노래 norae

 노래(歌)
 発音は「ノレ」
 英語で song ですね

 かろやかに歌うように
 一日をはじめたい

『みかんの丘』

2017年05月20日 | 観た映画の感想など
エストニア・ジョージア(グルジア)映画『みかんの丘』(2016年12月17日 Facebookより)



この映画は同時に『とうもろこしの島』とともに公開された。
残念ながら、僕は『とうもろこしの島』は見逃してしまったのだが。

グルジア紛争で銃声が響くなかで、そこを生きる人々が、
戦争に巻き込まれながらも人間同士のつながりを大切にし、
人として在るべき姿を示す作品として大いに評価され、
ともに、その年のアカデミー賞外国語映画賞、 ゴールデングローブ賞外国語映画賞ノミネートとなった。(初公開 2013年)




この二つの映画は実話に基づいたものではなく、もちろんドキュメンタリーでもない。
しかし、現実に起こった戦争での話だ。




ソ連邦崩壊後、ジョージア(グルジア)で起きた「アブハジア紛争」は、
94年に停戦合意したが、緊張はいまも続いている。

旧ソ連崩壊前のアブハジアは、ジョージアに属する自治共和国で、
独自の言語や宗教、民族的アイデンティティーをもつアブハズ人が居住していたが、
ソ連崩壊後アブハジアの統合を主張するジョージアの民族主義者と独立を主張するアブハズ人との間に
激しい戦闘が繰り広げられ、国が荒廃することになった。

こういう史実をあまり知らなかった僕は、映画の導入でその構図があまり飲み込めなかった。


この地にはエストニアからの移民が100年前から住んでいて、
そういったエストニア系移民の人々は戦火を逃れて大部分がエストニアに帰った。
映画ではミカンを栽培する農夫マルゴスとそのミカン箱を造るイヴォが二人で村に残り暮らしていた。



ここから映画は始まる。

負傷した二人の兵士が、イヴォに介抱され家にとどまるのだが、
彼らは互いに同じ家に敵兵がいることを知り殺意をむき出しにする。
しかし、イヴォが家の中では殺し合いをさせないと二人に約束させる。




これ以上書くとあらすじのネタバレになるのでここでとどめておくが、
予想もつかない後半の展開にすっかりのめり込んだ。

心に残ったシーンに、アブハジアという土地をめぐる兵士たちの会話だ。

「おまえのような悪魔から小さい国を守る」という兵士と
アブハジアが自分の国だと信じるジョージア人兵士が言う
「歴史が分かるか?学校がなかったのか。読書はしたか。俺の国から出て行け」と応戦する。





 敵対する二人の兵士が、人間の尊厳を否定する絶対悪であるはずの戦争に、
 正当性と正義を持たせる各々の言い分なのだ。
 すべての権力はこのロジックで民衆を狂気に追いやるのだ。
 すべての戦争はここから始まると言っても過言でない。


かたやこの土地でみかんを栽培するマルゴスは言う。
「ミカンの収穫は金をもたらす。だが自分は金が欲しくてみかんを栽培しているのではない。
みかんが腐ると心が痛む・・・」この土地に対する執着の違いなのだ。

イヴォは愛する孫娘がいるエストニアに帰ろうとしない。
しかし、その理由を決して語らない。

その沈黙がこの土地に対する執着を一層観る者に向かって投げかけてくる。
そして、4人を囲む小さな食卓がその構図を映し出す。


隙間風が入ってきそうなみすぼらしい小さな家の中にある薪ストーブ(レンジ)にいつもお湯が沸いている。
戸棚のなかの食器や欠けたコーヒーカップ、チーズとパン、何かを煮込んだシンプルなスープ・・・
質素な生活ぶりに心が和んだ。


 「絶対悪」である戦争にどんな正当性も正義も存在しえないのだ。
 人々がいとも簡単に憎みあい、いとも簡単に人を殺し、いとも簡単に死んでいく。
 これが、戦争なのだ。


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