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<インターネット>の次に来るもの 未来を決める12の法則

2016年09月15日 | Web・IT
<インターネット>の次に来るもの 未来を決める12の法則
著:ケヴィン・ケリー 訳:服部桂
NHK出版
 
 ようやく読み終わった。実に読み応えがあった。

  近年もやもやしていたものがだいぶこれで覚悟できた感じである。つまり、オレはこのままこの「技術革新の流れ」にどこまで追随し、どこまで抵抗すべきか、ということだ。

 たとえば、さいきん会社で会議などしようとすると、多くの若い社員がカバンからおもむろにノートパソコンを取り出し、自分の目の前に開いてパチパチしだす。手帳とペンというアナログな組み合わせは自分だけだったりする。
 会社から支給されたパソコンではない。そもそもうちの会社はパソコンなんか支給しない。彼らのそれは全部自腹である。
 若い彼らの動向はそれでいいが、さて自分はどうしようと葛藤がある。手書きメモのほうが手軽だし、図形的なスケッチもできるし、だいたい脳みその働き方が左脳右脳バランスいいような気がする、なんて自己正当化してみたり。でもいっぽうでパソコンならばあのメモがそのまま編集されて正式なドキュメントになったりメールでさっとシェアされたり、その場でWiFiにつないで、調べものなどもさっとできるし、何よりもひそかに別な仕事をしていてもばれない・・なんてことも思うのである。
 この逡巡の後ろにあるのは技術進化だ。僕が若いころはそんなパソコン環境はなかった。もちろんデスクにパソコンはおいてあったが、あんな手軽に持ち歩けるウルトラブックはなかったし、WiFiもなかったし、画像や動画をささっとひっぱってきて引用できるほどコンテンツも伝送速度もめぐまれていなかったし、Dropboxのようなクラウドもなかった。だから僕の仕事スタイルはこれらが登場する以前のものでいったん完成されており、だからある意味、このような便利なツールやアプリがなくても仕事はやろうと思えばできる。少なくともできるような気がする。仕事の本質はそんなこととは別だ、などと思ったりもする。
 だけど一方で、こうして自分は前時代化していくのか、とも思うのである。今から二十数年以上前、僕はたまたまめぐまれてパソコンや電子メールを自由に使う能力を備えていた(Windows95の時代である)。そのために当時勤めていたオフィスにOA機器(!)が導入されたとき、とまどう年配の社員を尻目にすぐになじんで自由に使いこなした。それと同じことが今度は逆の立場でおこっている。

 そこで本書を読んで、ようやく開眼した次第である。
 簡単に言ってしまうと、この技術進化の流れは「止められない」。「止められない」のだから抵抗するのではなく、利活用できるようになるしかない。そのためのリテラシーを磨くしかない。
 つまり、ポイントカードで買い物履歴が全部記録されてしまうのも、検索履歴や入力履歴が全部googleやappleに読み取られてしまうのも、AIの台頭が既存の人の仕事を奪うのも、LINEやインスタグラムのコミュニティでトラブルが起きるのも、夏休みの読書感想文をコピペですませる人が出てくるのも、「とめられない」のである。
 買い物履歴をとられるのがいやだからポイントカードはつくらない。少しでも情報をとられたくないからキャッシュへすべて遮断、SNSはやらない。コピペの読書感想文は絶対に許さず、しらみつぶしに叩いていくーーそういう生活態度をとってもよいが、全体論的には、その生き方は「時代を上手に利用していない」生き方になる。自分を守っている利益より「機会損失」のほうが多くなる。それは金銭的な機会損失だったり、知識や情報の入手の機会損失だったり、人との出会いの機会損失だったりする。しかもこれらの技術進化に乗るのとのらないので生じる「機会損失」の幅は、今後加速度的に広がっていくだろう。
 たとえば、読書感想文のコピペを禁止するくらいならば、課題を「同じ本について書かれた3つの感想文をネットから探し出し、その3つの作文の相違はどこから由来しているか考えてみよ」とでもやったほうが、よっぽど現代の情報処理と思考能力の訓練になるだろう。

 
 さて、本書は技術進化の流れを12の動詞で述べている。
 BECOMING・COGNIFYING・FLOWING・SCREENING・ACCESSING・SHAREING・FILTERING・REMIXING・INTERACTING・TRACKING・QUESTIONING・BEGINING。
 これらの中には章立て上のレトリックもあるので、本当に重要そうなものをあえて抜けば、「COGNIFYING(認知化する)」「ACCESSING(接続していく)」「SHAREING(共有していく)」「FILTERING(選別していく)」「TRACKING(追跡していく」だろうか。
 これらの現在の関連キーワードは、それぞれAI、IoT、ブロックチェーン、キュレーション、ログ解析があてはまるということになるだろう。
 これらの共通は「我々人間の認知の及ばないところ」で我々は捕捉されており、そのデータで世の中は動くようになっているということだ。人間の脳処理を超えるロジック計算スピードが、デジタルネットワークとコンピュータの演算処理で可能になったのである。

 では人間はどうすればいいのか。
 本書では、1997年にIBMのコンピュータ「ディープ・ブルー」に敗北したチェスのチャンピオンであるカスパロフ氏の話が出てくる。
 ディープブルーVSカスパロフのエピソードは有名だ。世界最強だったカスパロフがコンピュータに負けた日は、AI進化史にとってエポックメイキングだ。そのとき、将棋や囲碁はまだまだコンピュータは人間の敵ではなかった。しかし、ムーアの法則のごとく、コンピュータの演算処理は着実に進み、将棋ではほぼ人間に勝利するようになったのは、先の電脳戦でもあきらかだし、将棋よりはるかにコンピュータ思考では難しいとされた囲碁でさえ、先ごろついに世界最高位の人物に勝ってしまった。
 そんなAI史に不名誉な記録を刻んでしまったカスパロフ氏だが、僕はその後の彼のことを知らなかった。世界チャンピオンも形無しだったんだろうな、なんて想像していたくらいである。
 ところが、カスパロフ氏が偉いのはここからだ。本書の表現を借りればカスパロフ氏は「もし、自分がディープ・ブルーと同じように、過去の膨大な試合を記憶した巨大なデータベースをその場で使えていたら、もっと有利に戦えていただろうことに気づいた」。
 ここでカスパロフ氏は、人間がAIに勝とうとするのではなく、AIを使って人間の知能を拡張する概念に至った。つまりAIを使えば人間はもっと強くなれるということだ。そして、「人間」「人間とAI」「AI」ならばどれが一番強いか、という「フリースタイル」制の試合を導入した。
 2014年に行われたフリースタイルバトル選手権では、完全にAIだけのエンジンが42勝したのに対し、なんと「人間とAI」は53勝したのである。

 つまり、コンピュータと上手につきあう人間が一番強い。ここにヒントがある。
 この技術進化の流れは、どう抵抗しようと、批判しようと、自己弁護しようと、確かにとまらないのだろう。ならば、そこにいろいろ理由をたてて抵抗するよりも、上手に利用するリテラシーを身につけるがやはりよいのである。リテラシーがつけば、むしろ「それ以前の時代」よりも、はるかに様々な知性や知能が拡張され、よりよい機会にめぐまれる。
 僕もとうとうノートパソコンを会議に持ち込もうか。が、そのためにはまずノートパソコンを買わなくてはならない。我が家のデスクトップパソコンは何しろWindowsVISTAである。
 
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