本日は「歌会始の儀」である。元来は貴人のたしなみといえるものであるが、現在は皇室の行事でもある。農耕民族の日本人にとって「七五」の調べは魂の安らぐリズムでもある。
さて、私は毎年皇族方の御歌を楽しみにしていた・・・と過去形で書くのは、じつは皇室随一の詠み手であられた紀宮さん(現在は黒田清子さん)の御歌を拝見できなくなったからである。
皇后さまも良い御歌を詠まれるが、紀宮さんの御歌は頭抜けたすばらしさであった。ふたたびお目にかかりたいものだと、いつも思っている。そんなこともあって、紀宮さんが皇室を去られてのちの歌会始にはあまり興味がなくなってしまった。
が、今年は例年とは趣の異なる御歌が多いのではと予想していた。昨年は、東日本大震災に見舞われ、多くの犠牲者・被災者が生じた。一小市民の私ですら、今年は「おめでとう」という言葉を控えている。
年が明けてから初めてお目にかかる人には、「年があらたまりました。今年もよろしくお願いいたします」という挨拶で通している。「おめでとうございます」という言葉を使うことに、なにやら心が重い。
そんな新年を迎えて、今年はどんな御歌にお目にかかれるのかと思っていた。やはり、天皇陛下をはじめとして多くは先の震災を題材にしておられたが、ぬきんでてすばらしかったのが皇后さまの御歌である。
帰り来るを立ちて待てるに季(とき)のなく岸とふ文字を歳時記に見ず
いまだ行方のわからない人々の多くは、大津波とともに大海原の彼方へ流れ去ったと思われる。いつか帰るのではないか・・・との万感の思いをこめて岸に立つ。そんな痛切な思いがひしひしと伝わる、まことに深い御歌である。目頭が熱くなる。
宮内庁のHPに御歌の解説が載っている。こちらを拝見すると、皇后さまの御歌には次のような解説がある。
俳句の季語を集めた歳時記に「岸」という項目はなく、そのことから、春夏秋冬季節を問わず、あちこちの岸辺で誰かの帰りを待って佇む人の姿に思いを馳せてお詠みになられた御歌。この度の津波で行方不明となった人々の家族へのお気持ちと共に、戦後の外地からの引揚げ者、シベリアの抑留者等、様々な場合の待つ人待たれる人の姿を、「岸」という御題に重ねてお詠みになっているようです。
今年は感慨深く各々の御歌を拝見したのだが・・・。なにやら違和感満載の御歌が二首あって・・・。序列の低い方、年齢の低い方なら致し方もないが、上から数えたほうが早い方が・・・正直(不敬であるが)「この程度か」という失望である。
その御歌を解説とならべて列記する。
皇太子殿下
朝まだき十和田湖岸におりたてばはるかに黒き八甲田見ゆ
このお歌は、皇太子殿下が、学習院中等科三年生の修学旅行で、東北地方を旅行されたおりに、早朝、十和田湖岸に降り立たれ、ほの暗い中に、黒くそびえる八甲田連峰を眺められた時のご印象をお詠みになられたものです。
皇太子妃殿下
春あさき林あゆめば仁田沼の岸辺に群れてみづばせう咲く
平成八年四月下旬、両殿下は福島県土湯温泉町をお訪ねになりました。春浅い信夫路のハイキングコースを散策なさった折に、芽吹き間近の樹林が開けて仁田沼に出られるとそこには白い包状の花が美しい十万本のみずばしょうの群落が広がり七分咲きの見ごろを迎えておりました。その時の光景をお詠みになられたものです。昨年の東日本大震災による被害に心を痛められ、被災地の人々や福島県の美しい自然にも思いを馳せられてお詠みになられました。
皇太子さん、おいつくになられますか?50を過ぎた方が、中学生のときの修学旅行って・・・。きっちり計算させていただけば、37年も前の大昔に観た景色を御詠みになって、それが何なのでしょう?
