こもれ日さんぽ

緑の中で深呼吸・・・そんな気持ちで自分と向き合えたらなぁと・・・

一乗谷の「書状」~越前の旅

2017-05-06 06:51:55 | ワクワクの国内旅行

一乗谷見学の前に、(↓)一乗谷朝倉氏遺跡資料館へ寄っています。

ちょうど企画展「朝倉義景の出陣」が始まったばかりでした。

 

朝倉義景(1533-1573)は一乗谷・朝倉氏の五代目。

ウィキペディアなどを見ると、文人としてはさておき

武人としては、あまり評価の高くないような・・・

 

でも、歴史はしょせん、敗者には厳しく、勝者には甘いもので・・・

 

 

今回、そんな義景像に、一矢報いるべく放たれた矢が、この展示。

中でも、「朝倉義景書状[佐々木弥五郎宛て]」は、

従来の義景像とは違った姿を見せるものなのだとか。

 

書状によると、義景は、将軍義明の意向に従い、

反・信長包囲網の一員として、小谷の浅井長政らと共に行動する決意を

近江の佐々木氏に伝えています。

 

手紙の宛名である佐々木弥五郎は朽木元綱。

 

元亀元(1570)年、金ヶ崎の戦いで、

信長は浅井長政と朝倉義景に挟み撃ちにされ、

木下藤吉郎をしんがりに、織田信長が逃げ帰ります。

 

このとき、信長を助け、無事に京へと逃がした人物が

朽木氏でした。

 

元亀4(1573)年3月、今度は、この朽木氏が反信長派として

朝倉義景・敦賀出陣に際し、道中の安全を保障してくれた・・・

それを受け義景は出陣、その翌日に、朽木氏へ礼状をしたためているのです。

 

つまり、前回、朽木氏は、織田信長の味方をしているけれど、

それは将軍足利義昭が、信長に朝倉を討伐するよう、下知していたからであり、

今回は、逆に朝倉義景に、信長討伐を命じている・・・

 

 

朽木氏は、将軍の命令に忠実だったのか、

はたまた、義景を擁護することによって、何か見返りがあったのか・・・

ともかく、戦国乱世、敵味方が目まぐるしく変わっていたことがうかがえます。

 

あわせて、出陣の日付が刻まされた石仏も展示されており

これらは義景が戦勝祈願をしたと、考えられるようになったとか。

 

結局のところ・・・この年8月、義景は木之元まで出陣したものの

盟友・浅井長政の小谷では、信長軍によって周囲の城が次々に落城

退却を余儀なくされ、一乗谷の大野まで落ちのび、そこで自刃をしていますが・・・

 

 

この書状は、つい最近、なんと、わずか半年前に見つかったそうです。、

こにれよてって、義景は、従来の「出陣を渋る弱腰」から、将軍・義昭に忠実で、

自ら、出陣、戦陣を指揮する一面を見ることができるようになったのだとか。

 

説明をしてくださった、資料館のボランティアガイドさんも、

興奮気味に話してくださいました。

地元の方としては、当然ですよね!

 

 

 

 

 史料は大事だということを

一乗谷のボランティアガイドさんにもうかがっています。

 

(↑)朝倉館跡のシンボル的な唐門、

これだけは、この地にずっと建っていたそうです。

 

 

 

(↑)表と裏に、朝倉家の家紋「三つ木瓜」と、

豊臣秀吉の「五三の桐」が、それぞれ、あしらわれています。

 

地元では、秀吉が朝倉家の菩提を弔うために寄進したと

古くから言い伝えられてきたとか。

 

(「一乗谷古絵図」は資料館に展示され、図録にも載っていました)

 

 

ところが、発掘調査が始まってみると、

(↑)「一乗谷古絵図」で描かれたいたのと全く同じ遺構があらわれた・・・

この絵図は、江戸時代の後期に描かれたもの・・・

 

・・・となると、現存する、この門は江戸末期のものではないか・・・

と、見なされるようになったのだそうです。

 

 

もう一つ。

 

こちらも手紙から・・・

幕末の福井藩主・松平春嶽(↑)が、あの坂本龍馬と

数度にわたって面会し、援助をしていた・・・と、されてきました。

 

けれども、近年、発見された手紙から

龍馬と会ったのは、春嶽公自身ではなく

三岡八郎、つまり後の由利公正(1829-1909)だったと、わかったとか。

 

そりゃそうだ、春嶽公にしてみれば、

龍馬は土佐の脱藩浪士に過ぎませんものね・・・

 

なお、由利公正(↓左)は、春嶽公の信任篤い福井藩士で、

横井小楠(↓右)に学び、維新後は初代東京府知事に就任しています。

福井市内では「由利公正を大河ドラマに」の署名が熱心に行われていました。

 

 

「史料」って、本当に大事。

昨今の歴史が大きく変わってきたのは、科学の発展と共に、

次々に新しい「史料」が発見されたことも大きいのでしょう。

 

これからも、今までの歴史が大きく変わっていくのかもしれません。

 

 

・・・と、伺ったお話を元に、一応、「資料」にもあたりましたが・・・

私の勘違いもあるかもしれません。

お許しを・・・

 

本日も長々とありがとうございました。

 

 

参考

◇「一乗谷朝倉氏遺跡資料館テーマ展 解説シート 朝倉義景の出陣」

◇福井県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館

図録「国指定特別史跡 指定45年記念 特別展 一乗谷~戦国城下町の栄華」

◇太田浩司『浅井長政と姉川合戦―その繁栄と滅亡への軌跡』 サンライズ出版

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