天日古と大日人(solahico & hilohito)

喪失したわが子二人を偲ぶための個人的なブログ。「般若経」を写す所作に倣い、眠れない日々の「ワイパックス錠」代わり。

「かぎとかばん」1

2011-12-31 16:05:54 | Weblog


少女(しょうじょ)の部屋(へや)は三階(さんがい)です。
南向き(みなみむ・き)の大きな窓と、
北側(きたがわ)に小さなドアがついていました。

少女は大きな窓(まど)から
一日中外をながめてすごします。
公園ではしゃいでいる子どもたちを見おろしては、
うらやましく思っていました。

少女は五月で9才(きゅうさい)になりました。
なまえはテンといいます。

テンはとてもかわいらしい顔立ち(かおだ・ち)の、
色白(いろじろ)のおんなの子です。
とても元気(げんき)なのですが、
この部屋から一度(いちど)も出たことがありません。
もちろん病気(びょうき)なんかではありません。

その理由は、テンの手にあります。
少女の両手(りょうて)は
ふつうの子どもたちとは少し違って(ちが・って)いるのです。

テンの右手は「かぎ」の形になっています。

そして、左手には「かばん」がくっついています。

彼女(かのじょ)の手は、
お茶碗(ちゃわん)を持つことも
クレヨンで絵を描(か)くことも
うれしいときに拍手(はくしゅ)をすることもできない形(かたち)なのです。

ですから少女は
毎日毎日(まいにち・まいにち)、
自分(じぶん)の身の上(み・の・うえ)を
悲(かな)しんで暮らしていました。

少女はいつも大きな窓から
近所(きんじょ)の子どもたちが
楽し(たの・し)そうに遊んでいるのを
ガラス越し(ガラス・ご・し)に見下ろしてはため息をついていました。

部屋の後ろ側(うし・ろ・がわ)には「小さなドア」があります。
でも、
そのドアは一度(いちど)も開かれ(ひら・かれ)たことがありません。

少女は外(そと)に出たことがないのです。



テンの右手の「かぎ」は、
とても古いかたちです。
絵本(えほん)にでてくる海賊(かいぞく)が
宝物(たからもの)をしまっておく木箱(きばこ)のかぎに似て(に・て)います。

これがいったいなんのかぎなのか、
テンには想像(そうぞう)ができません。
家中(いえじゅう)の、いろいろなかぎ穴にさしこんでみましたが、
どれもまったくちがっていました。



「アタシのこのかぎは、
何(なに)をあけるためのかぎなんだろう」
夜(よる)ベッドに入るたびに、
右手を天井(てんじょう)にかざしては、
うらめしく思っていました。
「こんな右手ではなくて
ふつうの五本指のついた右手がほしい」
「あしたの朝、目がさめたら、
みんなと同じ手になっていますように」
と、テンはいつもいのります。

テンの左手の「かばん」は
何かが入っているようにとても重(おも)たくて
あけようとしても
「かぎ」がかかっています。

もっとうんと小さい頃(ころ)、
「かばん」についている大きな「かぎあな」に
自分の右手の「かぎ」を差し込んだこともありましたが
ぜんぜんあっていませんでした。

自分の「かぎ」で自分の「かばん」をあけられないことに
テンはとてもがっかりしました。

公園ではきょうもたくさんの子どもたちが
楽しそうに走ったり笑(わら)ったりしています。
自分は生きていてもしかたがないのかなと思ったりしました。






公園の東側(ひがし・がわ)には、
古びた(ふる・びた)木のベンチがおいてあります。
そこにはいつもきたないかっこうした男の人がすわっています。

そのおじさんは、
いつもベンチのはしにすわり、
黒ぶちのまるいメガネをかけて本を読んでいます。
かみの毛を切ったことがないのでしょうか、
テンよりもずいぶん長い髪(かみ)をせなかでたばねています。
夜になっても、
公園のライトの中で
本を読み(よ・み)続ける(つづ・ける)おじさんを見たこともありました。
「そんなに、いつまでもおわらないお話があるのかしら」
と、テンはふしぎにかんじました。

