語学力ゼロ! それでも行きたいから行っちゃう無鉄砲女子の欧州旅日記

根性だけで英語が全く話せなくとも、行きたい所へ行ってしまう…無鉄砲女子の旅日記

アウシュヴィッツ/ビルケナウ

2017-05-16 21:15:18 | 旅行
アウシュヴィッツのガイドを予約していた日。
この列車に乗っている人は、きっとみなアウシュビッツに行く人達だろう。
クラクフに来たらアウシュヴィッツに行くのだろう。

駅から博物館までは歩いて20分とあった。
ガイドブックの地図と前を歩く人に着いて行こう。たぶん行き先は同じだから…

前を歩く日本人学生と、外国人の若者はきっとユースか何かで一緒だったのだろう。
流暢に英語で会話をしている。こういう子達をみるとすごいな…と思う。

ほどなく歩いていくと、博物館に到着。
中に入り、ガイドの中谷さんを探す…居た。
最初は4〜5人と言っていたが、最終的には8人となったみたいだ。
前を歩いていた学生二人も英語ガイドではなく、日本語ガイドで参加のようだ。

教科書や本に載っていた強制収容所の代名詞的な看板があった。

「働けば自由になる」と書かれた収容所の入口

二重の有刺鉄線や、監視塔に収容施設。
アウシュヴィッツは元はポーランド軍のものを、ナチスが奪い収容所として使用。
強制収容所として使用する際に、塗られていた壁を剥がし、
あえてレンガ壁を剥き出しにしたよう…きっとここにもナチスの思惑があったのでは。
街路樹として植えられたポプラの木は、当時植えられたものが大きくなったそう。
戦争が終わり長年、この木はずっとアウシュヴィッツでの出来事を
年輪と共に刻み成長してきたのだなぁ…
中谷さんの話では、そんなポプラの木も倒木の恐れがあるものは切り倒し、
また新たなポプラの木を植えてあるので、当時の面影はそちらの方だと言っていた。

収容施設の一部は当時の写真や収容者の戦後描いた
施設内の日常風景や書類などの展示室となっていた。
焼却して残った骨を粉砕した一部が、展示されていた。
骨だったと言われなければ分からない…
主人から無理矢理奪い取った、トランクや子どもの靴、大人の靴の山々…
眼鏡や家庭用品なども展示されていた。


展示品はごく一部であるが、あまりにもの数に言葉を失う。
「故人を偲んでここでは撮影はしないで下さい」と言われた部屋には、
女性の髪の山が…何十年もたち、少し傷んできたというが、
その具合がより一層生々しさを感じさせる。
編まれたまま刈り取られているのが多く、胸が苦しい。

何度も写真で見たことのある「死の壁」その隣の建物は裁判所や、
囚人の中の特別待遇者の部屋もあった。
その棟には地下牢もあり、コルベ神父が毒殺された部屋には蠟燭が飾られていた。

アウシュビッツからバスで移動し、ビルケナウ収容所へ。
とても広い場所に大きな駅舎風の建物、効率性を考え線路を引き入れた人生の終着駅、ビルケナウ。

当時の貨物車両が置かれていたが、この小さな中に何日間も座るスペースもなく
詰め込まれて…想像できない精神状態だと思う。

殺人工場のガス室も、ナチスがダイナマイトで爆破したままで残されている。
再現されていても、中に入りたくはない。
この収容所は、建物があまり無い。
よく映画では、木造の収容施設が沢山あるが…
話によると、戦後、住民が冬場の燃料として、
木造だった建物を壊し暖をとったからとのこと…
悲しくレンガの煙突だけが拡がっている。

全くよく知らないで見学に来た人が、質問をしていたけれ、
全く知らないで来ても勉強になるし、少し本を読んで知っている人にも勉強になるところだと思う。
自分が本を読み、感じていた考えていたことは間違ってはいなかった事が再確認できた。
ただ中谷さんも言っていたが「答えなどない、自分で感じること」
とても難しい事なのだと、改めて確認できた。


ビルケナウの「死の門」へと続く線路…
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