砂漠の音楽

本と音楽について淡々と思いをぶつけるブログ。

斉藤洋「ルドルフともだちひとりだち」

2017-05-27 11:58:23 | 日本の児童文学


近況報告、首のヘルニアになりました。
動くのがいちいちしんどい、洗濯物を干すのに上を向くのがつらい、痛くて寝返りで目が覚める、とかなりHellがnearな感じでしたが(※ 笑いどころ)痛み止めのお陰でなんとか生きています。以前知り合いがヘルニアになっていたので「や~いヘルニア星人~。お前んち、おっばけや~しき~」とからかっていたのですが、これは本当に辛い。友人ごめん、お化け屋敷ごめん。そんな今日この頃です、近況報告終わり。


ブログを立ち上げてからずっと音楽の話をしていたので、今日は趣向を変えて本を取り上げてみる。別に音楽の方がネタ切れとか、他に書くことが思いつかなかったとかいうわけではない。断じてない。そういうのとは違うので誤解をしないよう、悪しからずご了承いただきたい。
さて、ご紹介するのは児童文学作品の『ルドルフともだちひとりだち』である。もし明日死ぬなら最後になにを食べる?という質問に、寿司も食べたい肉も食べたいガパオも食べたいと思う私だが、最後になにを読む?という質問には迷わずこの本を選ぶだろう。

本作は『ルドルフとイッパイアッテナ』という作品の続編にあたる。ルドルフとイッパイアッテナは2016年夏に映画化されていたから(なんで今更?と思ったけれど)記憶にある人もいるのではないだろうか。それにしてもこの本の装丁。デザインした人には悪いが、子どもごころにちょっと怖い絵柄じゃないか。特に目。もしかしたら読者を試しているのかな。いやそんなことはないか。
基礎的なデータを少し書いておこう。作者の斉藤洋氏は1952年、東京の江戸川生まれのドイツ文学者である。29歳のとき『ルドルフとイッパイアッテナ』で児童文学作家としてのデビューを果たし、その続編である本作は2年後の1988年に出版された。他にも『ペンギンたんけんたいシリーズ』『なんじゃひなた丸シリーズ』など数々の優れた作品を残し、日本の児童文学界に果たした役割は大きい(と勝手に思っている)。現在は亜細亜大学の教授をやっている。
私はこの斉藤洋氏の作品を結構読んでいる方だと思うけれど、本作が一番好きだ。そして次点で『ドローセルマイアーの人形劇場』だ。実家に帰ったときには必ずと言っていいくらい読み返している。これもすごくいい本なので(しかもすぐ読める)、もし興味がある人はぜひ手に取ってみてほしい。

内容について話していこう。あらすじを簡単に書くと、これはふとした過ちで岐阜から東京の江戸川付近に来てしまった黒猫ルドルフの物語である(つまり作者の出身地のあたりが舞台だ)。ルドルフは、東京で知り合った兄貴分的な存在のトラ猫「イッパイアッテナ」や、ひょうきんもののぶち猫「ブッチー」らと交流しながら、なんとかして故郷の岐阜に、飼い主のリエちゃんのもとに帰ろうとする。そんななかで主人公のルドルフが人間的に(というか猫的に)成長して一人前になっていく。
作者の斉藤洋氏が公言しているように、前作と本作は一種の「教養小説」である。作者がドイツ文学を専攻していたというから、その影響がきっと大きいのだろう。ネコから原稿を貰った、という書き出しはケストナーの『飛ぶ教室』に近いものを感じるし、様々な人(本作の場合は主に猫)や体験に触れて、ときには失敗もして、友情が深まったり恋をしたりして主人公の内的な世界が広がっていく、という構図はトーマス・マンの『魔の山』に通ずるところがある。同じくドイツ作家のヘッセの作品にもそういったところがあるように思う、『デミアン』とか『知と愛』とか。あっちのほうはもう少し具合が悪い気がするが。破局的な場面も多いし。

児童文学を侮るなかれ。短いながらも読みごたえがある。前作も「ぜつぼうはおろかもののこたえだ」という箴言めいたことを猫が話していたり、「そういうのは教養がない猫がすることだぞ」と主人公が窘められたりと、人間顔負けのことを猫が語っている。
その点に関しては本作も負けず劣らずである。イッパイアッテナの飼い主のエピソード、デビルとの仲直りのシーンは胸が温まるし、あと「恋ってなんだ!」とか「強いってなんだ!」とか、思春期的な心性もうまく書かれているように思う。大人になって読み返してみても「そうそう、たしかにそういうことで悩むよね~」と猫に共感する部分が多い(まあ書いているのは人間なのだが)。
なにより、ちょっと踏み込んだ話というかネタバレになってしまうが、最後のシーンがとてもよいのだ。頑張った末、主人公の望みが達成されたかと思ったときに自分の居場所がないと思い知ったあの場面こそ、この作品の一番の見どころだろう。そしてそのとき、自分がかつて理想の対象として感じていた「イッパイアッテナ」の名で名乗るシーンは本当にぐっとくるのである。自分が大人に、一人前になってしまったときには、もうもとのように戻れないのだ。「主人公が成長していく」という単純な教養小説ではない、成長すると同時に自分たちがなにかを失っていくのだ、ということを考えさせられる(逆説的に考えるなら、なにかを失うから成長していく面もあるのかもしれない)。
書いていたら読み返したくなってきたので、家に帰ったら読み返そう。1時間もあれば読める作品だ。前作と併せておよそ2時間もかからない、近所の図書館にも置いてあるだろうから時間に余裕がある人にはぜひ読んでもらいたい。その2時間弱は、きっと意味のあるものになるはずだ。


この本は1作目「イッパイアッテナ」とセットで親戚のおばさんからもらった。私がまだ小学生低学年の頃だった。それから私は本を好きになって、今でもたぶんそれなりに読む方だと思うけれど、昔よりかは読むペースが落ちている(年齢を重ねて、本をずっと読んでいるのがしんどくなったのもある)。私自身、いわゆる「教養小説」の主人公のようにシンプルにすいすいーっと成長してきた気はまったくしていないが、自分もなにかを失いながらも前に進んでいるのだと思う。このブログを読んでくれている方のなかにも、きっとそういう人がいるのではないか。


※上述したように、この人の作品をたくさん読んでいるつもりだったけれども、調べてみたら全然読んでいなかった。お恥ずかしい限りである。そして作者が実に多作だということも知った。しかし私がここで挙げた2作(『ともだちひとりだち』と『ドロセルマイアー』)が好きなのは、たぶん他の作品を読んでも変わらないだろう。