そうかと思うと、
いくにちも姿(すがた)を見かけないこともありました。

近所(きんじょ)のおとなたちは、
おじさんのことを「フロウシャ」だとうわさしています。
「だから近づかないように」と子どもたちに言い聞かせているようです。



ある夏の日のことです。

大雨(おおあめ)がふっていました。

さすがにこんな日にはだれもあそんでいません。

でも、
あのおじさんは木のベンチにすわって、
本を読んでいます。
大きな傘(かさ)をベンチにくくりつけて、
ひざの上にぶあつい本を広げています。

テンはいつもの大きな窓を開け放ち(あ・け・はな・ち)ました。

彼女(かのじょ)が窓(まど)をあけるのは
雨の日と夜だけなのです。

まだお昼前(ひる・まえ)なのに、
雲(くも)が重(おも)くたれこめているので
夕方(ゆうがた)のような暗がり(くら・がり)です。

向こう側の道路を走る車も、
もうライトをつけているほどです。

おじさんのベンチも
雨がぴちぴちはねています。

すべり台は、
あそぶ子どもが居ないのでさびしそうです。
きょうのすべり台は、なんだか自分ににているなと
テンは考えています。

その時(とき)でした。

となりの団地(だんち)から
小さな男の子がとことこと出てきました。
はだしのままです。

二才(にさい)くらいでしょうか、
まだおしめがとれていません。
やっと歩(ある)きはじめたばかりで、
ふらふらとしています。

よく見ると、男の子の少し先を白い犬が歩いています。
家の中で飼われて(か・われて)いるのでしょう。
ドアのすきまからおもてに出てしまったようです。

「もっとワンちゃんとあそびたい」と思った男の子が
追いかけてきたにちがいありません。

あまり車の通る道ではありませんが、
見ているだけではらはらします。
「あぶないから早くお家にもどりなさい」
と少女は心の中でさけびました。

「あの子のパパとママはおうちにいないの?
早くあの子をむかえに出てきてあげて。」
少女は「かぎ」と「かばん」の両手を合わせていのりました。

テンは「あ」と小さな声をあげて、
窓(まど)から身(み)を乗り出し(の・り・だ・し)ました。


砂場(すなば)のところで男の子がころんでしまったのです。
顔(かお)からぺたんとおちて、
砂にうもれています。


男の子はなんとか起き上がりましたが、
ぬれた砂場にすわりこんだまま、
泣き出してしまいました。

口(くち)と鼻(はな)に
ぬれた黒い砂(すな)がつまっています。
白い犬が男の子の近くにもどってきています。
全身(ぜんしん=からだじゅう)砂だらけになった男の子のことが
心配(しんぱい)なようすです。


テンはもうがまんできませんでした。

部屋のとびらをあけて、
おもてにとびだしました。
むがむちゅうでした。

げんかんにあったお母さんのサンダルをつっかけて、
公園の方に走り出しました。

ざあざあと雨がふりつづいています。

少女もずぶぬれになりながら、
泣いている男の子のそばにかけよりました。

ころんだときに顔を強く(つよ)うったようで、
鼻からうっすらと血がにじみだしています。
少女は自分の白いブラウスで
顔をふいてやりました。
おぼえたばかりのことばでしょうか、
「ママー、ママー。」と男の子がよびつづけています。








「かぎとかばん」2.

2011-12-30 21:46:26 | Weblog
テンは、ぬれた砂にすわりこんで、
しゃくりあげている男の子のそばにかけよりました。

はんそでの肌着(はだぎ)と布(ぬの)おしめをつけているだけですので、
雨にぬれてきっと寒い(さむ・い)のでしょう。

心細く(こころぼそ・く)て心細くて、
まだ三つくらいしかおぼえていないことばの中から
「ママ」というのをえらんでよびつづけているのです。

テンは不自由(ふじゆう)なかぎの形をした右手で
砂(すな)をはらってから
男の子を自分のむねにしっかりとだきしめました。
少しだけ落ち着いた(お・ち・つ・いた)のでしょう、
男の子の泣き声(な・き・ごえ)がやわらかくなったようです。

