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[西洋哲学初級] ドイツ哲学入門(3)/古代ギリシャ哲学を巡って ※計測実験中

2016-10-29 00:09:50 | 人文3(西洋哲学)
計測実験中(2016.10.29~)
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哲学といえば、おそらくは古代ギリシャを抜きにして語ることが出来ない。そこでその面での追加の解説を少々。
※このブログの最初の趣旨から逸れて趣味に走っているように見えるかもしれないが、これも「反知性主義のネトウヨが~」という、ありきたりなレッテル張りの声闘(ソント)への皮肉と対抗策であったりする(笑)。

たとえば、これはカントの項目で述べたことの補足だが、カントが倫理方面において観念のレベル(可想界)での「道徳律」を主張した背景にも古代ギリシャの「イデア論」の考え方が息づいている。これは最初の哲学者とされるソクラテスの弟子であった、プラトンの考え方に端を発しているのである。
そして後代のニーチェやハイデッガーの哲学史批判の研究は、その最も基本的・無自覚的な、西洋哲学にとって伝統となっている発想を問題視した。彼らの研究で古代ギリシャの神話だの、ソクラテス以前の哲学的思索者たち(フォア・ソクラティッカー)がクローズアップされるのも、ソクラテスやプラトンの考え方以前に遡ろうという目論見がある。
※一般によく読まれる詳しいめの教科書的な書物としてシュヴェーグラーの『西洋哲学史』(岩波文庫で上下巻)があるが、それもまたドイツ観念論のヘーゲル派の観点からのものである限界は否めない。それもシュベーグラーが悪いというよりは、古い時代の思想をどれほど客観的に書こうとしても、自分自身が西洋哲学伝統の嫡流の学者であるために、かえって無意識的にその観点を免れないジレンマがあるようだ。


1.最初の哲学者・ソクラテスやプラトンの時代

ソクラテスと直弟子のプラトンは古代ギリシャのペロポネソス戦争時代の人である。
このペロポネソス戦争とは、古代ギリシャの都市国家群がアテネとスパルタ(ラケダイモン)の二つの盟主の派閥に分かれて壮大な内ゲバをやらかした歴史的な大騒動のことで、社会の不安定・不穏化だけでなく倫理観の崩壊が凄まじいものがあり、反省としての「哲学」が登場してくる時代背景になった。
※ペロポネソス戦争についてはトゥキディデスの『戦史』が詳しい資料として有名。岩波文庫で旧字体三巻の翻訳が出ていたが、他にも中公クラシックス(赤い表紙の新書)やちくま学芸文庫(『歴史』の題の上下巻)で出ていた。内容としての特徴は、銘々の立場からの主張や思想をまとめた「演説」が多数含まれること。古代ギリシャ語の原文ではこれら「演説」は皆、何故か華麗なアカイア方言(イオニア方言だったかも……?)なのだそうで、著者のトゥキディデスが話を進める上で論点をまとめた架空の演説であるという見方もでき、単なる事実記録だけでなく一種の「政治哲学の論点の比較研究書」としての側面もあるようだ。

都市国家アテネのソクラテスはペロポネソス戦争以前の、ペルシャ戦争で勇士だった人物なのだが、この時代には既に老人であったようだ。
※ペルシャ戦争はペルシャ帝国の侵略に対し、ギリシャの都市国家が団結して対抗し、追い返した事件。資料としてヘロドトスの『歴史』があるが、自分(楚練)は未読。
ある種の責任問題で死刑になった経緯が弟子のプラトンの著作に書かれている。ただしソクラテス本人ではなく、教え子の一人の卑劣行為が問題視されたらしい。その弟子(たしかアルキビアデス)というのが迎合と偽装の達人で便宜主義者のとんでもない人物で、ペロポネソス戦争中にアチコチの陣営を渡り歩き、祖国アテネへの背信・利敵行為も平然とやったようで、最後には愛人の女と隠れていたところを殺されたそうだ。罪人本人は既に死んでいたものの、腹の虫が収まらなかったアテネの市民たちは罪人(政治犯・外患誘致罪など)の恩師的な立場であったソクラテスを「(お前の辻説法・私塾の教育活動が)若者を堕落させた」のだと吊るし上げ、死刑を強要した(『ソクラテスの弁明』)。
けれどもソクラテスは腹が据わった人物だった。裁判そのものはかなり理不尽だったようだが、それでも法廷での一通りの主張・弁論の後には「自分は自分の意思でアテネ市民として生きてきたのだから」と、愛する祖国アテネの判定に従って毒杯を呷ったそうだ。ソクラテスが本心から祖国のアテネを愛し、普段若者に説教していたのも国民としての美徳や道徳を教えていただけであると知っていた友人のクリトンなどは、混乱した市民たちの興奮とほとぼりが冷めるまで一時でも逃げるように勧めたようだが、ソクラテスは謝絶したと言われる(『クリトン』)。既に老境であったことも手伝ってか、自分一人の生死よりも、祖国のアテネの再生の精神的な支えになることをより重視したらしい。

