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蝉の死に際

2009-08-12 | 自然大好き・いきもの大好き
美しいはなしでなくて、また表現もきつくて恐縮なのですが。
昆虫が嫌いな方は悪いことは言いません、ご遠慮なくスルーしてください。


・・・・・・・・・・・・・・・・


夏の風物詩ですね、蝉の大合唱。
でも彼らは1週間余りで力を使い果たして死んでゆきますね。

子供の頃の夏、外を歩くのが嫌いでした。
どこへいっても蝉が死んでいる。ひどいのになると無残にひしゃげている。
あまりにかわいそうだし、そんなおそろしいものを見たくなくて。

災害の報道を見すぎて気が滅入ったと書きましたが、
人間は悲惨なものをあまりたくさん見ると鬱っぽい症状が出てきます。
感じやすすぎた当時の私も、たかが昆虫といわれるかもしれませんが
そんな感じでとても辛かったのです。
視野は意外に広いので、そういう情報は無意識のうちに入ってきます。
虫などわざわざ見ないよ、という方にも。


でも今年は。仰向けに転がっている蝉を見ただけでは苦しくはなくなりました。
よくやった。生ききったきみはえらいぞ、と心で祝福するようになりました。
あらゆる生存競争を生き抜いて、成虫になり目的を遂げた上で力尽きて死ぬなんて
蝉にしてみれば大往生、めでたいくらいだとやっと気づいたので。

でも、地面に転がっていたら、道の真ん中じゃ人間がその上を通る場合も多々。
そうしたら、せっかくのおめでたい大往生が、悲惨なものになってしまう。

近隣の緑豊かな今の住まいに越してきた年から、じっと転がっている蝉を見かけたら
死んだ蝉にはたいへん失礼なことをとは思いつつ、死骸を掴むのはこわいので
棒切れなどで道の端へ寄せるようになりました。


先日、ふと地面に仰向けに転がっている蝉を、歩くときのストックで
ごく軽く触れたら、足を動かしました。まだ生きている・・・!
思わず人差し指を差し出したら、全部の足でしっかりと掴まりました。

道の端までいって羽の付け根の両脇を持つと、蝉はおとなしく私の指から足を離したので
私も、すぐには蟻が見つけにくそうなブロックの上へ蝉を降ろしました。
よく頑張ったね、と心でつぶやきながら。
死ぬ前に蟻が来る場合もあるかもしれないのと、道の真ん中で踏まれて死ぬのとでは
蝉にはどちらが幸せなのだろう、勝手に介入してごめんなさいと謝りつつ。


けれども、私の指にしばらく残っていた、最後に蝉がふりしぼったであろう力が答えかなと。


もしも地面に転がっている蝉を見かけられたら。
死んでいても、まだ生きているならなおさら
お時間が許せば、安全な場所まで移動させてやってください。
そうすればほんの少しだけ、世の中が悲惨じゃなくなりますから。

Comments (6)    この記事についてブログを書く
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6 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (しろぶんちょう)
2009-08-13 19:52:24
私にはうつくしいお話でした。
あの美しいお声を内側から支えるのは、生き物の命を慈しむお心なのだと思いました。
セミたくさんいますね (わたちゃん)
2009-08-13 22:44:35
私もセミが弱っているのを見つけると、
つい捕まえて、近くの木とかに移動させる性質があります。
でもこれってセミにとってよいことなのか、疑問に思うことがよくあります。
(むしろほっておいたほうが、自然の摂理にかなっているんじゃないかと)
私は偽善者ではないのかと、思うことすらあります。

なんか話が重たくなるのでやめますが、あまり考えすぎないほうがいいですね。
私は宗教の勧誘の者ではないですので、ご安心ください。
またもや恐れ入ります (TOMOKO)
2009-08-13 23:37:08
しろぶんちょうさん♪

そう思ってくださって、ありがたく存じます。
実際の私の心は、闇もたくさん見てきたので、結構荒んでいるかもしれませんが…

でもしろぶんちょうさんがそのように感じてくださるのは、しろぶんちょうさんご自身のお心が、小さな命を美しいと感じ、慈しむお心だからですね。
そうですね (TOMOKO)
2009-08-13 23:52:36
わたちゃん♪

わたちゃんはきっとやっているだろうと思ってました。私も同じですよ、自分は偽善者かなと思うこところも。

でもね、それをいえば、蟻も来ない都会のアスファルトの道路の真ん中でぺしゃんこになって死ぬ蝉だって、自然の摂理には反しているのは同じじゃないかなと。土の上や道路の端でないと土に帰ることも困難になって、それも考えたらかわいそう。

弱って道路にひっくり返っていても、指を差し出したらしっかりと掴まる蝉。本当は木にとまっていたいのだと私には思われるのです。命が尽きて、地面に落ちるそのときまで。
だから、どうか蝉の救助を続けてあげてください。ありがとう。
闇と光 (しろぶんちょう)
2009-08-15 20:19:25
才能を利用しようとする人は、必ずいるようですから。
でも、闇も光も知っている、というのは、芸術家にとっては糧になる。。。。だめでしょうか?
Re:闇と光 (TOMOKO)
2009-08-15 20:54:07
しろぶんちょうさん♪

たしかに、振幅が大きいことは表現の幅にも繋がるかもしれない点ではメリットかもしれませんね。

切り替えが上手なひとにはよいでしょうね。残念ながら切り替え下手なんです~orz

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