昨日は、陽射しが心地よい一日だったので、久しぶりにのんびり外を歩いた。
紅(黄)葉の季節。樹木や草の陰翳がより複雑になっている季節。
お寺の境内の隅に控えめに紛れて立つモミジの、
その― 陽に透けて仄暗い背景から浮かび上がる色が目を引いた。
それにくらべると、一面が彩られる賑やかな紅葉は、なんだか絵葉書を見るように視線が上滑りする感じで、
それ以上内に入ってこないように思えたけれど、それはぼくだけか。いや、
そういえば、西脇順三郎が、あの派手な紅葉の様子を「土人の腰巻」といって(ヒドイ!)評していたのを思い出した。
イチョウ並木が路面に散らす一面の黄色の方がより身近で親しみが持てるかもしれない。
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この頃、モートン・フェルドマンに関して調べていて、ハロルド・バッドという人の名を知った。
1960年代初頭、J・ケージや M・フェルドマンの影響を受けた作曲家。
楽曲・・「One Sound」「Lovely thing」「The Candy Apple Revision」etc.
(不確定、ミニマル的特徴の音楽、ブライアン・イーノとのコラボなど)
(参照)「現代音楽キーワード事典」David Cope著
以下は、そんなハロルド・バッドがこの本の著者に宛てた私信からのもの。
好きな文章なので引きます。
”以来、ずっと(昔から)、私はゼロに向けて自分を推し進めてきました。すなわち、
すべてを取り止め、取り除く一種のプロセスです。
ところで、単調さと退屈さには 大きな違いがあります。 私にとって退屈とは、
何か興味深いことをしようと試みていることです。
単調さとは私にとって、面白いことを何もしていないことだ、と。
そして、あらゆる芸術が 無価値であるべきだ(社会的価値をまったく伴わない)と感じる限り、
私に興味があるのは自分のすることのかわいらしさです。
つまり、・・ 一瞬一瞬「恐ろしく」、「魅力的で」、「繊細で」、「落ち着いて」、 「催眠状態にかかるような」、「精神的な」・・
実存的かわいらしさです。 高尚芸術の王様は無用性です・・・。”
(関連)→こちら