なお、ソクラテスの教えや思想の内容には諸説ある。主に弟子のプラトンの著作からうかがい知られるのだけれども、プラトン自身が卓越した思想家・著作家であったために、自分自身の思想と理想を恩師のソクラテスに投影しているようだ。別の弟子であるクセノパネスなどの『ソクラテスの思い出』などによれば、ごく普通の愛国的・良識的な老人で、若者に普通の常識的なレベルでの公衆道徳を若者に訓戒していただけだった説もある(クセノパネスは、私は未読なので詳細は不明)。


2.プラトン

ソクラテスの直弟子で、本名はアリストクレス。おそらくはさらに弟子のアリストテレスと紛らわしいせいか、あだなのプラトン(「肩幅が広い」?の意味)で一般に通っている。
彼の著作はソクラテスを主人公とした「対話篇」になっており、文学的な面でも高く評価されているようだ(劇の台本、レーゼドラマの形式になっている)。
その最大の著作は『国家』と『法律』である(いずれも岩波文庫で上下巻)。おおよそ「哲学」の誕生したそもそもの発端がペロポネソス戦争による社会崩壊であった以上、国家や共同体の問題は避けては通りえず、むしろ大きな関心が寄せられた。
この後期の『法律』は原題が「ノモイ(共同体)」であり、ファシズム国家の運営方法が具体的に語られており、内容としてはかなり微妙だろう。たとえば長老たちの「夜明け前の会議」による独裁だの、文芸や商業の抑制によって堕落を抑えることだの……そのため、プラトンには「ファシズムの元祖」という批判までがあるほどだ。

プラトンの哲学的な大作で一般的に最も有名でよく読まれている主著は、後期の『法律』よりもむしろ中期の『国家』の方だろう。いわゆる哲学的な問題をあらかた網羅する形になっていると思うので、こちらの方について述べてみよう。
※他に『饗宴(愛について)』や『パイドン(魂の実在について)』などの小著も有名らしいが、私は前者は読んでいないし、後者は退屈で放擲してしまった。
冒頭の「正義とは強者の利益である」というトラシュマコスの言説への反論に始まり、目に見える「現象」の背後にある「イデア」や「イデア界」という、言わば「観念的な本質の次元の存在」が主張されることになる。本質を見る訓練として幾何学が推奨され、「洞窟(の影絵)の比喩」などによって言葉巧みに「イデア」の存在(高級なイデアとして、「善」や「正義」がある)が説明されるが、発想としてはカントの可想界(想定上の理想的な次元の世界)の道徳律と類似し、先祖的な元ネタなのである。……もっとも、カントの場合は自然哲学と道徳哲学を別々の分野として分けて考えたため、それぞれ「(直接的に把握不可能な)物自体」と「可想界の道徳律」という二つの「イデアルな(観念的な)実在の次元」が語られることになる。
理想的な国家論として、哲人(知力)・武人(勇気)・庶民(節制)という三つの階級による支配体制とそれぞれの美徳が示されるが、これは各個人の心の内面の問題でもある。現代民主主義的に考えれば、階級ごとにバラバラになっているのではなく、各個人が知力・勇気・節制の三面を踏まえ、哲人(支配者)・武人(防衛者)・一国民(労働者)の三つの性質を適度に兼ね備えるのが理想だと思われる。
また最終章では「魂は生まれ変わる前に、個々の運命を自ら選び取ったのだ」という寓話が語られる。これは現代的な「実存」の問題とも関係があるが、実はカントの道徳論とも同義である。……カントの思想では「(意志の)自由」だの「道徳」だのは、究極的には論証の仕様がない問題である。しかしそれらの観念を肯定しないと、人間というのはまともに生きていくことができないわけである。信じて腹を括るしかないのだが、それでも「何故」という懐疑は常につきまとい、そのジレンマ(葛藤)が哲学の根底には常に横たわっている。
※ドストエフスキーの『悪霊』では「無神論」や「無政府主義」の問題が一つのテーマになっているが、それも同じことである。あれは「神(善)」や「自由意志」や「国家(国民道徳)」を頭から否定して無茶苦茶やった場合、結末は破滅しかないという、一種の「寓話」なのである。

