創価学会を卒業します!

学会二世。40代女。創価学会脱会宣言済み。これまでの日々を綴りながら、精神的にも完全に創価学会からの卒業をめざします。

学会活動+勤行唱題をやめて罰は当たったか?

2016-10-18 05:52:12 | 日記
毎日の習慣を変えるというのは、ちょっと勇気のいることですが、毎日の習慣だったからこそ、やめた後の変化もよく分かりました。
勤行とお題目をやめた私は、さらに時間と心に余裕ができるようになりました。
毎日朝晩の勤行と一時間のお題目、さらに願い事があるときはそのお題目が3時間にもなることもありました。
それを一切やめて、何か悪いことが起こるかもしれないという不安も少しはありましたが、
一週間経っても二週間経っても、何も悪いことは起きませんでした。
それどころか、余裕の出来た時間で本を読み、音楽を聴き、映画を鑑賞し、一日の時間のすべてを自分の自由に使えることに開放感を感じました。
勤行とお題目をやめてできた余裕は一日につき一時間半ですが、それが一週間、二週間と続くと、
何と大きな一時間半だったんだろうと思いました。
一日七時間から八時間は睡眠を取っている私にとって、一時間半は一日の活動時間の十分の一を占めます。
一日の活動時間が重なって人生となるのですから、学会活動をやめても私は人生の十分の一を創価学会に奪われていたことになります。
それをようやく取り返した、ということだったんだと思います。
時間が経てば経つほど、勤行もお題目も私には必要のないものだったと思えるようになりました。
朝の勤行の代わりに簡単なヨガをするようになると、気持ちも体調も良くなっていくように感じました。
また、生まれて初めて、自分から神社にお参りに行きました。
近所の氏神様の神社なのですが、とても清々しい気持ちになりましたし、罰も何もありませんでした。
今までいったい何を恐れていたんだろうと、不思議に思います。
今も月に一度程度、散歩がてらお参りしています。
入院中の父と母も、私が勤行とお題目をやめても、神社にお参りしても、そんなの関係無しに順調に回復し続けました。
当人たちはとてもお題目も勤行も出来る状態ではありません。
なので、我が家では誰も両親のためにお題目をあげていない状態です。
それなのに、二人はどんどん回復していきました。
アルコール依存症の父も、たまに勝手に退院すると言って家族を困らせることはありましたが(でも担当医と看護師さんの見事な連携プレーでいつも父は上手に説得されていました)、
入院前のあの酷い状態からしたら、別人のように元気になっていきました。
幻覚幻聴の症状が出ていた母も、一ヶ月ちょっと経つ頃には幻覚も幻聴もなくなり、普通に戻っていました。
やはり病院で出された薬の影響だったみたいで、ほぼ予定通りにリハビリのために介護施設に移ることになりました。
何もかもが本当に順調で、父も母もいまだかつてないほどの元気を取り戻し、お題目も勤行もなくても大丈夫という自信がつきました。
私の仕事のほうも順調で、いつの間にか借金もすべて返済し終えていました。
学会活動をしていた時には合計で200万ほどあった借金が、すべて学会活動をしなくなってから返済し終えたのです。
我ながら、ちょっと感動しました。
ずっと借金があって当然の生活をしていたので、こんなに早く借金のない生活ができる日が来るとは思わなかったのです。
取引先のさまざまな環境の変化もあって、私はその取引先の重要な仕事を任せてもらえるようにもなりました。
かつては何人もの下請けの一人だったのが、何か事が動くときにはまっさきに相談して頂けるようになったのです。
学会活動もやめ、勤行とお題目をやめて何か罰が当たったかなと考えてみましたが、そういうものは一切ありませんでした。
むしろ、いろんなものが順調すぎるほど順調に回り始めたという感じでした。
母は介護施設に移ってリハビリを開始しました。
この介護施設の施設長さんは厳しいけれどもとても良い方でした。
「自分でできることは自分でやってもらうのがここのルールです」と最初に言われました。
床などは柔らかい素材で作るなどしているけれども、自分で何もかもするということは転倒などをするリスクもあるということを最初に説明されました。
精神病院では車いすに手足を拘束されている人が多くいましたが、ここではそうしたことも一切しない。
その代わりに転倒して骨折等の怪我を負うリスクはありますと。
そういうことがないように、できる限りの見守りはしますが、人間のすることなので万能ではないと説明されました。
また、精神病院ではほぼ全員が紙おむつだったのですが、それも自分で用を足せる人にはしません。自分でトイレでしてもらいますと。
私はそれはもっともなことだと思ったので、「母が再び歩けるようによろしくお願いします」とお願いしました。
母はもともととてもわがままな人だったのですが、施設長さんの厳しくも温かいご指導もあり、
この入所期間中に母のわがままな性格ががかなり改善されました。
母の問題行動は確かに躁鬱病の症状もあったかもしれませんが、もともとの性格によるものも大きかったと思います。
