染物屋生活

神奈川県の住宅地(でも片田舎)の染物屋日記と、電気代が月1500円(原発反対なので)の節約生活を紹介「染め吉」と言います

横須賀港に行って戦艦三笠を見る

2016-10-15 02:37:43 | 日々の政治・哲学
先日、横須賀港に行ってきた。戦艦三笠を見てきたのだ。中は博物館のようになっている。(資料館か。旧三笠艦保存所という名前。自衛隊が所有)

三笠は日露戦争(1904)のときにすっごーく活躍した船だ。ロシアのバルチック艦隊と対戦して勝ったときの旗艦(リーダーの船)であった。

一緒に行ったHさんの大叔父さんが、三笠の乗組員だったそうだ。大叔父さんは、北海道に帰って、昭和までいき、天寿をまっとうしたという。

案内してくれる人に、大叔父さんのことを聞くと、「乗組員の名簿」「軍楽隊の名簿」のところに案内してくれた。大叔父さんは、黄海の海戦のとき負傷して、下船したらしい。その後の日本海海戦や、佐世保港での爆発には遭っていないとわかる。(軍楽隊の人は、このときかなり亡くなっている。名簿の△は死亡。〇は負傷者であった)

ところで!

艦内を見回っている間に「私はここに来たことがあるぞ」という気がしてきた。小さいとき、たくさんの人と艦内を見学して歩いたことがある。

「ここで食事ができる」と説明された部屋で「ねえ、今ここで食事して行こうよ」と、マヌケなことを言ってしまったという記憶があるのだ!(今でも赤面だ!)

そこは、たくさんの人が座れる椅子とテーブルがあったが、狭かった。船内図をみると「士官室」ではなかったかと思う。また行って見て来なければ!

三笠が今のような博物館の形になったのは、昭和36年5月27日の海軍記念日だという。海軍記念日とは、三笠がバルチック艦隊と日本海で対戦して勝った日だそうだ。(知らなかった!1945年に廃止されている。敗戦後に育った私たちにはこういう知識がない)

「杉野はいずこ、杉野はいずや」という歌は親たちから聞いたか、友人からきいていた。広瀬中佐が部下を探して自爆して沈没する船から退避するのが遅れ、亡くなった話が歌(文部省唱歌)になった。断片的にのみ知っている。(母は、杉野生存説も教えてくれた。ウィキ君にもある)


写真は、10月のある日、南極観測船「しらせ」が横須賀港に泊まっているところ。

これを見て「白瀬中尉って『杉野はいずこ』の人でしょうか」と言ってしまったうかつな私であった!

日本海対戦で活躍した「戦艦出雲」についても書きたい。
なぜ私が昭和36年5月、オープンした日か、その前後に三笠を見に行っていたのか、また稿を改めて書きたい。
写真上は、三笠の中に展示してあった乗員名簿のひとつ。「先祖(今では、ひいおじいさんくらい前の人)が三笠に乗っていたので」と、説明を聞きたくて来る人たちも多いそうだ。

日露戦争は、1904年から1905年。最後の乗組員 が90歳でなくなったのが昭和50年代だった(ウィキペディア君による)。

戦争のこと、というか、歴史のことは、この歳になっても、知らないことが多い。今回はNHKが「そのとき歴史が動いた」を作製して、漫画化したものをみた。それでもわかりにくい。知らないことが多い。誤りがあっても判らない状態なのである。

写真の光は、月だ。2016年10月14日の「旧暦九月十三夜の月」である。ケータイでも、写るのだ。

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