こもれ日さんぽ

緑の中で深呼吸・・・そんな気持ちで自分と向き合えたらなぁと・・・

長崎、西坂で中浦ジュリアンを想う

2016-11-11 19:44:19 | ワクワクの国内旅行

JR長崎駅を見下ろす、西坂公園・・・

この十年間、何度か長崎を旅し、ずっと気になっていたのに

ここに行くのは何だか怖いような気がして・・・

 

というのも、多くのキリシタンが殉教した地なのです。

今、このあたりは公園となり、

26聖人のモニュメントと記念館、記念聖堂があります。

 

とりわけ豊臣秀吉によ26聖人が、有名ですが・・・

出発前に、読みなおした村木嵐『マルガリータ』で、

天正遣欧少年使節の一人、中浦ジュリアンも、ここで殉教したことを知りました。

 

今回、読みなおして、棄教した千々石ミゲルと

三人の少年使節のメンバー、とりわけジュリアンとの

強い結びつきに、感動しています。

 

これは・・・行かなくちゃ・・・なにがなんでも。

意を決して(大げさではなく)、大雨の中、西坂を上りました。

 

(26聖人のモニュメントで、三人が下を向き、手を広げていますが

神父らが最期のときまで、会う待った群衆に説教をいていたのだとか)

 

 

本日は、中浦ジュリアンについてのお話ですが、

「日本二十六聖人」についても簡単に。

 

 

天下人となった豊臣秀吉は、1587(天正18)年、伴天連追放令を出し、

次第に禁制に向かっていました。

 

禁教に大きく舵をとったのは、

1596(慶長元)年、スペイン船、サン・フェリペ号の遭難でした。

これをきっかけに、秀吉はキリスト教布教に危機感を強くします。

 

その見せしめのため、京都などで宣教師ら24人が捕えられました。

彼等は、耳をそがれ、市中引き回しの末、処刑地・長崎へ・・・

1000キロ、一カ月の間を裸足で歩くという過酷な旅を課します。

 

行く先々で、この仕打ちに民は震え上がったことでしょう。

 

(西坂公園の向こうに日本二十六聖人記念聖堂)

 

 

でも、このとき、大河ドラマ「真田丸」の五人衆でもおなじみ、

キリシタンである明石掃門は、自らの信仰を隠すことなく

赤穂や備前の地で、長崎へ送られる一行の世話に当たったそうです。

 

また、途中、逮捕されてはいないのに、殉教を願い出た二人も加わり、

26人が長崎、西坂の地で十字架にかけられています。

一行のうち、最年少は12歳の少年でした。

 

1862(文久2)年、26人は列聖され、「日本26聖人」と言われています。

 

26人についてだけではなく、聖フランシスコ・ザビエルに始まる、

日本のキリシタン史における、貴重な資料が展示されているのが

奥にある「日本二十六聖人記念館」です。

 

その中に、中浦ジュリアンの自筆書簡もありました。

 

ローマのイエズス会・総長顧問に宛てたもので、

当時、島原半島の口之津に潜伏していたジュリアンは

迫害の厳しさとともに、神父から届いた手紙に感謝の念を伝えています。

 

 

さて・・・中浦ジュリアン。

 

天正遣欧少年使節のメンバーで、もっとも「最後の席」にいました。

才能の点でも、家格の点でも・・・

また、ローマでは病気のため、最も大事な儀式にも参列できませんでした。

 

それでも、「心温かいジュリアンは忍耐強く喜んで自分に与えられた道を歩み」ました。

 

日本人に対する差別や偏見のせいか、叙任は遅れに遅れ、

棄教した千々石ミゲルをのぞく三人が、晴れて司祭となったのは

1608(慶長13)年、ジュリアン41歳の時でした。

 

やがて、ジュリアンは、キリシタンへの迫害が厳しさを増す中、

伊東マンショ、原マルチノに先立たれます。

 

ジュリアンは、潜伏司祭として、島原・口之津を拠点に、

年に一度は、天草、南肥後、筑前、筑後のキリシタンの元へ出かけました。

見つかれば、牢獄、拷問が待っているのを覚悟のうえでした。

 

1633(寛永10)年、小倉でとらえられたジュリアンは、

西坂の殉教地へ到着します。

齢65歳ほど、不自由な足で西坂へと向かう階段を上りました。

 

