ときどき、ドキドキ。ときどき、ふとどき。

曽田修司の備忘録&日々の発見報告集

ジュヌン-狂気-

2005-03-21 23:37:38 | アーツマネジメント
今振り返ってみると、何というか、メチャクチャな知的格闘技だったのである、あれは。
で、それは何がそうだったか、と言うと、昨日観た舞台が、ということなのだ。
何のことを言っているのかと言えば、東京国際芸術祭2005の中東シリーズ第二弾として昨日まで新宿・パークタワーホールで上演されていた、チュニジアのファミリア・プロダクションの「ジュヌン-狂気-」という舞台のことなのだ。
終演後、某放送局最高幹部の人が、「私は絶対に確信したわ」という口調で、「(この舞台は)モノが違うわね」と宣言していた。そうだったのだ。「モノが違う」。
つまり、舞台の構成力や、表現の力強さがケタはずれなのだ。これほどまでに妥協を排した舞台を作り出せる精神というものに、日本ではなかなか出会えない。
・・・ということを、見終わったあとに自分の中で何度も確認し、反芻するような、そう、そうせざると得ないような舞台である。あたかも、チェスのチャンピオンの試合を見ているような、理詰めの、しかし、自分の存在をあらわにするような、神経がヒリヒリするのが明らかに見える、すべてがあらわな舞台なのである。
日本での上演には明らかなハンデがあった。観客は、舞台の左右に映し出される字幕によるセリフを追うのが大変で、眼の前に進行している事態を追っかけるのが精一杯であり、その大変な舞台に2時間半にもわたって力業で引き込まれ続けて、見終わってようやく、あゝ、そうか、このゲーム(競技)は、こういうルールのゲームだったんだ、と批評的(反省的)に気づかされるような、そんな舞台だった。
こんな舞台がありうる、ということに観るまでは気がつかなかったことが当然と思えるような、あるいは、世界があらかじめ毀れてしまっていることに知らず知らず気がつかされてしまったかのような、とんでもない舞台。
東京国際芸術祭は、去年につづいて、また今年も、とてつもない舞台を見せてくれた。
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 北京、ソウルでの話題 | トップ | カンパニー・マリー・シュイ... »

コメントを投稿


コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

あわせて読む

3 トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
ブログ作成者から承認されるまでトラックバックは反映されません。
ファミリア・プロダクション (Tunisiaガイド)
知らなかったけど日本の東京国際芸術祭でチュニジアの劇団が公演をしたらしい。 東京国際芸術祭2005 公演プログラム - ファミリア・プロダクション[チュニジア] 『JUNUNジュヌン-狂気』 評価は良い。かなり良い。 正直、舞台はみたいけどここで見ても字幕は当然つか
ファミリア・プロダクション「ジュヌン 狂気」 (Wonderland)
 実在の若い統合失調症患者と女性精神療法医の15年に渡る対話の記録を題材に、家族の崩壊、貧困と虐待、アラブ社会の敗北、宗教的抑圧など、さまざまな社会的重圧によって押しつぶされたチュニジアの若者の出口なき絶望と屈折、内面の崩壊と再構築を見事に描き切る。社会と
フォルクスビューネ「終着駅アメリカ」 (Wonderland)
 東京国際芸術祭(TIF)の掉尾を飾ったのは、ドイツからやってきたフォルクスビューネ「終着駅アメリカ」公演でした(3月25日-28日、東京・世田谷パブリックシアター )。テネシー・ウイリアムズの戯曲「欲望という名の電車」をほぼ踏襲した脚本ながら、舞台をアメリカの低