こもれ日さんぽ

緑の中で深呼吸・・・そんな気持ちで自分と向き合えたらなぁと・・・

信長、逃げる!~金ヶ崎城跡

2017-06-19 09:18:04 | 「お城へ行こう!」

録画してあった、NHK「歴史秘話ヒストリア」

「舞う 逃げる 謝る 信長のピンチ脱出術」を観ました。

 

最近の研究で明らかになった、織田信長の意外な処世術・・・

番組では、特に危機に際し、

どんな風に立ち向かったかのエピソードが紹介されています。

 

その三つ目「逃げるは恥だ400年前から役に立つ」

として取り上げられた、金ヶ崎の戦い。

 

1570(元亀元)年、織田信長と朝倉義景の戦いのひとつです。

戦闘としては信長軍が勝利、朝倉から金ヶ崎城も明け渡されました。

 

ところが、浅井長政の裏切りにより形勢逆転、

信長軍は、木下藤吉郎がしんがりを務め、

死に物狂いで逃げ帰ったという戦国史でも有名なお話です。

 

信長は、信頼していた長政の裏切りを

しばし、信じられずにおりましたが・・・、

「不及是非(是非ニ及バズ)」(仕方がない)と、撤退を決意。

 

番組では、このとき、信長が日頃から鍛錬していた

馬術の力が役に立ったと説明していました。

 

若い頃から、毎朝、馬の稽古を怠らず、絶妙な乗り手であった信長ゆえ

逃げ帰った時も、馬は無事だったと・・・

 

若き日に「大うつけ」と揶揄されていた、従来の信長像・・・

しかし意外な一面があった・・・

それゆえに後年の危機を脱することができた、というわけです。

 

なるほど~なお話でした。

 

 

戦国城郭研究家・千田嘉博先生と

井上あさひアナウンサーが、実際に、金ヶ崎城跡を歩いていたので

興味津々で観ました。

 

以下、我が家のゴールデン・ウィークのお話です。

 

 

金ヶ崎城跡・・・

 

ちょうど、「人道の港 敦賀ムゼウム」の裏手になります。↑

(→「人道の港敦賀ムゼウムへ」)

直に行けず、ぐるっと迂回して登らなければなりません、ご注意を!

 

登り始めると、すぐに、冒頭画像の金ヶ崎宮があります。

 

・・・信長が浅井の裏切りを知るのは、

妹・お市からの小豆袋のおかげ。

 

浅井長政に嫁いだお市は、夫の裏切りを知ると、

両端を縛った小豆袋を兄への陣中見舞いに届けます。

前に朝倉、後ろに浅井の挟み撃ちを知らせるメッセージでした・・・

 

かつては、これが定説!

少女の頃、このエピソードにグッと来て、美しい肖像画を眺めながら、

すっかりお市さまにファンとなったわけですが・・・

 

最近、どうも疑わしいらしいと・・・・・・

そのせいかどうか・・・番組でも取り上げられていませんでした。

(研究が進むと、つまらないことも多々あります・・・)

 

でも、金ヶ崎宮では、この小豆袋の形をしたお守りが

「難関突破」「開運招福」のご利益があるとして

いただけるそうです。

 

 

金ヶ崎城はと申しますと・・・完全にハイキング。

金ヶ崎宮から15分ほどでしょうか、月見御殿がまず、現れます。

 

実は、ここ金ヶ崎城(跡)は

南北朝の争乱時、延元の役(1336/延元・元)でも落城していました。

南朝方の尊良親王、新田義顕らが討ち死にした地・・・当時の本丸でした。

 

時代下って、朝倉氏の支配の時代には、月見御殿となったそうです。

ちなみに海抜90m!

 

 

ここからさらに5分ほど歩くと・・・岬の突端。

金ヶ崎城跡の碑が建てられています。

 

ここから続くのが手筒山(171.3m)

朝倉支配の時代には、出城も築かれた、織田軍都の激戦の地。

今でも当時を偲ぶこともできるとのことながら・・・

 

さすがにさらに30分も歩くなんて・・・

 

・・・ムリ!

 

金ヶ崎の突端で、木々の合間より覗き込むようにして、

海を眺めて帰ってきました。

 

 

 

今でこそ、埋め立てられてはいますが・・・

『太平記』によると

「かの城の有様、三方は海によって岸高く、厳なめらかなり」とのこと。

 

確かに、海に面した、断崖絶壁、

天然の要害の地だったとわかります。

 

 

城の遺構を眺めると言うよりは

歴史のエピソードを楽しみながら歩く、城跡との印象でした。

ま、私は、本来、そっちの方が得意なんですけれどね~笑。

 

 

参考:

福井県の歴史散歩編集委員会編

『福井県の歴史散歩』(歴史散歩⑱) 山川出版社

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4 コメント

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Unknown (あっこちゃん)
2017-06-20 21:16:57
歴史秘話ヒストリアル
残念ながら終わりの辺りにTVをつけたのでしたぁ
信長撤退の時!というところでした。
確か再放送がありますよね。
調べて録画しますね。
『逃げるは恥だが400年前から役に立つ』
最近NHK、ちょっとだけパクリが面白いですね。(朝いちでも時々民放のパクリがありま~す)

あっこちゃんさま (ぴあ野)
2017-06-21 18:56:42
NHKがすると、パクリでも何だか許せちゃいませんか?
民放だと、そうはいかないような・・・笑。

私も必ず見る番組ではありませんが、
この日は、番宣で、井上あさひアナと千田先生の向こうに
敦賀の港が見えて・・・きゃ~って♫
録画した次第です 笑。

研究が進むと、今までの人物像を始めとした定説が
かわってきますよね・・・
良いんだか、悪いんだか・・・って、ことも多々あって・・・
↑の話の信長像は、う~ん、どっちでしょう?
武将の名前 (hiroべ)
2017-06-22 13:18:34
信長がひたすら逃げてのはこのお城だったのですね。

この話、秀吉の出世物語でも登場しますね。
そうでしたね、この時はまだ木下藤吉郎でした。
その後、羽柴秀吉、豊臣秀吉となったのでしたか?
幼名は日吉丸でしたね。

家康は、幼名は竹千代、その後松平元康、徳川家康でしたか?
信長は、幼名は???、と出てきませんでした。
早速ネット検索、そうそう、吉法師でした。
武将の名前の変化も歴史上の事件と絡めると、また楽しめそうです。

上の記事
昨日の嵐の中、それは大変でしたでしょうね。
もっとも、それでも出かけるのもさすがに「本いのち」の
ぴあ野さんです。
hiroべさま (ぴあ野)
2017-06-23 08:47:04
ああ、吉法師!
私も、信長は出てきませんでした。
お調べいただき、どうもありがとうございます。
信長の若い頃というと、「大うつけ」ばかりが浮かんできてしまいました 笑。

浜松城が、出世城として、家康くんキャラで売り出していますよね。
名前との関係もおもしろそうです。

↑の城は、歴史的なエピソードの残る地を実際にある気
ああ~、ここが♫と嬉しがってきた場所です。
信長は、勝ち戦の印象ですが、実際は負け戦もあるんですよ、というのが番組の枕でした。
ちょっと意外ですが。

雨でもお出かけ・・・といっても、実際に雨に遭うのは移動のときだけ。
あとは、友人と本と、至福の時間でございました♪

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