メーカーや問屋から商品を持ってこらせ、販売までさせていたのが実態だ。凝り固まった百貨店の因習が1年や2年で激的に変えられるはずもない。中牟田社長がいくら号令をかけたところで、辛うじて伊勢丹系の恩恵でブランドを確保してきたわけで、マクロでファッションを見ることなどできるはずもない。

 流通戦争を勝ち抜く上で、その程度の施策では非常にお粗末なのだ。でも、三代目のボンボンにそれを助言する取り巻きがいなかったこともあるだろう。結局、一番稼ぎ頭のファッションで、収益を上げられないなら、破綻の道を歩んでもしかたない。実際、その通りになってしまった。


1000億円超えのJR博多シティは脅威?

 岩田屋は伊勢丹主導による再建策で、旧来の委託販売にシフト。Zサイドを本館にラグジュアリーブランドを集めた新館を加え、全方位的MDで売上げを回復させた。80年代に実施されたCIのロゴマークはかつての「角岩」に戻され、三越伊勢丹HD傘下でも岩田屋の暖簾は存続された。創業家の中牟田家にとっては、全く皮肉な結末である。

 岩田屋の業績(三越伊勢丹HDデータバンク)は、 2013年度が715億円、14年度が699億円、15年度が739億円。こちらはインバウンド消費の影響が色濃く出た形だが、おそらく16年度決算では反動減が現れるだろう。ただ、岩田屋が躓き、破綻に追い込まれた流通戦争に終わりはない。侮れないのは11年に開業した「JR博多シティ」の存在である。

 同館はショッピングセンターのアミュプラザ博多、トラフィック業態、飲食専門店街を集めたアミュエスト・博多デイトスやデイトスアネックス・コンコース、百貨店の博多阪急からなる。平成27年度の昨期は売上高1035億円(アミュプラザ博多382億円、アミュエスト他214億円、博多阪急439億円)で、過去最高の売上げを達成。今期も増収増益は間違いないと思われる。

 博多駅はJR、地下鉄を加えると、1日の乗降客が34万人を超える。こうした状況を追い風に開業5年目での1000億円超えは快挙とも言える。ただ、JR九州は分割民営化の時、三島会社として鉄道事業は期待をされず、現在も赤字のままだ。経営安定基金も低金利の影響で運用益に依存できない。残る不動産事業に軸足を移したことで、ようやく好業績を上げることができ、昨年には株式上場にこぎつけた。

 つまり、JR九州がデベロッパーとして、駅ビルに核店舗とテナントをバランス良く配置し、福岡で1000億円市場を開拓したのは、岩田屋三越はもちろん、三越伊勢丹HDとしても決して無視できないはずだ。にも関わらず、岩田屋も福岡三越も階上のファッションフロアでは休日でさえ客数が少ないことをみれば、現状のアパレル部門で売上げを伸ばし、挽回するのは無理に近いと思う。

 三越伊勢丹HDとしても一等地に店舗を構えて、年商1000億円程度で御の字とはいかないはずだ。最終的には同社の経営判断になるが、J.フロントリテイリングや高島屋が不動産事業をしっかり収益基盤としていることを考えれば、地方百貨店に対してとるべき戦略は自ずと限られてくる。

 杉江俊彦三越伊勢丹HD新社長は、「不動産部門できちんと収益目標をもってやっていく(流通ニュース3月13日)」と語っている。福岡の場合、岩田屋も福岡三越も他社物件の店子だから、この方向性には該当しない。しかし、デベロッパー事業も含まれると拡大解釈すれば、「場所貸し」に徹して収益を高めるという「英断」もあり得るはずだ。

 そう考えると、対象となるのは岩田屋より「福岡三越」の方が先かもしれない。天神には他にJ.フロントリテイリング傘下の福岡大丸があり、ジリ貧の百貨店が3つというのはオーバーストアと見られるからである。


天神に百貨店は3つも必要なのか?

