このところ、やけにアクセス数が増えているのだが、おそらく東宮関連のエントリーへのご来訪と思われる。15回も書き続けたのでさすがに打ち止めにしようと思ったが、先様がいろいろネタを提供してくださるので、つい・・・(笑)。
東宮が、というより、天皇・皇后両陛下を含めて皇室そのものが、やはり世俗とはかけ離れているのだとあらためて感じる。周回遅れという言葉があるが、いま必死になってしておられる様子がまさにそれ。
天皇陛下の心臓手術が契機と思うが、その一大事に際して「皇太子妃がお見舞いをしない」ことが世間の注目を浴びているので、とにかくそこをクリアいたしましょう・・・。まずはナントカ既成事実を作りましょう・・・。そんな感じ。
いよいよマスコミも遠慮がなくなって、皇太子妃はおろか皇太子すら批判の対象になっている。これはナントカせねばなるまい。まずは「ちゃんと陛下のお見舞いをしているのですよ」「皇太子もちゃんと妻を説得できているのですよ」というアピール。
実際にお会いにならなくてもいいのですよ。車に乗って窓を開けてお手振りしている「絵」を提供できれば。後は「お見舞いした」「食事をともにされた」など、しかるべく談話を発表すればいいのであるから。
雅子さんの癖なのかどうかわからないが、公務ではなくお見舞いという私的お出かけなのに、どうして「お手振り」をするのだろう。このとてつもない違和感。だが、それが印象づけるための作為であると解するならば納得もいく。
手を振るということは、振るべき対象がいるということである。つまり、沿道には一般の人々がすでに用意されていなくてはならない。繁華街ではあるまいに、一般人がたまたま居合わせるような場所ではない。
そこに人が用意されていて、そちらにあわせて手を振る。その映像を撮るためにすでにメディアも用意されている。そのような段取りが組まれているのだろう。すべて周到に計算されたお出ましである。
とにかく口うるさい奴らには、「お見舞いにうかがった」と納得させればいいのだから、その数十秒だけガマンなさい。国民はそれでだませるから・・・とまで言うのは、うがち過ぎであるだろうか。
では、この指示を出すのは誰?ということになる。あれだけ客観性に欠けて被害者意識で凝り固まり、いまだに自分の正当化にこだわっている東宮夫妻の発案とは思えない。今の状況がヤバい?とわかるほど賢明とは思えない。では、どなた?
自分があの親の立場(天皇・皇后両陛下)であればと想像すると、この方法しかないだろうと推察する。世間は皇太子を切れとか雅子さんを追い出せとか、いろいろ言うが、自分が一家の長となったときに果たしてそれが最善の方法だと思うだろうか。
皇太子ならびに皇太子妃を切ることは、すなわち皇室の存続にもかかわる深刻な問題なのである。彼らを切って、弟夫婦を後釜に据えれば万事メデタシ、メデタシになるだろうか?
伝統の世界であればあるほど、一族の恥は徹底的に封じ込めるものである。一族総出でかばいまくって体裁をととのえる。不祥事もまるでなかったかの如くに隠蔽し、素知らぬ顔で過ごす。それが伝統である。
似た世界である梨園では、どんな不行跡を働く御曹司でも(隠し子がゴロゴロとか)、その親は涼しい顔をして「芸の肥やしでございますから」などと言って、軽くスルーである。素人の娘さんに申し訳ないことをしたとか、息子がいたらないなど口が腐っても言わない。
それもこれも歌舞伎界の地位を保つためである。一人の不行跡の指弾が、歌舞伎界全体の指弾に及ぶのをくい止めるための知恵である。御曹司の非を認めることは、一族の万死に値するからである。
おそらく、東宮一家の在り様はこれからもかわらないだろう。そして、まず一族の安泰を考えるのであれば、天皇・皇后両陛下も全力で「取り繕うこと」に心を傾けられるだろう。だから、何もかわらない。
しかし、最初に書いたが、その努力がすでに「周回遅れ」の感が否めないのである。世間の批判をかわすために、目先を取り繕ってごまかす。それで収拾を図ろうという魂胆のように見受けるが、世間が満足する解答からは取り残されている。その乖離に気づいていないように思われる。この時代に伝統を守ることはきわめてむずかしい。