「さ、ママのところにかえろうか」とテンはいいました。

かばんの形の左手を男の子のおしりにあてがい、
うんと楽しそうな声で、
「ヨイショ」とかけ声(ごえ)をかけました。

その「ヨイショ」というひびきが男の子にはとても気持ち(きも・ち)が良かったようです。
「ヨイショ、ヨイショ」となんどもくり返します。

だきかかえて団地(だんち)のほうにあるきはじめたときには
すっかりなきやんでいました。
そればかりか、あちこちゆびさしては、
「アー」とか「クゥー」とか話し(はな・し)かけてきます。
もちろんテンには何のことかわかりませんでしたが、
ずぶぬれなのに、なんだか楽しくなってきました。

通りをひとつわたるともう団地の入り口です。

わかいお母さんがゴミすてばのちかくで
しきりに名前(なまえ)をよんでいます。
きっとこの子のお母さんにちがいありません。

するとお母さんのほうが先に、
テンにだきかかえられた男の子に気がつきました。

まっすぐに走ってきました。

はじめは「ぶじに見つかって良かった」と安心したのでしょうか、
にこやかなえがおでしたが、
ふくもおしめも砂だらけなのを見つけ、
さらに顔もよごれていて、鼻血(はなぢ)も出ています。

それからだっこしているテンの両手が、
すこし変な形なのに気づくと、
ひったくるように少女から男の子をうばいとり、
にらむように言ったのです。
「あなたがやったの?」

テンは何も言えませんでした。
ふだんからあまりおしゃべりをすることがなかったので、
なにを話せばよいのかわからなかったのです。
うつむいてだまっていると、
さらにお母さんは言いました。
「どこの子なの、あなたは」としかりつけるようなくちょうです。

テンはいたたまれなくなってかけ出しました。

やはり外に出てしまったのはまちがいだった。
よその子がころんでてもほうっておけば良かったのだ。
そうでなくても、あたしはふつうではないのだから。
ますます強く(つよ・く)なった雨にうたれながら、
テンはいろいろなことばで自分の行動(こうどう)を
こうかい(=やらなければよかったな、と思うこと)しました。

「もう二度(にど)とほかの人にかかわるのはやめよう」
テンはそんなふうに決心(けっしん)していました。


「かぎとかばん」3.

2011-12-29 21:56:32 | Weblog
どれくらいそうしていたでしょうか?

テンはあれからいちども部屋を出ることも、
ましてや外へ出ることもなく過ごしていました。

季節は秋です。
おだやかな良い天気です。

窓からみおろす公園では、
きょうもたくさんの子どもたちがあそんでいます。

いつものベンチに
ふろうしゃのおじさんはいません。
「あのおじさんも、
知らない人たちがたくさんいるところは
にがてなのかしら」と、テンは思いました。

「あれ?」と
テンは思わず声に出しました。

あのときずぶぬれになっていた男の子が、
あのときと同じ白い犬をおいかけて、
とことこと出てきたのです。

テンはあのときのことを思い出して、
カーテンをしめてしまいました。
しんぞうがどきどきしています。
知らないおとなの人にしかられたきおくが、
かのじょのこころをなみだたせてしまうのです。

ゆかにうずくまり、
自分のひざをだきかかえて、
あのときのかなしい気持ち(きも・ち)でなみだを流し(なが・し)ました。

しばらくそうしてみんなが帰って(かえ・って)しまうのを待って(ま・って)いました。

そのとき、
どうもうな犬のほえる声(こえ)と、
ちいさな犬のかぼそい声がいりまじって聞こえてきました。
テンは思わず、カーテンのすきまから公園のほうを見ました。

あの小さな白い犬と、見たことのない大きな黒い犬がけんかをしています。

公園には子どもたちにまじっておとなもたくさんいたのですが、
その黒い犬があまりにも大きいので、
とおまきに見ているだけです。
このままでは白い犬がかみ殺(ころ)されてしまいます。
「黒い犬の飼い主(か・い・ぬし)はいないの?」
テンはそう思いました。