それが一年間の介護施設での生活の中で改善されたのは、母の年齢を考えても本当に奇跡といって良いかもしれません。
母はこの介護施設に入所していた一年間、勤行とお題目をまったくしていませんでした。
お数珠やお守りご本尊、また聖教新聞を持ってきて欲しいとも言いませんでした(なぜだったのかよくわかりません)。
だけど、それだけの性格の改善があり、最終的に杖もなしで歩けるまで回復することができたのです。
ただ、母は家に戻ると、またお題目や学会活動をやり始めてしまいましたが……。
母のあれほどの回復には、お題目や勤行、学会活動を一切していなかったことが関係しているのではと私は考えています。
というのも、介護施設にいる間は「生まれて初めて母が普通の人っぽい!」と感動するほどだったのが、
家に戻ってお題目とかを再開してしまったとたんに、また極端なことを言い出したり、家族を困らせるようなことを言い始めてしまったからです。
それでもまあ、骨折前よりはだいぶましになり、以前はコントロール不能だったのが、多少はコントロール可能な状態にはなりました。
父もアルコール依存症の病院での三ヶ月の入院期間を経て、アルコールの勉強もしっかりして自宅に戻ってきました。
ただ、最初の入院ではよくあることなのですが、退院した翌日から再びお酒を飲み始めてしまいました。
それでも幸いだったのは、病院のデイサービスにちゃんと通うようになったことです。
このデイサービスは通常の介護のものとは違い、アルコール依存症の方のためのプログラムが組まれたものです。
どの依存症でもそうだと思うんですが、時間や暇ができてしまうと、依存対象のことしか考えられなくなってしまいます。
なので、父のように仕事を退職した人にとっては、こうしたデイサービスは大きな力になります。
デイサービスの人にも嘘がつけないのでお酒を飲んでしまったことを報告しつつも、
父は雨の日も風の日も、休まずにデイサービスに通い続けました。
アルコール依存症を発症してしまい、家族もお手上げだったのが、まるで夢のようです。
ただ、アルコール依存症というのは難しい病気で、たとえ一時的に断酒に成功しても、発症した人が再びお酒を飲むと例外なくどんどん酒量が増えてしまいます。
発症してしまうと、もう断酒し続けるしか道はないのです。
病院のほうでもそろそろ再入院したほうが……と検討されていた時に、父は近所のスーパーでお酒を万引きしてしまいました。
渡されていたお金で買えるお酒だけでは量が足りなくなってしまっていたようでした。
おまわりさんが二人実家に来て、私は母から電話で呼ばれて出向きました。
母はおろおろしたり、躁鬱病の躁状態が出て、「いつか絶対万引きすると思ってた!」とはしゃいで見せたり。
おまわりさんも困惑して顔を見合わせるような状態でした。
おまわりさんに「申し訳ありません。明日、父を病院に連れて行き入院させますので」と言い、父にもそのように約束をさせました。
おまわりさんは「僕たちもうこれを最後に二度と会わないようにしましょうね」と言ってくれました。
初犯ということでお店の方が許してくださり、父は逮捕はされずに済みました。
「でも次回はもうありませんよ」と言われました。
翌日、病院に行き、予約なしの当日入院は例外中の例外だったのですが、受け入れてもらえました。
以前の私だったら、父親が万引きをしてしまうなどということに耐えきれなかったと思います。
精神的におかしくなるか、実家との縁を完全に切ってしまっていたかもしれません。
父を病院に連れて行くことも考えられず、ただひたすら万引きするような親の元に生まれたことを嘆いて自己憐憫に浸っていたかもしれません。
でも、お題目も勤行もやめ、依存心から完全に解き放たれていたことが、私を強くしてくれていたのだと思います。
いつも常にあった何かに対する依存心がなくなり、本当の自立が出来てきていたのだと思います。
起こった出来事は、家族の義務の分だけ対応するしかない。できる限りはやろう。そういう覚悟が出来ていました。
ただ、もう無理だとなったら、施設等のお世話になることも考えています。
お題目をやめて、できない場合もあるという、自分の身の丈もちゃんと見えるようになった気がします。
お題目があると、どんなことでもできなければならないと理想がどんどん青天井になってしまうところがあったんですね。
自分の定めた理想で自分の首を絞めているような感じだったかもしれません。
ともあれ、父の万引きという自分的には人生最大の試練を、自分の力で乗り越えることができた私には、
お題目も勤行も学会活動ももう必要ありませんでした。
そんなものがなくても、自分の力でどんなことでも乗り越えていける自信がついていました。
結論、学会活動+勤行唱題をやめた私に罰はあったのか?
良い変化はいくつもありましたが、罰は何ひとつありませんでした。
それよりもむしろ、学会活動中に転倒して複雑骨折して精神病院の閉鎖病棟に入院してリハビリに一年かかった母……。
学会活動の功徳って何なんだろうなと思います。