そして、処刑の準備をする役人に告げるのです。

「私はローマへ行った中浦神父です」と・・・

 

ジュリアンの処刑は穴吊り、

「大の男」ですら半日も持たないとされているのに・・・。

ジュリアンは四日の間、生きながらえました。

 

・・・と、ここまではジュリアンについて残されている記録です。

 

(二十六聖人のモニュメントの前を悠々と歩く猫。

長際の猫は出島の歴史に由来する、尾曲がりネコなのだとか・・・)

 

 

ここから先は・・・

村木嵐『マルガリータ』をフィクションと知りつつも、

真実だと信じたくなるのです。(小説のネタバレもあります)

 

棄教したミゲルに助けられながら、潜伏し布教を続けてきたジュリアン。

前年、ミゲルが亡くなり、その妻・珠が、捕えられたジュリアンの元に呼ばれます。

なんとしても、ジュリアンを棄教させるよう、役人から言い含められてきたのです。

 

夫ミゲルは少年使節の一員だったために苦労をし、

信仰のない自分に、とうとう心を許してくれなかったと

キリシタンに憎しみを募らせる、珠・・・

 

ジュリアンは、ミゲルの珠への想い、四人の堅い結びつきを語ります。

 

「珠、私は穴吊しに四日、堪えてみせよう...

私が一日、ミゲルが一日、マンショとマルチノも一日ずつだ。

私が四日生き長らえたら、それは私たちが常に四人だったという証だ」

 

・・・・・・

 

ジュリアンが穴吊りの4日の後、殉教したのは歴史の事実。

拷問に堪えられたのは、四人の深い結びつきゆえだった・・・

フィクションだとわかっているのに・・・どうしてもそう考えたくなってしまいます。

 

だからこそ、再読した『マルガリータ』(文藝春秋)に

強く心惹かれ、日野江城や大村にこだわって

旅をしました。

 

 

・・・・・・これにて、『マルガリータ』をめぐる旅は終了・・・・・・

実際の旅は初日に西坂、翌日が日野江、最終日が大村でしたが・・・

(⇒大村「千々石ミゲルの長崎へ」 日野江「ぐるぐる日野江城」)

 

 

「キリシタン」をテーマとする旅は・・・

そろそろ、外海と遠藤周作「沈黙」に移ります・・・

 

今日も、長々とおつきあいいただき、どうもありがとうございました。

 

 

参考:

☆村木嵐『マルガリータ』文藝春秋

☆『旅する長崎学6 キリシタン文化』(別冊総集編) 長崎文献社

☆結城了悟『天正少年使節の中浦ジュリアン』 日本二十六聖人記念館

☆結城了悟 『キリシタンになった大名』 聖母の騎士社

この聖母の騎士社は、コルベ神父の興した出版社です

(⇒「大浦天主堂とコルベ神父」)

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4 コメント

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こんばんは (森須もりん)
2016-11-11 21:39:09
ぴあ乃さん、壮大な歴史のお話を
感謝です。

なにも知らなかったので、感動してブログを読ませていただきました。

もう一度、長崎を訪れたい。
森須もりんさま (ぴあ乃)
2016-11-12 08:04:30
おはようございます。
おつきあいいただき、どうもありがとうございました。

「天正遣欧少年使節」は教科書にも載っていますが
その後、どうなったかまでは書いていませんものね。

怖気づいていた西坂の地
十年越しでやっとで出かけてきました。

私も、また長崎に旅したいです・・・
旅日記の魅力 (nana)
2016-11-12 08:08:45
ぴあ乃さんの旅日記は、読み応えがあって魅力があり、
本当に楽しいです。
たくさんご本を読んでらっしゃって、文献研究に基づいた裏付けも確かです。
キリシタン(=クリスチャン)をテーマにされた旅の行方を
これからも楽しみにしていますね♪
nanaさま (ぴあ乃)
2016-11-12 08:27:58
ダラダラした記事にお付き合いいただき、
また嬉しいお言葉まで!
nanaさんにおっしゃっていただけると、なおさら嬉しいです。
ありがとうございます。

歴史は専門外なので、なるべく活字の資料にあたることにしています。
(自分も楽しめるし!)
そこをわかっていただけて、ありがたいです・・・

まだしばらく続きますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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