白い犬はおびえているのでしょうか、
きゃんきゃんとしきりにほえています。
黒い犬はぐるぐるとひくい声でうなって、
白い犬にだんだん近づいていきます。

つぎのしゅんかん、
黒い犬は白い犬の首のあたりに
がぶりとかみつきました。

少しはなれたところからようすをみていた男の子は、
いつもあそんでくれる「なかま」みたいになかよしの犬が、
いたそうな声でくぅんくぅんとないているのでしんぱいになりました。

とことこと、あぶない足どりで二ひきに近づこうとしています。
あの大雨の日より少しは歩くのがじょうずになっています。
でも、あの黒い犬に近づくのはとてもきけんです。
まわりのおとなたちがしきりに大声(おおごえ)を出しています。
「ボク、そっちに行っちゃだめ!」
「かみつかれるからこっちににげておいで」と男の子にさけんでいます。
でも、どのおとなも近(ちか)づこうとはしません。
「けいさつをよべ」とだれかがさけびました。
「いや、ほけんじょのほうがいいんじゃない」と、こんどはちがうだれかが言いました。

テンはまたドアからとびだしてしまいました。
あのときと同じ、お母さんのサンダルをつっかけて、
あの雨の日と同じように、
公園に向かって走り出していたのです。

またイヤな思いをするかもしれない、とか、
自分がかみつかれてしまうかもしれない、というようなことは
ちっとも考えていませんでした。

ただ「あの子をたすけなきゃ」ということだけであたまがいっぱいだったのです。

テンは男の子のところにまっすぐ走り出しました。

「男の子と言ったってまだまだちいさい赤ちゃんが、
あんな大きな犬にかまれたらきっと死(し)んでしまう」
テンはそう思うと生まれてから今までで、
いちばん速く(はや・く)走っていました。

男の子はもう一メートルくらいのところまで
黒い犬に近づいていました。

黒い犬は白い犬のくびにかみついたまま、
なにかをぶんぶんふりまわしながらちかづいてくる男の子をじろりと見ました。

男の子は公園におちていたぼうを手にもっています。

きっと「なかま」をたすけようとしているのでしょう。

そのようすを見ていたひとりのおとなが、
「きゃぁ」と大きなひめいをあげました。
でも、足がすくんでたすけに行けません。

そのとき、テンはからだごと、
黒い犬と男の子のあいだにとびこんでいきました。
男の子をからだごと自分のせなかでかばうようにして、
右手で黒い犬をおいはらおうとしました。

その少女の、
「かぎ」のかたちをした右手に、
黒い犬がとびかかりました。

あついお湯をかけられたような、
なんだかあたたかいいたみを感じました。
テンはそのまま気をうしなってしまいました。





「かぎとかばん」4.

2011-12-28 19:08:40 | Weblog
テンが気がついたのは
見たこともない青白い部屋のベッドでした。

ベッドのまわりには、
やはり見たことのないおとなたちがたくさんいて、
テンのようすを見おろしています。

「お、気がついたぞ」とひとりのおとなが大声で言いました。

「ああ、よかったよかった」べつのおとなが言って、いすにすわりこみました。

「ごめんなさい。ごめんなさい」またべつのおとながなきくずれました。
よく見ると、そのおとなは女の人で、
右うでにあの男の子をだきかかえています。
『あ、あの子のお母さんだ』と、テンは気がつきました。

するとそのお母さんが言いました。
「あの大雨のときにしかったりしてごめんなさい。
あのときもたすけてくれたのね。
ありがとう。」

テンはこのときも何を話せばよいのかわかりませんでした。
でも、しかられているのではないことがわかったので、
にこりとほほえみました。
なにより男の子がぶじだったのがわかってうれしかったのです。