私は「十和田」を「小和田」と見間違えたほど。皮肉でもなく。よほど題材にお困りなのか、あるいはとりあえず東北に縁のある事柄を詠みこんでおけばよし、程度のおざなりの作品にしか思えない。
同様のことは雅子妃の御歌にもありあり。とりあえず福島を入れておけばいいでしょう。これなら批判は出ないでしょう。というような、ほんとうに胸が悪くなるような「他人ごと」感がにじみ出ている。ま、愛子さんのことを詠まなかっただけマシなのか。
ついでに言えば、「春あさき」と「水芭蕉」が、どうにもつながらず・・・。和歌は俳句とちがって「季語」はないが、俳句では「水芭蕉」の季語はたしかに「四月」「春」である。だが、それは「春深し」の頃。
で、もっと胸が悪くなるのが解説にわざとらしくある「昨年の東日本大震災による被害に心を痛められ、被災地の人々や福島県の美しい自然にも思いを馳せられてお詠みになられました。」の文言である。
これも、謎の東宮職医師団の見解文とおなじく、東宮妃の指図で書かされた一文なのだろうか。雅子妃のどこに「心を痛め」「思いを馳せられ」ているのか、行動で示してもらいたいものだと思う。
行動で示すなら、こういう御歌になるだろう。
文仁親王妃紀子殿下
難き日々の思ひわかちて沿岸と内陸の人らたづさへ生くる
秋篠宮同妃両殿下は、昨年三月十一日の東日本大震災後、各地の避難所や被災地をご訪問になり、被災された人々や、現地での様々な活動をおこなっている人々にお会いになりました。また、復興への取組や支援活動を続けている関係者などからも、活動状況や現地の様子をお聞きになっておられます。秋篠宮妃殿下は、震災後の厳しい状況の下で、沿岸部と内陸部の人々が、様々な思いをもって支え合いながら生きる姿に心を寄せられ、このお歌をお詠みになりました。
この御歌は、皇后さまに次いで思いの深いものである。和歌のテクニックの巧拙ではない。日々を真摯に生きておられる人のみが表現できる、誠実な思いなのだろう。そして、その時宜に合わせられる能力でもある。
皇太子と皇太子妃の、平板な写生がごとき薄っぺらな文字の羅列。致し方なく「行事」のひとつとしてこなされただけの三十一文字。それを自画自賛のごとく解説させるよこしまさ。義務感だけなら、もうおよしになってはいかが。
紀宮さんの秀麗な御歌がなつかしい。この年の、このお題なら、どんな御歌を詠まれたことか。おそらく、三兄弟妹のなかにあって、もっとも聡明でいらしたと思うので、きっと心の温まる、それでいてすぐれた御歌を詠まれたことだろう。
さて、私は毎年皇族方の御歌を楽しみにしていた・・・と過去形で書くのは、じつは皇室随一の詠み手であられた紀宮さん(現在は黒田清子さん)の御歌を拝見できなくなったからである。
皇后さまも良い御歌を詠まれるが、紀宮さんの御歌は頭抜けたすばらしさであった。ふたたびお目にかかりたいものだと、いつも思っている。そんなこともあって、紀宮さんが皇室を去られてのちの歌会始にはあまり興味がなくなってしまった。
が、今年は例年とは趣の異なる御歌が多いのではと予想していた。昨年は、東日本大震災に見舞われ、多くの犠牲者・被災者が生じた。一小市民の私ですら、今年は「おめでとう」という言葉を控えている。
年が明けてから初めてお目にかかる人には、「年があらたまりました。今年もよろしくお願いいたします」という挨拶で通している。「おめでとうございます」という言葉を使うことに、なにやら心が重い。
そんな新年を迎えて、今年はどんな御歌にお目にかかれるのかと思っていた。やはり、天皇陛下をはじめとして多くは先の震災を題材にしておられたが、ぬきんでてすばらしかったのが皇后さまの御歌である。
帰り来るを立ちて待てるに季(とき)のなく岸とふ文字を歳時記に見ず
いまだ行方のわからない人々の多くは、大津波とともに大海原の彼方へ流れ去ったと思われる。いつか帰るのではないか・・・との万感の思いをこめて岸に立つ。そんな痛切な思いがひしひしと伝わる、まことに深い御歌である。目頭が熱くなる。
宮内庁のHPに御歌の解説が載っている。こちらを拝見すると、皇后さまの御歌には次のような解説がある。
