東大阪市で起きた、母親が12歳の娘を刺殺した事件。母親が精神疾患患者と判明してから、ぱたりと報道が途絶えた。いつもながらの人権配慮だ。
こうした患者の多くは責任能力がないから罪に問えないというが、それは「殺してもいいか悪いかの判断をする能力」に欠けているのであって、「包丁を突き刺して殺す能力」は持っていた。
両手両足が萎えて、凶器をあつかうことすらできない「身体能力の欠如」であれば、人は殺せなかったにちがいない。だが、娘を刺殺した37歳の母親には、十分な身体能力が備わっていた。
この母親には刺殺した12歳の娘のほかに、中学生の長男と7歳の次男がいた。その長男が「母親に包丁を突きつけられ、暴力をふるわれた」と、事件前にも自分が通う中学に申告している。
つまり、中学生の男子生徒ですら暴力を防ぎきれないほど、この母親には「身体能力」が備わっていた。中学生くらいの息子であれば体力・腕力ともに母親をしのぐであろうに、それにも屈しないほどの「暴力をふるう能力」が母親にはあった。
もうひとつ先に進めて、たとえば寝たきりで身体能力を著しく欠いていても、その「口」で罵詈雑言の限りを尽くして家族(周囲の者、世話をする者)を追い詰め、ついには自殺にまで追い込むこともある。これも立派な殺人である。
身体能力や言葉で十分に人を殺せる能力があるなら、その能力に対して罰を下すべきだ。判断能力で線引きをするから、ほとんどのケースで許されてしまうのである。
37歳の母親の人権を慮るあまりに、12歳の少女の生きる権利を無視し、13歳と7歳の息子の権利をも脅かしているのだ。いったい、どちらに重きを置くのか。精神異常者をここまで庇護する理由はあるのか。
この事件の核心は「キチガイの放置」に尽きる。差別、差別とバカの左翼が騒ぐために、結局は本当に守られるべきものが被害者となり、擁護されるはずのないものが過分な措置を与えられている。
責任をとれないものに権利はない。
こうした患者の多くは責任能力がないから罪に問えないというが、それは「殺してもいいか悪いかの判断をする能力」に欠けているのであって、「包丁を突き刺して殺す能力」は持っていた。
両手両足が萎えて、凶器をあつかうことすらできない「身体能力の欠如」であれば、人は殺せなかったにちがいない。だが、娘を刺殺した37歳の母親には、十分な身体能力が備わっていた。
この母親には刺殺した12歳の娘のほかに、中学生の長男と7歳の次男がいた。その長男が「母親に包丁を突きつけられ、暴力をふるわれた」と、事件前にも自分が通う中学に申告している。
つまり、中学生の男子生徒ですら暴力を防ぎきれないほど、この母親には「身体能力」が備わっていた。中学生くらいの息子であれば体力・腕力ともに母親をしのぐであろうに、それにも屈しないほどの「暴力をふるう能力」が母親にはあった。
もうひとつ先に進めて、たとえば寝たきりで身体能力を著しく欠いていても、その「口」で罵詈雑言の限りを尽くして家族(周囲の者、世話をする者)を追い詰め、ついには自殺にまで追い込むこともある。これも立派な殺人である。
身体能力や言葉で十分に人を殺せる能力があるなら、その能力に対して罰を下すべきだ。判断能力で線引きをするから、ほとんどのケースで許されてしまうのである。
37歳の母親の人権を慮るあまりに、12歳の少女の生きる権利を無視し、13歳と7歳の息子の権利をも脅かしているのだ。いったい、どちらに重きを置くのか。精神異常者をここまで庇護する理由はあるのか。
この事件の核心は「キチガイの放置」に尽きる。差別、差別とバカの左翼が騒ぐために、結局は本当に守られるべきものが被害者となり、擁護されるはずのないものが過分な措置を与えられている。
責任をとれないものに権利はない。