それから少しばかり余談になってしまうが、プラトンが哲学のモチーフや手段として提示した「幾何学」は、実は哲学的な研究対象でもある。「実際に描かれた図形」と「観念的なレベルでの図形(の本質)」という対立と乖離の問題があるからで、これは「現実の世界」と「観念界(イデア界)」とほぼ同義でもある。現代哲学のフッサールやデリダなどもこのテーマで小論を著している(『哲学の起源について』などと……)。


3.アリストテレス
アリストテレスはマケドニアの人で、プラトンの弟子である(アレキサンダー大王の家庭教師を務めたらしい)。どうやら科学者肌のところがあったようで、生物学的な関心が強かったようだ。
プラトンは幾何学の発想をモチーフとしてイデアの実在を「天上」(のイデア界)に求めたが、アリストテレスは個物に内在する「エイドス(本質)」として考えた。考え方の違いはあるものの、恩師と教え子だけあって類似している面は大きいだろう。
また、アリストテレスの特徴として「不動の動者(神)」という、全ての根源である「第一原因」や、その目指す「目的論」を考えたことが挙げられる。
※存在を「良い」と考えているあたりが仏教などとは真逆の発想で、それは中世キリスト教にも受け継がれていくことになる。

アリストテレスの現存する著作は主に講義ノートに由来するらしく、文面も堅苦しい論述になっている。講義ノートの集積・再編集であるためか、物事の原理面を考察した著作の『形而上学』は内容が部分的に重複している。入手しやすい書籍(岩波文庫)としては、諸々の徳目を中庸の観点から考察した『二コマコス倫理学』の方が読みやすい(それに続く政治学の著作もあるそうだが、私は読んでいない)。


4.中近世における、プラトン・アリストテレスの後代への継承

さて。ギリシャは西欧文化の起源とされるけれども、ドイツ・フランス・イタリアなどの現代の西欧の中心からは距離的に遠く隔たっている。
そのために西欧世界は最初は断片的にしか、アリストテレスの著作を手に入れることができず、そのため逆に学術的な文献の批判検証の手法が発達したらしい(『然りと否』など)。……実はアリストテレスの思想はイスラーム世界で保管されており、そちらの神学で一役買った趣がある。十字軍による接触・文化移入が行われた「12世紀ルネサンス」と呼ばれる時代(イタリアルネサンスの数百年前)にアリストテレスは西欧に本格的に移入され、当初は混乱を呼んだ。

そしてトマス・アクィナスの神学はアリストテレスを完全に消化して、イスラーム世界に対抗しうる思想的な威容を整えた。スコラ哲学(中世キリスト教哲学)は古臭いように思われがちだが、「唯名論」と「実在論」の論争など興味深いものもある。現代的な論理哲学などと比べると面白かもしれない。
※平凡社から『普遍論争』の厚いめの新書が出ている。
……また、このスコラ哲学(中世キリスト教哲学)は実はデカルト(フランス人、近代哲学の創始者)にも基本的な部分で影響を与えている。近代哲学の多くの概念が、一時代前のスコラ哲学からの借り物であるらしい。
キリスト教の影響というのは、西欧文化の中枢の大黒柱であるだけに根深いのである。

また、プラトンの思想はネオプラト二ズム(新プラトン主義)という、「世界は根源(神)から流出した」という一種の神秘主義思想を通じ、早くから基本的なイデア論の考え方はキリスト教に摂取されていた(西欧の哲学思想の背景や根底に「イデア論」があるのは、こういった事情である)。けれどもこちらも、直接的にプラトンの著作が読まれるようになったのは、イタリア・ルネサンス(文芸復興)の時期に、メディチ家のお抱え学者だったフィチーノが全訳してからであるらしい。……また、その時期にはビザンツ帝国(東ローマ、ギリシャのコンスタンティノープル)の滅亡で、そちらの学者が大量に西欧に亡命していたようだ。

それでは、中世の半ばまでは西欧ではプラトンやアリストテレスは完全に死んでいたのか、という問いが出てくるだろう。……しかし、あながちそうではない。
古代ローマ帝国の時代に、古代ギリシャの文化は既に西欧に移入されていた。早い時期のキリスト教にも前述したとおり、プラトンの間接的影響は見られる。それ以前に古代ローマ帝国で流行したストア派哲学の「自然に従って(高邁に)生きよ」という考え方にも、自然の本質には善や正義のイデアがあるという発想があるとしか思えず、こちらも通俗化したプラトン主義の一種としか思えない。
※セネカの著作などは岩波文庫でも手軽に読め、心励まされる名文である。
※逆に同時期に古代ローマで流行したエピクロス派は「神々は現世に関心がない」と考え、唯物論的な古代原子論を説いた(一種の理神論に近いかもしれない)。しかし自然科学的な興味関心を優先させていただけで、エピクロス主義の本来の教えは「心の平穏」である。……ちなみにエピクロスの科学思想はイタリア・ルネサンスの頃に見直されることになる。ブルーノの『宇宙の無限について』(?タイトル失念、これも岩波文庫)で、たしかエピクロス派のルクレチウス『物の本質について』(こちらも岩波で邦訳あり、割と発想が現代的でビックリ)に言及されていたはず。