俳句の季語を集めた歳時記に「岸」という項目はなく、そのことから、春夏秋冬季節を問わず、あちこちの岸辺で誰かの帰りを待って佇む人の姿に思いを馳せてお詠みになられた御歌。この度の津波で行方不明となった人々の家族へのお気持ちと共に、戦後の外地からの引揚げ者、シベリアの抑留者等、様々な場合の待つ人待たれる人の姿を、「岸」という御題に重ねてお詠みになっているようです。
今年は感慨深く各々の御歌を拝見したのだが・・・。なにやら違和感満載の御歌が二首あって・・・。序列の低い方、年齢の低い方なら致し方もないが、上から数えたほうが早い方が・・・正直(不敬であるが)「この程度か」という失望である。
その御歌を解説とならべて列記する。
皇太子殿下
朝まだき十和田湖岸におりたてばはるかに黒き八甲田見ゆ
このお歌は、皇太子殿下が、学習院中等科三年生の修学旅行で、東北地方を旅行されたおりに、早朝、十和田湖岸に降り立たれ、ほの暗い中に、黒くそびえる八甲田連峰を眺められた時のご印象をお詠みになられたものです。
皇太子妃殿下
春あさき林あゆめば仁田沼の岸辺に群れてみづばせう咲く
平成八年四月下旬、両殿下は福島県土湯温泉町をお訪ねになりました。春浅い信夫路のハイキングコースを散策なさった折に、芽吹き間近の樹林が開けて仁田沼に出られるとそこには白い包状の花が美しい十万本のみずばしょうの群落が広がり七分咲きの見ごろを迎えておりました。その時の光景をお詠みになられたものです。昨年の東日本大震災による被害に心を痛められ、被災地の人々や福島県の美しい自然にも思いを馳せられてお詠みになられました。
皇太子さん、おいつくになられますか?50を過ぎた方が、中学生のときの修学旅行って・・・。きっちり計算させていただけば、37年も前の大昔に観た景色を御詠みになって、それが何なのでしょう?
私は「十和田」を「小和田」と見間違えたほど。皮肉でもなく。よほど題材にお困りなのか、あるいはとりあえず東北に縁のある事柄を詠みこんでおけばよし、程度のおざなりの作品にしか思えない。
同様のことは雅子妃の御歌にもありあり。とりあえず福島を入れておけばいいでしょう。これなら批判は出ないでしょう。というような、ほんとうに胸が悪くなるような「他人ごと」感がにじみ出ている。ま、愛子さんのことを詠まなかっただけマシなのか。
ついでに言えば、「春あさき」と「水芭蕉」が、どうにもつながらず・・・。和歌は俳句とちがって「季語」はないが、俳句では「水芭蕉」の季語はたしかに「四月」「春」である。だが、それは「春深し」の頃。
で、もっと胸が悪くなるのが解説にわざとらしくある「昨年の東日本大震災による被害に心を痛められ、被災地の人々や福島県の美しい自然にも思いを馳せられてお詠みになられました。」の文言である。
これも、謎の東宮職医師団の見解文とおなじく、東宮妃の指図で書かされた一文なのだろうか。雅子妃のどこに「心を痛め」「思いを馳せられ」ているのか、行動で示してもらいたいものだと思う。
行動で示すなら、こういう御歌になるだろう。
文仁親王妃紀子殿下
難き日々の思ひわかちて沿岸と内陸の人らたづさへ生くる
秋篠宮同妃両殿下は、昨年三月十一日の東日本大震災後、各地の避難所や被災地をご訪問になり、被災された人々や、現地での様々な活動をおこなっている人々にお会いになりました。また、復興への取組や支援活動を続けている関係者などからも、活動状況や現地の様子をお聞きになっておられます。秋篠宮妃殿下は、震災後の厳しい状況の下で、沿岸部と内陸部の人々が、様々な思いをもって支え合いながら生きる姿に心を寄せられ、このお歌をお詠みになりました。
この御歌は、皇后さまに次いで思いの深いものである。和歌のテクニックの巧拙ではない。日々を真摯に生きておられる人のみが表現できる、誠実な思いなのだろう。そして、その時宜に合わせられる能力でもある。
皇太子と皇太子妃の、平板な写生がごとき薄っぺらな文字の羅列。致し方なく「行事」のひとつとしてこなされただけの三十一文字。それを自画自賛のごとく解説させるよこしまさ。義務感だけなら、もうおよしになってはいかが。
紀宮さんの秀麗な御歌がなつかしい。この年の、このお題なら、どんな御歌を詠まれたことか。おそらく、三兄弟妹のなかにあって、もっとも聡明でいらしたと思うので、きっと心の温まる、それでいてすぐれた御歌を詠まれたことだろう。









