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産業遺産から当時の情景を想像してみる ~ 炭鉱メモリアル森林公園ほか(美唄市)

訪問日:2012年11月5日

空知地域には産業遺産、
なかでも炭鉱関係のものが多いということで、
仲間と一緒に美唄市に来てみたよ。
炭鉱メモリアル森林公園を目指して山間を進むんだ。
途中の我路地区には
炭鉱まちとして栄えていたころの建物跡
沢山あるそうだよ。



国道12号から道道135号美唄富良野線に入り、
山間に向けて進むんだけど、
この道は途中の美唄ダムのところで行き止まりになっているんだ。
ほどなくして右手にかつての炭鉱まちの小学校を
美唄出身で世界的な彫刻家・安田侃氏のギャラリーとして再生させた
アルテピアッツァ美唄が見えてきたよ。
さらにしばらく進むと、
炭鉱隆盛期には賑やかだったまちの一つ「我路地区」に到着。
現在も住宅や会社などが少し残っていて、
営業している焼き鳥屋さんもあるんだ。
ここの一角に独特の形をした廃墟を発見!
外壁にツタが這ったこの建物は映画館の映写室跡なんだって。
この山奥に映画館があったなんて今では考えられないけど、
当時はそれだけの需要があり、多くの人たちが暮らしていた証なんだろうね。

  


次に美唄川に沿った脇道に入る。
細い道をしばらく進むと川の対岸に円形の建物と
鉄骨の骨組みだけになったものが見えてきたんだ。
珍しい円形の建物は旧沼東小学校の校舎跡なんだって。
少し進んで橋を渡り、徒歩で建物に近づいてみたよ。




骨組みだけとなった建物はこの小学校の体育館跡
外壁は残っていなくて鉄骨の骨組みだけなんだけど、
その骨組みは今にも崩れ落ちそうなくらい朽ちていたよ。
体育館だけに大きかったな。
道道から細い道に入った山の中なんだけど、
かつては大勢の児童の歓声が響き渡っていたんだろうね。
それだけ周辺には多くの人が住み、生活を営んでいたんだなと思ったよ。




道道135号に戻り、さらに山間を進むと、
左手の美唄川には対岸の山まで
いくつもの朽ちた橋が架かっているね。
かつて炭鉱住宅があったところで、道の両脇には沢山の住宅が建っていたらしいよ。
今はかろうじて橋が確認できるだけで、住宅地だったとおぼしき場所には
樹木と雑草が生い茂り、かつての面影は微塵もなかったな。
やがて前方に山間には不似合いな
オレンジ色の建造物が見えてきた~。
ここは三菱美唄炭鉱閉山後に、
跡地を炭鉱メモリアル森林公園
として整備したところなんだ。

 


公園の山側にはコンクリート造の巨大な建造物があったんだけど、
これは掘り出された石炭を貨車に積み出すまでの間、
一時的に保蔵しておいた
原炭ポケットと呼ばれる施設だったらしいね。




先ほど、遠くからでも確認できた
オレンジ色の巨大な建造物は竪坑巻き上げ機
この巻き上げ機は建設当時の色に塗り直されているそうだよ。
それにしても大きいなぁ~。
その横には配電盤などの電気設備が収められていたという
コンクリート造の開閉所も残っていたよ。
これらの建造物は、今でこそ山間にひっそりと佇んでいるものの、
当時は轟音を立てて動いていたと想像してみると、
三菱美唄炭鉱の規模と隆盛を物語っているね。
こうして現在は巨大なモニュメントと化している炭鉱施設に接すると、
ここにたどり着くまでに見てきた炭鉱まちの住宅や娯楽施設、学校などの跡地が
説得力のある形で蘇ってくるよね~。
これだけの施設に多くの人が昼夜の別なく働いていたなら、
この山間にいくつもの居住区や娯楽施設があっても不思議じゃない…
いや、あって当たり前と納得できたよ。

  


この産業遺産訪問では、廃墟となった建物を見ながら、
国の政策転換に翻弄された炭鉱の栄枯盛衰を垣間見たような気がしたな。
ある程度、事前に調べてから行ったんだけど、
もっと美唄の炭鉱のことについて知りたくなったよ。
今回は機会がなかったんだけど、地元のお年寄りなんかに声をかけて、
当時の様子について話を聞けたらよかったと思ったな。
空知地域にはほかの市町にも炭鉱遺産が多くあるし、
農業などほかの産業に関する産業遺産もあるから、
今後もいろいろと周ってみようと思うよ。

オマケの話!!
美唄の市街地から道道135号を上ってくる間、
ちょっと用事があって郵便局に寄ったんだよね。
そこには現代的なATMのような機械は一切なくて、
ナント、計算もそろばんを使ってやるんだよ。
郵便局のおばちゃんに
「アンタ、そろばん使えないのかい!?」って言われちゃった。
ここに来るお客さんも当然のようにそろばんで計算するんだな。
古き良き時代が残っているというか、
この郵便局はずっと残っていてほしいと思った~。

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