安心したら、
きゅうに右手がかっかとあつくなりました。
少しもちあげてみると、
「かぎ」の右手にはぶあつくほうたいがまかれています。

そのいたみにテンはまた気が遠のいてしまいました。


いくにちねむっていたことでしょう。
テンはずっとふしぎなゆめを見つづけていました。

それは会ったことのないおとうさんのゆめでした。

テンのおとうさんは、
彼女が生まれてすぐに死んでしまったので、
顔もおぼえていないのです。

そのおとうさんが、
ずっとテンの右手のけがをしんぱいしているのです。

ゆめのなかでおとうさんはくりかえし言いました。
「おまえはとても良いことをしたね。
あの雨の日だって、おとうさんはちゃんと見ていたよ。
おまえはほんとうによい子になった。
ひとつだけおまえにプレゼントをあげよう。
これからもよい子でいるんだよ」

ゆめのなかのおとうさんが話しおえると、
テンはきまってうなされてしまいます。
右手がいたくてとてもくるしかったのです。

ひと月がすぎました。

テンのほうたいがとれる日です。

銀色のめがねをかけたお医者さんが
テンの白いほうたいをゆっくりとはがしてゆきます。

「よくがんばったね。
きみはとてもえらいよ」とほめてくれました。
テンはとてもうれしい気持ちでしたが、
やはりなんてこたえれば良いのかわからないので、
だまって自分の右手をながめていました。

やっぱりなんだか、いぜんとちがうかんじです。

ぜんぶのほうたいがはずされて
きずぐちにはってあったガーゼがとられたとき、
テンはとてもびっくりしました。
目のまえにいるお医者さんもおどろいて、
彼女の右手のところまで顔をちかづけています。

テンの右手は、
ふつうの子どもの手と同じ形だったのです。
しっかりとにぎられた彼女の右手はとてもすべらかで、
まるでうまれたての赤んぼうのようにぴかぴかです。

そしてゆっくりと手をひらいてみると、
テンの右手の手のひらには、
ふるい形の「かぎ」がのっていました。





とてもおどろいたお医者さんは、
しばらく考えてからこう言いました。
「きっと天国のおとうさんが
あなたにごほうびをくれたんだよ」













「かぎとかばん」5.

2011-12-27 04:13:06 | Weblog
テンは自分の部屋にもどってからもずっと考えていました。

右手はふつうの少女の手になっています。

でも左手はまえと同じ「かばん」のままです。
「かばん」には「かぎあな」がついています。
ほうたいをはずしたとき、
右手でにぎりしめていた「かぎ」は、
もしかしたら左手の「かばん」の「かぎ」かもしれない。
テンはそう考えていたのです。
でもためしてみるゆうきが出ないのです。

「もしちがっていたら。
またこの部屋から出られなくなるのではないかしら」
そう思うと「かぎあな」に「かぎ」をさしてみることができないでいたのです。

なんにちも何日も、
いく夜もいく夜も、
テンは目の前の「かぎ」を、
自由(じゆう)になった右手でにぎりしめては
テーブルの上にもどし、
また左手の「かばん」の「かぎあな」にちかづけては
ポケットの中にしまうことをくりかえしていました。

ある朝、
ごはんを食べることもできなくなるほどくるしくなって、
テンはついに「かぎあな」に
「かぎ」をさしこむ決心(けっしん=「よぉし、やるぞ」と思うこと)をしました。

金色のしんちゅうというきんぞくでできている「かぎ」を、
右手でゆっくりと左手の「かぎあな」にさしこみました。

すると、かちりというおごそかな音とともに、
「かばん」の口をとじていた「かぎ」がひらきました。

ぱくりとひらいた左手の「かばん」の中を、
テンはおそるおそるのぞきこみました。

何も入っていませんでした。

すこしがっかりしてテンは「かばん」をとじました。

「かばん」の中には彼女がきたいしていたもの、
つまり「きぼう」や「じゆう」は用意されていなかったのです。




「かぎとかばん」6.

