読めば京 (新書でも小説でもコミックでも)

いろんな本の読書備忘録です。書評・感想文・分析・タイトルだけ借りたただのボヤキや思い出話など。たまに本じゃないのも。

人工知能の核心

2017年06月17日 | サイエンス

人工知能の核心

羽生善治・NHKスペシャル取材班
NHK出版

 

 羽生善治は「高速道路理論」というのをずいぶん前から提唱している。

 ここ20年ほどの科学技術の進歩により、棋譜のデータベース化、ネット上の対戦機会の増加などから、かつてに比べ子どもたちや奨励会の人たちの将棋の上達速度が圧倒的に速くなり、またレベルも上がった。

 つまり、みんな早いスピードで高いレベルまで上達するようになった。  

 「高速道路」があるのだから、わざわざ遅い「一般道路」を使う人はいないのである。

 ところが将棋というのは結局のところ、勝負の世界なのであって、勝ち負けが発生する。
 だから、レベルが均等になったゴール直前のところで大渋滞となる。

 スタートからゴールまでの9割まではすいすい上達していくのに、最後の1割で大混戦するのが現在の将棋界ということである。

 この混戦から抜けて躍り出るためには、けっきょくほかの人と違う経験や軌跡をあわせ持っておかなければならない。高速道路の出口付近での大渋滞から抜けて、さらなる向こう側の世界に至るには、高速道路のドライビングテクニックだけでは足りないのである。

 

 で、この「高速道路理論」は、将棋に限らず、ひろく敷衍できる思想だと思う。

 たとえば、さいきん会社に入ってくる新入社員をみていると、ものすごく優秀だと思う。報道やネットなんかでは、ゆとり世代のありえない習性のほうが寝間着的にクローズアップされていて、あたかも若者はどんどん白痴化しているような印象を与えるが、平均的に見渡すと、かつての新入社員よりもずっと冴えていると感じる。自分を顧みて、僕らが新入社員のころはもっとずっとバカだったような気がする。

 情報武装力やITスキル、その場で何が支配しているかを察する能力、物事を調べる能力、外国語能力、デザインセンスなどは四半世紀前の新入社員の平均値と比べてあきらかに上がっている。

 彼らが本音で仕事をしたがっているのかどうかはさておき、すくなくとも技術レベルは格段に進歩しているわけである。昔だったら、超優秀新入社員として注目されただろうが、今となってはわりと標準装備レベルである。

 ただ標準装備のグレードがあがった一方で、なんとなくみんな似たようなスキルセットの集合体だなと思うことはある。
 そんな新入社員や若手社員の今後は大変だな、なんて思ったりもする。似たようなスキル、似たような経験値、似たような価値観、しかもみんなそれなりにレベルが高いのだ。それをこれから競争していくのだ。いまどき、出世競争もはやらないし、同じ会社にずっといるということもないのだろうけれど、評価は毎年されていくし、なんだかんだで会社というところは競争的側面がある。自分だったら匙投げちゃうななどと思ったりする。

 ちなみにそんな中、久々に本格体育会の新入社員が入ってきた。かなり新鮮だ。他の新入社員のようにスマートではなく、いまどき武骨なのだが、ガッツと温情がいりまじっており、そこに体育会人脈も加わっている。しばらくは同期の後塵を拝しそうだが、そのうち独特のポジションとして尊重されることは間違いないと思う。

 

 話がだいぶそれたけれど、人工知能というのものの敷衍は、こういう状態にますます拍車をかけていくように思う。「分析」というなりわいは、AIのほうが圧倒的に有利だ。ホワイトカラーや士業の多くを占める「分析」という業務はAIに浸食されている。

 

 それから「大局観」。これも風前のともし火である。

 将棋や囲碁ではAIは人間に勝てない、とされていたのは過去の話で、今やAIのほうが圧倒的に強いのは周知の事実だ。なぜ、将棋や囲碁は人間のほうが強いと信じられてきたかというと、将棋や囲碁は「大局観」がものを言うとされていたからだ。AIは「大局観」が苦手で、「大局観」こそが人間ならではの能力と言われてきた。

 しかし、「アルファ碁」や「Bonanza」は、大局観を身につけてきている、というのが羽生善治の感想だ。大局観のもとになるのは直観だが、"どうもあのへんがあやしい”と察する能力をAIはディープラーニングによって獲得してきていると感じるそうだ。
 恐ろしい話である。

 

 そうなってくると、人間としての残る砦は「美意識」である。「美意識」のなせる技。

 「美意識」というのは、文脈とか物語とかストーリーが持つ人を動かす力だ。これらは人間としての経験知、共有知が前提となっているから、AIが上っ面で模倣しようと思ってもすぐに底がわれる。「詩は人間がつくったほうがお面白い」といわれる所以である。

 もっとも、表面上の模倣技術はかなり進んでいるようで、画家レンブラントの筆致データをAIに食わせてレンブラント風の新作をつくる、とか、チューリングテストに初めて合格したプログラムが登場した、とかこの方面にもAIは拡大しつつある。

 

 AIが脅威というよりは、そういう進んだAIを「手にした人間の能力」というのは、けっきょくかなり均質化してしまうのではないかと思うのだ。それは「高速道路理論」を引き起こすように思う。

 「分析」能力、「大局観」を見極める能力、「美意識」のセンス、をみんな同じ程度で持つようになったら、人間同士の差異や競争点はどうやってつくっていくことになるのだろうか。「個性」とはいうけれど、簡単な話ではない気がする。

 「見た目」とか、「体力」とか、そういう原初時代に戻っていくのだろうか。


ジャンル:
ウェブログ
この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« なぜ僕は、4人以上の場にな... | トップ | まんがでわかる サピエンス全... »

あわせて読む

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
  • 送信元の記事内容が半角英数のみのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • ※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。