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うなづきながら読みました (ciel)
2016-10-18 21:31:53
はじめまして、cielと申します。
クロさんのブログから飛んできました。
二世の非活アラフィフ独身女です。
ブログ、一気に読ませていただきました。
私も遊説、文化祭(音楽祭)などを経験したので、
共感して、うなづきながら読みました。
そして私の母も私が中学の頃から鬱病にかかり、
良かったり悪かったりを繰り返し、入退院を繰り返しました。閉鎖病棟にも入院しました。
読んでいて自分のことのように思えました。
私が覚醒したのは、母(もう他界しました)の介護で会合に一切出てないときに、ネットでいろいろ知りました。

私も母の病気を治したくて、活動しました。
周りの大人が「お母さんは体を痛めてまであなたに新人を教えようとしているから、がんばらないと。」
と言われ。。。

なんだかなぁ。。。と思います。

本当はたくさん書きたいことがあるのですが。
徐々に。。。
また読ませてください。
cielさんへ (にゃんこ丸)
2016-10-19 05:21:03
コメントありがとうございます。
cielさんも私と同じような経験をされてきたのですね。
あの当時、未来部かなり多かったんで、きっと同じような体験をされた人が多いのではないかなと考えたことがありました。
お母さんは身体を痛めてまであなたに信心を教えようとしている。
私もそういうこと、言われた記憶があります。
母の困った行動に悩むたびに。
でも、創価学会の信心自体が矛盾だらけなんで、そうやって言われて頑張っても、必ず壁にぶち当たって余計に苦しくなるんですよね。
親の病気も何もかも、創価学会は出がらしまで利用するんだなと思います。
少しでも利益が搾り取れるなら搾り取れるうちに搾り取ってしまおうって感じなのかもしれません。
お互いに創価の間違いに気付くことができた幸せがあります。
創価学会の言う幸せにはいっぱい間違いがあったけど、創価の間違いに気付けたという幸せだけは間違いないと思います。

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