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成功している人は、なぜ神社に行くのか?

2016年10月20日 | 哲学・宗教・思想
成功している人は、なぜ神社に行くのか?
 
八木龍平
サンマーク出版
 
 
 宗教の話はリスクが大きいので深入りする前に引き返したい。
 
 僕はとくに信心が深いわけでも特定の宗教に帰依しているわけでもなく、正月は神社に行くし、クリスマスは祝うし、お葬式はお寺だし、という典型的日本人である。霊感とかとも無縁である、むしろオカルト現象などに関しては、なにかしら科学的理屈があるのだろう、などと考えてしまう側の人間である。
 よって、著者の「科学者かつ霊能力者」という自己紹介と、そこに挿入されているベタなマンガに、正直ザリガニのように腰がひけてしまうのだが、タイトルにピンときた。
 
 繰り返すが、いまのところ僕はとくに宗教心というものを持たない無粋な人間なのだが、いっぽうで、宗教あるいは信心というものが人間の精神や人間社会にどのような「機能」をもたらすのかというのには興味関心がある。東日本大震災で肉親を失った人々が幽霊をみる、といった話には心底共感したし、彼ら遺族にいまこそ宗教界の出る出番という記事を読んでそりゃそうだろう、頑張ってほしいと思ったものである。内田樹が「呪いの時代」で、「信じるものがあると人は機嫌よく働く」というのはなるほどと納得するものがあったし、広井良典が「人口減少社会という希望」で、「自然エネルギーの拠点を『鎮守の森』としてローカルコミュニティの中心にする」という発想にうなりもした。
 

 で、冒頭とは自己矛盾するわけだが、ぼく、けっこう神社には行くのである。
 

 亀戸天神というのがあるらしいとわかれば一度行ってみようと思うし、天神のほかに水神もあるらしいとわかればそこにも寄ってみるし、亀有に行ってみてもう少し頑張れば柴又帝釈天であるとわかればそこまでは引き返せないし、鹿島といえばスタジアムよりも鹿島神宮だし、築地市場に波除神社があると知ればそれ見てみよう、と思って観光客のあいだをかきわける。千本鳥居をみかければ、必ず通り抜けてみる。パラレルワールドへの抜け道みたいな気分がしてなかなか楽しい。伊勢神宮にも出雲大社にも行った。
お参りをするとなんか気分がさっぱりする。多幸感がうまれる気がする。そうすると当然、生活や仕事にもハリが出てきそうな気がするのである。
 思うに、常に理屈と理論の中で日々生活しているから、たまにこのようなスピリチュアル的な空間で心を解放させるのがなんとなく快感なのである、いわゆる「癒し」というやつなのだろうが、これこそ宗教的効果なのかもしれない。
 一方、たまに誘われたりして教会なんかにも行くのだが、教会や神父さんの雰囲気はやっぱりどちらかというと厳粛なんだよな。厳粛な雰囲気も嫌いではないのだが、自分がヨソモノという居心地の悪さもどこかにある。神社で解放感を感じるのはやっぱり僕が日本人だからなのだろうか。
 
 
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