相場博士(ファンドマネージャーのテクニカル分析)

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1998年の悪夢 ① - 外債が害災になった年

2006-05-07 13:32:23 | 相場体験談
1998年の悪夢 ① - 外債が害災になった年

最近ようやく外国為替相場も動き出してきていますが、昔のボラティリティに比べたら、可愛いものです。

今日は、2月6日の記事『相場の洗礼』のときにご連絡した一日に10円以上もドルが下がる日が二日も続けて起こった話を書いてみたいと思います。話が長いので二回に分けて書きます。今日はその第一回です。

1998年の強烈な相場展開。1998年の悪夢①です。

1998年はロシア危機、LTCMの破綻があった年です。市場参加者は損失を他の資産でカバーしようと順番に利食い売り合戦が始まりました。外株→外債→米国債→円債といった具合です。とりわけ日本円は、円キャリートレード(円で調達して外貨に替えて投資する)が華やかな時代でした。損失の埋め合わせ的な利食い売り、円キャリートレードのレパトリ(円を買い戻して返す動き)、さらにその動きに短期投機筋が乗っかる急激な変動が一気に起こったのです。

1995年4月19日、1ドル79円75銭をつけたドルは順調に回復トレンドを続けていました。1997年5月に127円台から110円台まで調整をしましたが、1998年6月には146.75まで上昇。6月17日には日銀とFEDが円買い・ドル売りの強調介入を実施し、19日には133.60まで下げたのですが、ドルの先高感は消えず、8月11日には147.64の高値をつけたのです。しかし、その後はドルの上値も次第に重くなり、20日には終値で142.55まで下落。25日には144.77まで戻しましたが、9月には131.93まで下落しました。9月11日にザラ場で128.80まで下落後、ドルは10月5日135.76で引け、6日終値132.86を経て運命の二日間を迎えたのです。

1998年10月7日と8日は生涯忘れることのできない強烈な相場展開でした。

10月7日のドルの高値は130.76くらいだったと思います。しかし、その日の海外市場で一気に118円台まで急落。翌日8日の東京市場では一旦123.40まで戻す展開となりました。しかし、ソロスが123円台でドルのオファーを置いているとの噂が飛び回り、一向に戻す気配のないドルはズルズルと下げ続け、117円台に突入。そして一気に111.45まで急落したのです。その後、急速に買い戻しが入り、120円台まで戻したのですが、クリントン大統領が『日本の景気回復によって円高になるのは良いこと』との発言で再度ドル売りとなり、116円台まで再度下落する強烈な相場展開となりました。

このときの心理状態は言葉で上手く表現できるものではありません。足は震え、のどが渇く異常な感覚を覚えています。

続きはまた次回に書きたいと思います。