読書の記録

評論・小説・ビジネス書・教養・コミックなどなんでも。書評、感想、分析、ただの思い出話など。ネタバレありもネタバレなしも。

不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか

2018年02月14日 | ノンフィクション

不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか

鴻上尚史
講談社

  太平洋戦争における日本軍の異常性を示す典型的な悲劇例として、神風特攻隊は有名である。

 海に散った二十歳になるかならぬかのパイロット達は志願だったのか強制だったのか。あるいは喜んで飛んでいったのか、苦渋の極みだったのかという議論も、けっきょく現在の従軍慰安婦問題における本人の希望だったのか強制だったのか、とか、ブラック企業における超過残業が本人の自主的労働だったのか上司その他の強制だったのか、という議論と根っこが同じに思う。そもそも自主的だったからよいという問題でもないし、鴻上氏がいうように、日本人のメンタリティとして自主という名の強制は、本人の意識無意識にかかわらず社会のあちこちでしばしば行われることであり、日本社会のかなりの深層まで巣くっているといってよい。また、喜んで飛んでいったかのようにしなければならない圧力というのは直属の上官だけでなく、その組織の責任者、さらにそのとりまき、メディア、日本国民全体にもあったというのは著者の指摘である。つまり、特攻は、軍事作戦上の成果というよりも、日本国全体がこの戦争を継続する気運づくりのために繰り返されたという指摘である。

 中東において、年端もゆかない子どもや結婚式を控えた若い女性が自爆テロを起こしたという報道をきくが、同じような力学がそこにあったんだろうと思うといたたまれなくなる。

 中東の自爆テロにおいても、いくら自爆テロが戦術的に無力で、敵にダメージを与えられないとしても、テロを起こす側にそのことで継続のエネルギーを与えるという効果があるのならば、自爆テロはなかなかなくならないということになる。 

 

 本書の主人公は、9回特攻に出撃しながらも生還し、戦後も生き永らえた佐々木友次伍長である。

 9回出撃したといっても、9回体当たりしたわけではなくて、敵艦隊にまみえて爆撃を行ったのは2回で、あとは機体の不調や敵艦をみつけられなかったための帰投であった。

 それでも、飛んでいった以上は帰ってこないのを美とした特攻にあって、何度も帰ってくる佐々木に対しての上官の焦りといら立ちは相当だったようである。この事実は、本当は帰ってこれたのに、または飛ぶ必要もないのに、死ぬ事実をつくるがためだけに飛ばされた人がけっこう多かったのではないかということも想像させる。

 佐々木が9回の生還を果たした理由はいろいろ考えられる。佐々木自身に生きることへの絶大な自信と執着があったことも事実だが、理解者にも恵まれていた。彼の生存に協力する人々がいたのだ。また、運にも恵まれていた。数メートル先を歩いていた戦友が空爆で即死している。本人の執着と周囲の協力と運。このことは、生存に必要な条件は何かを考える上でも興味深い。

 

 それにしても、「統率の外道」とこの攻撃スタイルの創案者みずからが言ったとされる特攻だが、この言葉自体もなにか免罪符のような気がする。「統率の外道」ではなくてそもそも「外道な統率」だったのではないかと思う。


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする