読めば京 (新書でも小説でもコミックでも)

いろんな本の読書備忘録です。書評・感想文・分析・タイトルだけ借りたただのボヤキや思い出話など。たまに本じゃないのも。

あと少し、もう少し (ネタバレ気味)

2017年08月14日 | 小説・文芸

あと少し、もう少し

瀬尾まいこ
新潮社

 

 小学生の娘の夏休み読書用として買い与えたのだが、娘の机で積ん読状態だったので手にとって読んでみた。

 なかなかどうして面白いのである。小説上の構造としても気が利いている。

 

 この小説は田舎の公立市野中学校を舞台にしている。その中学校の陸上部が地区の駅伝大会に出る。

 駅伝というのは、走行区間が6区あって、つまり走者は6人必要なのだが、あいにくこの陸上部で長距離を走れる部員は3人しかいない。

 そこで、部長である3年生の桝井くんは外部から3人スカウトしなければならない。

 どうにかこうにか集まった6人は、いじめられっ子の相楽君に、不良の大田君に、お調子者のジローに、中二病をこじらせた渡部君に、唯一の二年生俊介君に、さわやか部長桝井君である。

 もちろん(?)彼らはそれぞれ内側に繊細な悩みを抱いており、葛藤と逡巡がある。この小説は、そんな彼らの物語である。走区ごとに章立てされていて、それぞれの走者の一人語りで各章が構成されている。

 読者によって感情移入の対象はかわるだろう。うちの娘なら、いじめられっ子の相楽君か、中二病の渡部君だろうな。

 

 だが、大人の僕が、いちばん気になったのは陸上部の顧問になった上原先生である。

 上原先生は、美術を担任する二十代後半の女性の先生で、陸上どころかスポーツ全般ダメっぽい。それまでは定評ある鬼コーチが担当していたのだが、公立中学校は異動があるから、巡り合わせでこんな頼りない先生が顧問になってしまった。

 本当は、この上原先生の章が欲しいくらいなのだが、この小説はあくまで中学生男子6人の視点でしか語られない。上原先生の姿は彼ら6人のフィルターでしか描かれない。慣れない運動部の顧問に右往左往するばかりで、部員からタメ口を叩かれる始末である。

 

 しかし、この上原先生、なかなかトリックスターなのである。物語の要でけっこういい仕事をする。

 だがらこそ、上原先生の章が欲しいなと思うのだが、彼女がそもそもどういう人で何を思い、何に悩んで何を決心し、何に挑もうとしたかは読者の想像に委ねられている。マンガやラノベならば「天然だけどなんかスゴイ」というカリカチュアでいいけれど、これは青春小説なので、彼女にも深いところがあると思うのである。

 

 男子6人の視点で描かれている限りの上原先生は、ひょうひょうとしている。無頓着というか、気負いがない。

 ただし、状況証拠としてはこの人はものすごく人の機敏に敏感である。だから部員たちのちょっとした異変や、心の引っ掛かりにすぐ気がつく。

 しかし、そういう人は本人自身もすごく傷つきやすいし、ましてこの人は美術の先生だ。明らかにお門違いの領域の顧問を託され、七転八倒している。この人のひょうひょうは一種の「心の鎧」である、というのが僕の想像だ。

 

 実は上原先生の鎧の内側を一瞬かいまみせるところがある。それが渡部の章ででてくる。この章は渡部の一人称で綴られる。

 部長の桝井君がみんなの前で心ない一言を上原先生にぶつけてしまう。渡部君は上原先生が気にしてあるのではないかと声をかける。優しい声をかけてくれた渡部君に上原先生は言う。

「ジローなんかさ、先生たちがどこの学校行くのかって教育委員会が決めてるの?ってあのあと興味津々で訊いてきたくらいなのに」
上原は笑った。あいつならやりそうだ。いい意味でも悪い意味でもジローは無神経だから。
「あいつは馬鹿だからな」
「だけど、ああいうふうになれたらいいよね」
馬鹿で単純でお気楽なジローみたいに?

 前後の文脈で、これは渡部君にジローのようになれ、とは言っていないことがわかる。これは、上原先生自身の問いである。

 上原先生は、この陸上部の顧問という仕事を生来の真面目さでちゃんとやろうと努力はしている。しかし、残念ながらこの事態をジローみたいに、前向きに受け止めることはできず、やる気がみなぎっているわけでもなく、仕事だしやれることをやろうとい温度感でやっているのである。そういう自分を自覚もしているし、その突き放した態度が「ひょうひょう」となって現れる。

 

 その上原先生が鎧を解いたのが、桝井君がラストスパートをかけるときの応援と、最後の「まだもう少しこういうことができるってのはいいかな」というセリフだ。桝井君からは「先生、やる気が出たんだね」と、それまでの気概が今ひとつであったことを見抜かれている。

 上原先生は、スポーツはダメでも人をモチベートさせることが上手な、つまりある種大事なリーダーシップ性をもった人物と言えなくもないけれど、僕は、やはりこの上原先生は渡部君と同じように、妙に自分のココロに鎧をまとって、自分の「芸風」を仮面にしながら対象との距離をはかるタイプではないかとみている。だから同じタイプの渡部君はすぐに急所をつくことができた。それが上手い方法ではないということも知りながら。

    それがかなぐり捨てられたのが最後の応援の部分だろうと思う。このとき上原先生はひょうひょうを捨て、泣きながら、貧血にあえぐ桝井君に声援を送っていた。仕事としての顧問ではなくて、仲間としての感情だった。

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