5.再びドイツ哲学、カントによる総決算とハイデッガーの問い

やはり、何度も繰り返すようだが、哲学的にものを考える際には「カント的な冷静さ」は絶対に念頭に置いておくべきである。……最近に、カントの基本的・入門的な著作である『道徳形而上学原論』などを十数年ぶりで読み直してみたのだが、完全に「現代的な理想」そのまんまだった。各個人の人格尊重や、幸福と倫理(善悪)が別の次元の問題であるという分別など、現代的な倫理観の基礎はカントでおおよその形を成している。専門用語が多いので、背景となるカントの思想のあらましを知らないと読みづらいかもしれないが、それでも現代における一番の哲学基本書の一つであることに変わりはないと思う(大略で肯定するにせよ、あるいは否定や批判検討するにせよ……)。
※ここで言う「哲学」とは、世に言う「成功哲学」のような、世の中で社会的成功を収めるためのエゴイスティックなノウハウの集積の意味では全然ないが。

また、ハイデッガーなどが、この西欧哲学の根底を問い直そうとしたことには、既に触れた。何重にも浸透して、長い時を経て変容・変成されてきたプロセス、そして根幹となっている「イデア論」の考え方の限界。研究したくなるのは最もな話だろう。
※同じ伝統哲学批判でも、アメリカのプラグマティストであるデューイの『哲学の改造』とは研究の方向と関心が好対照でもあるので、そちらと比較するのも面白いかもしれない。

余談かもしれないが、古い伝統の批判検討にはある種の「落とし穴」がなくもない。
常識の範囲で考え直すだけならば良いのだが、「古い伝統の破壊」が安直な形で行われると、単に「破壊した」だけに終わってしまう惧れ(自爆リスク)も大きい。戦後のドイツのフランクフルト学派などには「知識層向けのマルクス主義」という批判があるようだ(ここでいうマルクス主義とは、もちろん「無茶な破壊主義・無軌道な暴力革命の礼賛」の意味)。実際に、戦後のドイツに精神文化破壊によって多大な打撃を与えたという説まであるほどである(考え方が過剰に破壊的・急進的になれば、その動向は人々の現実の行動や政治・法律にまでも反映するから)。※私は詳しくないが……。
もっとも、ハイデッガーのナチス加担に関して言えば、むしろ伝統的なドイツ哲学(ヘーゲルなど)や民族気質に固有の過剰な国家主義・徹底主義が悪い面で暴走した側面が大きいようにも思われる。そもそもドイツ人の浪漫主義には破滅趣味の傾向もある。

結びとして。
そもそもデカダン(退廃主義者)になったはずの私などがこんなこと(今回の哲学の連載記事)を言い出すあたり、完全に世も末である(趣味に走ったとはいえ……)。おいコラ、こちとら「四年待った」んだぞ! 日本の「まともな人」や「健常者」たちが無茶苦茶やってくれたお陰で(確信犯だけでなく、「謙虚な無責任」や「善良なお花畑」を含め)……どういう気だ?(怒)!



(付録)カントの言葉の引用 ※再掲載

カントは国際連盟・連合のアイデアの発案者でもあり、諸々の悪や戦争がある現実を踏まえたうえで、人類の向上を望み信じた人物でした(社会契約論の影響を受けた理想主義者だったようですが、昨今の日本の似非知識人のようにお花畑や売国奴ではなかったのです)。「国内法における理論と実践」から、やや噛み砕いて引用してみます(『啓蒙について』岩波文庫所収)。

「立法の権利についていえば、すべての人が平等とみなされるわけではない。立法する権利がない人でも公共体の成員としては法を遵守せねばならないし、それによって法の保護を受けることができる。だがその場合には『公民』としてでなく『居留民』としてである」(P150)

「実際に国内の抵抗を打破する実力が国家に欠けていれば、法的ないかなる公共体も存立しえない。もしこのような抵抗が一部の国民の恣意で行われ、この恣意が国民全体に影響するようになれば、このような恣意は一切の公共組織を壊滅させ、人間が権利一般を保有しうる唯一の法的状態を絶滅してしまう」(P158)

「ある種の輸入禁止令は国民の生計に有利ならしめるためであり、外国人の利益を図って彼ら(外国人)を励ますためではない(注)」(P158)

……まるっきり完全にザイニチ左翼への批判そのまんまです。
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