東宮が、というより、天皇・皇后両陛下を含めて皇室そのものが、やはり世俗とはかけ離れているのだとあらためて感じる。周回遅れという言葉があるが、いま必死になってしておられる様子がまさにそれ。
天皇陛下の心臓手術が契機と思うが、その一大事に際して「皇太子妃がお見舞いをしない」ことが世間の注目を浴びているので、とにかくそこをクリアいたしましょう・・・。まずはナントカ既成事実を作りましょう・・・。そんな感じ。
いよいよマスコミも遠慮がなくなって、皇太子妃はおろか皇太子すら批判の対象になっている。これはナントカせねばなるまい。まずは「ちゃんと陛下のお見舞いをしているのですよ」「皇太子もちゃんと妻を説得できているのですよ」というアピール。
実際にお会いにならなくてもいいのですよ。車に乗って窓を開けてお手振りしている「絵」を提供できれば。後は「お見舞いした」「食事をともにされた」など、しかるべく談話を発表すればいいのであるから。
雅子さんの癖なのかどうかわからないが、公務ではなくお見舞いという私的お出かけなのに、どうして「お手振り」をするのだろう。このとてつもない違和感。だが、それが印象づけるための作為であると解するならば納得もいく。
手を振るということは、振るべき対象がいるということである。つまり、沿道には一般の人々がすでに用意されていなくてはならない。繁華街ではあるまいに、一般人がたまたま居合わせるような場所ではない。
そこに人が用意されていて、そちらにあわせて手を振る。その映像を撮るためにすでにメディアも用意されている。そのような段取りが組まれているのだろう。すべて周到に計算されたお出ましである。
とにかく口うるさい奴らには、「お見舞いにうかがった」と納得させればいいのだから、その数十秒だけガマンなさい。国民はそれでだませるから・・・とまで言うのは、うがち過ぎであるだろうか。
では、この指示を出すのは誰?ということになる。あれだけ客観性に欠けて被害者意識で凝り固まり、いまだに自分の正当化にこだわっている東宮夫妻の発案とは思えない。今の状況がヤバい?とわかるほど賢明とは思えない。では、どなた?
自分があの親の立場(天皇・皇后両陛下)であればと想像すると、この方法しかないだろうと推察する。世間は皇太子を切れとか雅子さんを追い出せとか、いろいろ言うが、自分が一家の長となったときに果たしてそれが最善の方法だと思うだろうか。
皇太子ならびに皇太子妃を切ることは、すなわち皇室の存続にもかかわる深刻な問題なのである。彼らを切って、弟夫婦を後釜に据えれば万事メデタシ、メデタシになるだろうか?
伝統の世界であればあるほど、一族の恥は徹底的に封じ込めるものである。一族総出でかばいまくって体裁をととのえる。不祥事もまるでなかったかの如くに隠蔽し、素知らぬ顔で過ごす。それが伝統である。
似た世界である梨園では、どんな不行跡を働く御曹司でも(隠し子がゴロゴロとか)、その親は涼しい顔をして「芸の肥やしでございますから」などと言って、軽くスルーである。素人の娘さんに申し訳ないことをしたとか、息子がいたらないなど口が腐っても言わない。
それもこれも歌舞伎界の地位を保つためである。一人の不行跡の指弾が、歌舞伎界全体の指弾に及ぶのをくい止めるための知恵である。御曹司の非を認めることは、一族の万死に値するからである。
おそらく、東宮一家の在り様はこれからもかわらないだろう。そして、まず一族の安泰を考えるのであれば、天皇・皇后両陛下も全力で「取り繕うこと」に心を傾けられるだろう。だから、何もかわらない。
しかし、最初に書いたが、その努力がすでに「周回遅れ」の感が否めないのである。世間の批判をかわすために、目先を取り繕ってごまかす。それで収拾を図ろうという魂胆のように見受けるが、世間が満足する解答からは取り残されている。その乖離に気づいていないように思われる。この時代に伝統を守ることはきわめてむずかしい。










