午後の雨やどり

つれづれパラレル日記

ロバとペガサス

2012年02月07日 12時53分32秒 | 日記
テレビも見ない、ローカル新聞をとっていないのでチラシゼロ、友だちともつきあわないどころか、ほとんど出かけない日々を送っているので、どうしても情報の入手はネット主体となる。

かつて、それでもとりあえず「今何が起きているのか」を知るためにはテレビ、そして、多いときは4紙も購読していた新聞、その他食指が動けば思わず買っていた週刊誌のたぐい。だが、信憑性がいかにあてにならないかを知ってから、それらを捨てた。

今風に言えば「断・捨・離」というやつだ。そう考えると、私はさまざまな場面で「断・捨・離」を意識せずにおこなってきたのかもしれない。人とのつきあいもそうである。

集合住宅に住んでいた時には、否応なしにおつきあいがあった。「お茶しない?」「ランチしない?」の合言葉で、集ってみれば、延々と繰り広げられるのは『人の噂』『人の悪口』『芸能人情報』『舅・姑の不満』であった。

それらに少しも興味がないとは言わないが、なんで毎日毎日そういうことでけして短くはない時間を過ごせるのか、負担を通り越して拷問に近い心境だった。お菓子を食べながら、お茶を飲みながら、脳ミソが溶け出ていくようだ。

そして、子どもがいれば「ママ友」のおつきあいも否応なくある。子どもが人質なので、子どものためだから、子どもが不自由な思いをしないためにと、ずいぶん無理をしたように思う。

今思えば、子どものためと思ったけれど、はたして子どもはそんなに立場がよくなったか?人づきあいの悪い親をもったからと言って、それで子どもの肩身が著しくせまかったか?と問うと、そうでもなかったと思うのである。

子育てをしていたあいだ、ずっと「子どもという共通項がなければ、私はこの人たちとは友だちにはならなかっただろう」と思っていた。それくらい、私が変わり者だったと、自分では思っていたが、つい最近とある人(男性)に、「あなたは出会いの場に恵まれなかっただけ」と言われ、それもそうかもと思い直した。

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私は昔から思い切りよく物を処分する。自称「ウルトラショブン」などと言っている。それでも、ただ今絶賛中の「断・捨・離」のやましたひでこさんの思い切りの良さには負ける。私には、まだまだ「もしかしたら〜(いつか使えるかも)」が残っている。

で、昨年の夏、信じられないくらいの処分を断行した。後で後悔するかもと、その時は思ったのだが、ドッコイ、いざ目の前からなくなってしまえば、それはそれで「日常」となり、まったく困らなかったのである。人は不自由の中から知恵を見出す・・・これを体感した。

いま、私が「ため込んでいる」ものはすべて非常用の物。食料・水・乾電池を含む燃料。これだけはため込む。それ以外は、思い出の品も含めて、どんどん処分している。とっておけばよかった・・・なんてものは、ほとんどない。

なぜなら、自分が死んでしまえば、そのほとんどは「自分以外の人が処分する」しかない、困りものだからである。現金とか商品券とかなら、残された人も喜ぶ形見だろうが、それ以外は無用の物の集積だ。結局、自己満足のガラクタに囲まれて生きているのよね、そう思う次第。

で、やましたひでこさんのブログというものを拝見していて、ふと気づいたことがある。北陸にお住いの方だが、あのお年にして早稲田の文学部卒というのだから、普通の主婦にしてはご優秀である。

地方住まいの主婦として埋もれることなく、ご自身の才気を発揮されて今やお片付けのカリスマである。講演会やらセミナーやら日本国中を飛び回っている印象のブログだが、その記述の中で「おや」と思う個所がある。

やましたさんは、ごく日常の生活を「ロバの日々」、仕事モードを「ペガサスの日々」と名付けている。ロバと聞いて、私がすぐさま目に浮かぶのは、イソップ童話に出てくるような、重い荷物を背負わされている虐げられた姿だ。

やましたさんが、プライベートを「ロバ」と称したのは、このイメージとかわらないのではないか。そんな気がする。ブログの中で、家族構成が紹介されたていたが、やましたさん夫婦と長男、他に高齢の姑さんと実母をくわえた5人暮らしである。

高齢の婆さまを2人も抱えた人なのか。しかも、やましたさんのブログには、遠まわしであるが、いまだに抜けきらない葛藤や懊悩のようなものが綴られている。

そして、実母という点での遠慮のなさからか、母親に対しての批判がけっこう書かれている。姑さんは夫氏の母親だから、あまり露骨なことが書けないのかもしれないが、どうも実母よりは「まし」な人でもあるようだ。

やましたさんの言葉に実母を「反面教師」にしたとある。また、実母の婆さまの日常の様子が書かれているのだが、この婆さまは被害者意識の強い・・・つまり弱者を装った暴力者であり、「病気」を錦の御旗にした厄介な人のようである。

こんな母親を引き取らざるを得ない境遇・・・。この人生が、やましたさんに「ロバの日々」を自覚させ、羽をつけてはばたく「ペガサス」になることへの原動力となったのだろうなあと、しみじみ思った。

今や時代の寵児といっても過言ではないほどのご活躍であるが、そんな人でも自らを「ロバ」と称さなくてはならないほどの、肉親との葛藤が現在進行中なのである。もしかしら、やましたさんが一番「断・捨・離」したかったのは、実母の存在なのかもと思ってしまう。

「少ないモノでゆたかに暮らす」というベストセラーのある料理家の大原照子さんも、片付けの先駆者である。英国好きのコジャレた婆さまで小気味よく、私は何冊か著作をもっている。

大原さんの本には家族として、ご自身の両親や姉妹、一人息子の話はたびたび登場するのだが、ただの一度も「夫」の話が出てこない。なので、私はかねがね、この整理整頓好きな料理家は夫も「処分」してしまったのかもと思っていた。

夫なら「処分」もできるが、実の親となると「処分」できない。その葛藤なのかもしれない。捨てたくとも捨てられないものとの向き合い方。己を負けさせるか克つか。自分がどうありたいか。

やましたさんの「断・捨・離」よりも、葛藤の中からの立ち上がり方の見事さに感心する。ロバの役割を放棄することができなければ、ペガサスになれる「羽」を求めよ。自らの力で。そういうことなのだろう。

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