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1984年の歌謡曲

2017年05月19日 | サブカルチャー

1984年の歌謡曲

スージー鈴木
イースト・プレス


 半ばバカにした気持ちで読み始めたのだが、いやはや完全に没入。脳内は完全にタイムスリップ。Youtubeで次から次へと再生してもはや中毒状態、徹夜になってしまった。

 1984年のヒット曲、といわれてもぱっと出てこないが、チェッカーズが大ブレイクした年と言われると、ああそうか、と、当時の歌番組の光景を思い出す。歌のトップテン、ベストテン、夜のヒットスタジオといった各種の歌番組で、若き藤井フミヤが、前髪チクチクさせながら妙にだぶついた恰好で歌い踊っていた。「涙のリクエスト」「悲しくてジェラシー」「星屑のステージ」「ギザギザハートの子守唄」これすべてが1984年。

 このころは松田聖子と中森明菜がシノギを削っていたが、1984年に限れば中森明菜のほうが当たっていたように思う。本書によれば、この年の明菜は「北ウィング」「サザンウインド」「十戒」「飾りじゃしゃないのよ涙は」。対する松田聖子は「ピンクのモーツァルト」「Rock'n Rouge」「瞳はダイアモンド」。当時、僕は昔も今も、ダンゼン明菜派なので、聖子に比して、その後の彼女の失速はまことに残念である。(近藤真彦の愚か者め!)

 この年は、まさにチェッカーズと中森明菜と松田聖子の時代のような印象があるが、本書によって安全地帯の「ワインレッドの心」、サザンオールスターズの「ミス・ブランニュー・デイ」というその後、現在に至っても名曲として殿堂入りしている曲が出ていることを知る。これはすごい。当時の玉置浩二は単なる面長細目の兄ちゃんだった。後年あんなになるなんて誰が予想しただろうか。

 それから、松田聖子・中森明菜に後塵を排するところはあったものの、小泉今日子が「迷宮のアンドーラ」「渚のはいから人魚」「艶娘ナミダ娘」「ヤマトナデシコ七変化」とスマッシュヒットを続け、なかなか健闘していたのも1984年。その後、独特のアイドルポジションに育っていく。



 安全地帯やサザンオールスターズの例もあるが、多くの歌謡曲は、作詞作曲と、歌い手は別である。本書が面白いのは、作詞家作曲家編曲家の仕事に注目しているところだ。

 たとえば中森明菜の場合、

 ・北ウイング       作詞 康珍化    作曲 林哲司
 ・サザン・ウインド    作詞 来生えつこ  作曲 玉置浩二
 ・飾りじゃないのよ涙は  作詞 井上陽水   作曲 井上陽水
 ・十戒          作詞 売野雅勇   作曲 高中正義

 であり、松田聖子だと

 ・Rock'n Rouge      作詞 松本隆    作曲 呉田軽穂(松任谷由実のこと)
 ・瞳はダイアモンド    作詞 松本隆    作曲 呉田軽穂
 ・ピンクのモーツァルト  作詞 松本隆    作曲 細野晴臣

 ということになって、松田聖子が松本隆と松任谷由実という安定した豪華布陣だったのに対し、中森明菜は毎回陣容が異なる。
 チェッカーズの場合も、松田聖子と同じで、

 ・涙のリクエスト     作詞 売野雅勇   作曲 芹澤廣明
 ・悲しくてジェラシー   作詞 売野雅勇   作曲 芹澤廣明
 ・星屑のステージ     作詞 売野雅勇   作曲 芹澤廣明
 ・ギザギザハートの子守唄 作詞 康珍化    作曲 芹澤廣明

 という陣容だ。「十戒」と「ギザギザハートの子守唄」を担当した康珍化という作詞家は、この年のヒット曲としてさらに、高橋真梨子の「桃色吐息」、小泉今日子「渚のはいから人魚」、原田知世「愛情物語」、杉山清貴&オメガドライブ「君のハートはマリンブルー」と、幅広い芸風で八面六臂の大活躍だ。


 ところで、本書でとりあげられて初めて気づいたのが、この年、薬師丸ひろ子が健闘している。
 そう。このころの薬師丸ひろ子は、映画に歌手に大活躍の高校生だった。硬質で高音に伸びるその声は小学生のぼくのハートに突き刺さりまくっていた。

 ・メインテーマ      作詞 松本隆    作曲 南佳孝
 ・Woman                   作詞 松本隆    作曲 呉田軽穂

 本書では、薬師丸ひろ子が歌うこの二曲を、この時代の歌謡曲の最高峰としてその楽曲がいかに巧みにつくられているかを五線譜をつかって分析しており、なかなかマニアックで面白い。
 それにしても、松本隆の大物存在感は抜群だ。


 さらに1984年は、郷ひろみの「2億4000万の瞳」、吉川晃司「モニカ」、森進一「北の蛍」、わらべ「もしも、明日が…。」小林麻美「雨音はショパンの調べ」、杏里「悲しみがとまらない」、近藤真彦「ケジメなさい」、石川優子&チャゲ「ふたりの愛ランド」、大沢誉志幸「そして僕は途方に暮れる」、井上陽水「いっそセレナーデ」。キリがないが、わずか1年の間にこれだけ続々と出てくる時代というのはミラクルだ。
 
 作詞家にしても作曲家にしても、歌い手にしても、一流のアーティストであれば、時代の気分をとらえるのは凡人よりも敏感だろう。この年にこれだけの記憶に残る楽曲が出たということは、それだけ時代の空気に特徴があったと思う。
 1984年というのは、当時の代表的なテレビCMが「私は、コレで会社を辞めました」に「エリマキトカゲ」に「ガンバレ玄さん」に「ちゃっぷいちゃっぷいどんとっぽちぃ」。映画が「ゴジラ」。社会事件が「グリコ森永事件」と、なんだか浮ついている。バブル時代が本格化するのはその数年後だが、既に良くも悪くもふわふわした空気が漂いだしていたのだろうか。
 歌詞やメロディの"妙”が与える、なんとなくそれっぽい雰囲気みたいなものが、数ある歌番組を席巻し、それが麻薬的な快感で受容された時代ということだろうか。


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