 福岡三越は1997年秋に開業した。最上階の9階に催事場、ギャラリー、書店を置いてお客を階下に下ろすお得意のシャワー効果に期待されたが、福岡では当時から大した効果を発揮していない。リニューアルでは9階に「コムサスタイル」を導入したものの、これも失敗し、インバウンド消費に期待した免税品販売も先行きは不透明だ。地下1階のファッションフロアの3分の2を雑貨とインテリアのコーナーに変え、1階の南側にシーズン雑貨とシューズを充実させて、何とか持ち堪えている状況と言える。

 西鉄福岡駅という立地で集客の優性性はあるが、三越というブランドは支店経済の福岡と言えど、それほどの力は無い。単体の売上高は2013年度が328億円、14年度が304億円、15年度が309億円。こちらは閉鎖された千葉三越の2倍程度を誇るものの、雑貨や靴頼みのせいか売上げは下降気味だ。百貨店ビジネスが陳腐化している中で、構造改革の本筋に照らし合わせるなら、対象にならないとも限らないのである。

 理由はいくつか考えられる。一つは、当初、西日本鉄道が福岡駅ビルを開発した時、岩田屋が出店を断念した一番の理由が「家賃」と言われる。それは福岡三越とて変わらないはずで、年商300億円程度では重荷で利益率のアップは見込めないのではかと思う。

 二つ目は、テナント契約の条件が「百貨店」となっているにしても、 西鉄にとっては家賃収入が増えた方が良いということ。人口減少で鉄道事業が厳しくなるのは、西鉄も同じだ。ならば現有不動産を有効に活用するのは当然のことだろう。福岡三越が場所貸しに徹底しようが、西鉄が直接テナントビルを運営しようが、ルミネやアトレといった駅ビルの事例を見ると、現時点での正攻法は限られてくる。

 三つ目は、中間層の没落や若年層の貧困などで百貨店を取り巻く環境が厳しいことだ。天神には他に岩田屋の他にJフロントリテイリング傘下の福岡大丸があり、さらに福岡三越まで必要なのかは疑問が残る。宝飾品や服飾、コスメ、菓子や惣菜、雑貨を集めるなら、テナントビルでも十分に対応できるからだ。

 天神は西鉄福岡駅と地下鉄福岡駅があり、それぞれ1日の乗降客は13万人、12万人を超える。さらに西鉄福岡駅ビルは路線バス、高速バス、高速道路のネットワークも充実。福岡市の人口が150万人を突破する中、マンションが増え続ける南部、西部から短時間でアクセスできることなどを考え合わせると、博多駅以上の集客力をもつ。こうした市場特性を考えると、陳腐化した業態ではポテンシャルを生かしきれないと思うのだ。

 また筆者のように天神が生活圏になれば、わざわざ博多駅に買い物に行く必要はない。そんなお客は意外に多いと思う。100円ショップからドラッグストア、スーパー、家電と日常の買い物は何でも揃い、飲食含めたサービス機能は博多駅より格段に優れている。目下、手に入らないのは高感度なファッションや趣味的な商品である。だから、もっぱら海外のサイトを含めネットに頼らざるを得ない。

 地方百貨店は三越伊勢丹HDにとって子会社に過ぎず、組織的な商品調達力などは皆無だ。高感度なファッションや趣味的な商品を求める潜在的な客層を岩田屋や福岡三越が取り込むとはとても思えない。人口減少、競争激化、業態衰退という中で、杉江新社長が大西洋前社長の構造改革を踏襲する以上、岩田屋も福岡三越も決して安穏とはしていられないはずである。

 おそらくそう遠くない時期に地方百貨店の流通は完全に細り、百貨店系アパレル共々追い込まれるのは間違いないと思う。岩田屋や福岡三越が看板を下ろそうが、業態転換しようが、ファッションを求めるお客は確実にいるわけで、需要がなくなるわけではない。だからこそ、どんなアパレル商材を提供して生き残っていくのか。そのための施策を業界を含めて今から考えておかなければ、岩田屋や福岡三越も百貨店としての存在は、危うくなると思う。


 
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