午後の雨やどり

つれづれパラレル日記

2012年02月02日 07時17分39秒 | 日記
雪深い地に家族の一人が住んでいる。ニュースのトップは大雪の被害。「生きているか」と安否確認のメールを送る。このメール自体が通信障害で届くだろうかという危惧。

それでも、「なんとか生きている。外には出られない」と、返信がくる。正月明けにも、装甲車みたいな除雪車がフル稼働だとか言っていた。2Kのアパート暮らしだが、エアコン、石油ファンヒーター、電気ストーブ総動員でも追いつかないとも。

2メートル超のツララがあちこちの軒先にぶら下がり、それをしっかり折っておくのもアパートの大家の仕事だとか。記録的な豪雪であるというが、多くの地域が除雪の費用に事欠いている。すでに底を尽きかけているが、緊急出動だ。人命がかかっている。

私は雪とはあまり縁のない土地で育った。記憶にある限り、小学生のころに膝くらいに積もったのがせいぜい。その後は列島全体が暖冬におおわれて、めったに積雪にはおめにかからなくなった。

だから、ほんの5cmでも積もろうものなら、とたんに市内の交通はマヒし、子どもらは狂喜乱舞となる。こんなわずかな積雪でも、翌朝には道路が凍り付き、あちこちで転倒や車の衝突事故が起きている。

ほとんど雪に縁なく過ごしてきたが、たまたま雪深い地に家族が住むようになり、その現実の厳しさをあらためて知った。一年の3分の一以上を雪で閉ざされる生活。今ほど便利でなかった時代は、辛抱に次ぐ辛抱の連続であったろう。

保存食などの知恵も生まれるが、それでも急な病を得たときなどの不便さは多くの困難や悲哀をもたらした。総じて貧しい地帯でもある。真白で巨大な塊に閉ざされる生活の中で、「利便」に通じる道やトンネルを渇望するのは自然なことだ。

雪もなく、まして山もない太平洋岸の平地に住む者が自分の感覚でものを言うのは、この列島にあっては驕りともいえる。都会ではなんでもない1本の道路が、雪国では生命を分かつ道となる。

その道を拓くことに多くの利権がうまれ、ぶら下がり、政治の腐敗を生んだかもしれない。だが、苛酷な雪国の現実にあって、そこに住む人々が渇望した道であったことに違いはない。

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キーワード
電気ストーブ 石油ファンヒーター
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