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いろんな本の読書備忘録です。書評・感想文・分析・タイトルだけ借りたただのボヤキや思い出話など。たまに本じゃないのも。

わたしを離さないで

2017年03月19日 | SF小説

わたしを離さないで

著:カズオ・イシグロ 訳:土屋政雄
早川書房


 タイミングを逃し、ついつい先延ばしにしていて今頃読んだ次第である。

 

 先延ばしにしていたのは、これだけ文学界で称賛されていて、自分が読んでみて面白くなかったら、途中で苦痛になったらどうしよう、という気持ちもあったし、その結果の、オレの自称本好きなんてしょせんそんなものかも、という怖さみたいなものもあった。いくら傑作といっても海外文学は人を選ぶし、しかも作者は日本生まれだから、シンクロできなければと思うとプレッシャーでもある。

 

  もう一つ理由があって、この「わたしを離さないで」がどういうジャンルというか、どういう先入観で読んでよい本だかよくわからなかったのである。

 といって事前にネタバレしてほしいわけではもちろんないし、むしろ先入観なしに読むことこそ最良の読書ともいえるが、実は我々は本を読むにあたってはなんらかの読むにあたっての物差し、というか姿勢みたいなものがあって、それを軸にしながら、あるときは予想通り、あるときは予想外を楽しむ、というところがあると思う。その物差しというのは巷の評判もあれば、作者のブランドもあれば、出版社から想像するものもある。本の表紙デザイン、裏表紙のあらすじ、腰帯の推薦文、こういったものが読書前の物差しとなる。「あの人が薦めてきた」というのだって物差しになる。

 が、この作品に限っては、どうにも正体をつかめなかった。文庫本の裏に書かれるようなあらすじを見る限りでは、なんだか晦渋な印象を受けるし、しかし出版社が早川書房というのも面食らう。SFなの? でも青背ではないからむしろミステリー? イギリスで権威ある賞を受賞したというが、その賞の正体も僕はよく知らない。  

 さらに村上春樹などと違って、「カズオ・イシグロ」はミステリアスなブランドだ。NHK教育で突如フォーカスされ、日本にその存在が知られた。ピアニストの「フジコ・ヘミング」とまったく同じパターンである。

 実は、イギリス文学界ではすでに名を知られており、早川書房から何冊も翻訳が出ている。とはいえ、日本での普及は、この「私を離さないで」が契機になったのは想像に難くない。こういう登場の仕方は、本好きになってへんなプレッシャーになってしまうのである。

 つまり、僕にとってずいぶん敷居の高い本になっていたのである。

 

 で、ようやく読んだのであるが。

 面白い。

 十分に面白い。こんなに寝かしておく必要なかったというくらい。(なお、映画版もTVドラマ版もウェブサイトはいきなりネタバレしているので気をつけられたし)

 

 まず、エンターテイメントとして面白い。誰もこれを言ってくれないから、現代英文学か、と身構えてしまったのだが、いったい次はどうなる? という展開の面白さがある。

 かといって、軽薄なエンタメではない。「提供者」「介護人」「回復センター」「展示会」などと意味ありげな名詞が次々出てくるところは「1984年」を彷彿させ、妙な管理社会を想像させるシリアスさが不気味である。

 また、イギリス地方の様々な地形・地勢が描写され、建物の構造などもよく記述されていて、それが一人称で語られて少しずつ物語世界の全貌があらわになっていくところは「嵐が丘」を思い出させる。ジブリで映画化された児童文学「思い出のマーニー」も地形的配置の妙が物語の舞台を演出する上でかなりの効果を上げていたし、イギリス特有のこういうのがあるのだろうか。

 イギリスらしさの反面、主人公である私―キャシーの心理のうつりかわりが執拗なまでに描かれ、それが作品全体のスリリングさを形成しているあたりは、作者が英国に帰化したとはいえ、やはり私小説のDNAを持つ日本人ならではないかとも思うのである。そのへんのハイブリッドが、この作品を類例のないものとしたのだろうか。

 

 ところで、これはやはりSFなんだろうか。道具立てとしてSFといえなくもない。しかしそれは、全然中身は違うけれど安部公房の「砂の女」はSFだ、というくらいのものである。

 もちろん、純文学としてみてもよさそうだが、純文学というには、周到すぎるようにも思う。計算されつくされているというか、超絶技巧小説とさえ言える。次々現れる断片的な情報から、全体を推理し、予想しながら読む推理小説的楽しさもあり、これもまた「嵐が丘」を彷彿とさせる。「嵐が丘」も純愛文学ともいえるし、サスペンスともいえるし、寓話とも福音とも叙述トリックとも言える、一言ですませられない複雑な面をもっている。

 というわけで「私を離さないで」はじゅうぶん楽しめた。懸案の「積ん読」がひとつ解消されてほっとしたのもまた真実。


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