仙丈亭日乘

あやしうこそ物狂ほしけれ

『義經』 (上・下) 司馬遼太郎

2005-01-10 17:51:24 | 讀書録(一般)
義経〈上〉

文芸春秋

このアイテムの詳細を見る

義経〈下〉

文芸春秋

このアイテムの詳細を見る


書籍名 義經(上・下)   カテゴリー 歴史小説       
著者名 司馬遼太郎   発行年(西暦) 2004  
出版者 文春文庫   値段 1000-1500円  

感想 ☆☆☆


義經といへば、「辨慶と牛若丸」の話で知つてゐる人が多いだらう。

私も知つてゐることといへば、
源平の戰ひでの「ひよどり越え」だとか「屋島の戰ひ」だとか、
兄・頼朝に追はれて、平泉の藤原を頼つて逃げたものの、最後は殺させてしまつたとか、
一説によれば大陸まで逃げ延びて、チンギス・ハンになつたとか、
その程度のことしか知らなかつた。

この小説は、何故義經が兄・頼朝に討たれることになつたか、がよく判るやうに書かれてゐる。
要約して云つてしまへば、次のとほりだらう。
義經は戰術能力に關しては天才だつたが、戰略やましてや政治についてはまるで子供だつた。
兄は源氏といふ武家の棟梁としての立場からものを考へたが、義經にはまつたくその考へ方が理解できなかつた。
つまり、兄は武家政治を行なふ上での組織や規律を築かうとしたが、義經は目の前の戰にしか興味がなかつたと云へる。
そして、兄との血の繋がりを過大視しすぎた。
一言で云つてしまへば、義經はまるで子供のやうな男だつたといふことだ。

しかし、さうは云つても、その戰術勘は天才であつた。
騎兵の機動力を驅使した奇襲戰法といふものは、
義經が「ひよどり越え」で採用するまで誰も行なつたことがないらしい。
それどころか、義經以降では、信長が「桶狹間」で行なつた以外にはなく、
その次となると日露戰爭で秋山好古が採用するまで無かつたさうだ。
まさに天才と云つても過言ではない。

この作品は義經の逃避行についてはまつたく描かれてゐない。
作者に義經の悲劇を描く氣持ちはなかつたやうである。

私がこの作品で一番魅力的だと感じたのは、後白河法皇である。
この人を中心としてこの時代を描いた作品を讀んでみたいと思つた。


2004年12月15日讀了


コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「のだめカンタービレ」 | トップ | 『世に棲む日日』 (全4卷)... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