2011-12-26 21:18:10 | Weblog
「かばん」をあけてから三日がたちました。

あれきりテンは「かぎ」をさわらずにすごしています。
「右手が自由になったことだけでまんぞくしよう」と彼女(かのじょ)は考えたのです。
たいせつな「かぎ」は、
テーブルの上におきっぱなしになっています。


でもひとつだけテンのくらしの中で変わったことがありました。
それは三階の、自分の部屋から出ることがそんなにこわくなくなったことです。
公園であの男の子をたすけてから、
ちかくに住んでいるおとなたちがやさしくなったのです。

テンの左手を見ても、
「気味がわるい」とか、
「こわい」といわなくなったのです。
きっとテンがほんとうによい子だということに
おとなたちも気づいたのでしょう。


テンはいろいろなところへさんぽをするようになりました。

いまでも知らない人と会うと、
すこしこわくなりますが、
そういうときは先ににっこりわらうことにしています。
そうするとたいていの人はやさしくなることに気がついたのです。

元気がよいときは朝から夕方まで
テンはさんぽをしてすごしました。
まだ少し不自由(ふじゆう=自由にならないこと)だけれど、
右手が自由になったことだけでがまんしなければいけないんだ。
ゆめの中のおとうさんはそうおしえてくれたんだ。
彼女(かのじょ)はそんなふうに考えるようにしたのです。




その日は「少し遠くまで来すぎたな」とかんじていました。

どこまでも歩けそうな気持ちのよい日だったので、
テンははじめての道をどこまでも歩いていました。
そのうちに道にまよってしまったのです。
さっきまで暑(あつ)いくらいに照(て)っていた太陽(たいよう)も
もうしずみかけています。

もと来た道をひきかえそうとしました。
でも、たくさんのまがりかどをまがってきたので、
どの道を通って来たのか、もうおぼえていません。

あたりはどんどん暗くなってきました。
テンは心細くなりました。
なみだがこぼれてきました。










「かぎとかばん」7.

2011-12-25 18:53:52 | Weblog
左側には大きな川が流れています。でも、とっくに暗くなってしまったので何も見えません。ただ、どこかで水の落ちる音がジャバジャバと聞こえてくるだけです。

テンは大きな橋の下にたどりつきました。ここならそんなに寒くないし、もし雨がふってきてもだいじょうぶだと思ったので、ここで眠ることにしました。

昼間からたくさん歩いたせいでしょうか、テンは夜中にとてものどがかわいて、目をさましました。
川の水をのもうとして、彼女は水ぎわに近づきました。
左手の「かばん」を「かぎ」でひらいて、その「かばん」で水をすくおうとしました。
でもちょっと足をすべらせて、
「どぼん」と、
テンは川の中に落ちてしまいました。

彼女はまだおよげません。

たちまち、ぶくぶくと川底までしずんでいきました。

テンは水の中で気をうしなってしまいました。



どのくらいの時間がたったのでしょうか。
気がつくとテンはたき火のそばにいました。

「おや、目がさめましたか」
声をかけてきたのは公園にいたあの「ふろうしゃ」のおじさんです。
いつもとおなじきたない洋服で、やぶれたくつをはいています。
でも、よごれたみなりとちがって、
ことばづかいはとてもていねいです。
テンはすこしほっとしました。
このおじさんがたすけてくれたのだと、すぐにわかったからです。

「さむくはありませんか」
とてもやさしい声です。
テンは小さな声で「はい」とこたえました。
「ああ。おなかがすいていて大きな声が出ないんだね。
もう少し待っててくれれば、おかゆができますよ」
彼女は部屋をでてから何も食べていないことを思い出しました。
朝ごはんを少し食べただけだったのです。
はらぺこなのがばれて、ちょっとはずかしくなりました。
こんどはちいさくうなづくだけにしました。

「公園のちかくの女の子ですね。
いつも三階の窓から外をながめているかわいらしい女の子は
みんなの人気者だからね。
おじさんもよく知っていますよ」

たき火の上にのせたなべをかきまぜながら、
おじさんはテンが不安にならないように話し続けてくれました。
じぶんのことを「にんきもの」といわれて、
テンはすこしてれくさくなりました。
きっとあの男の子をたすけたことだ、とわかったからです。
今まであまりほめられることがなかったので、
どうしたらよいのかこまってしまいました。

ばんごはんは玄米(げんまい)を
長い時間かけて作ったおかゆだけでした。
おじさんがポケットから取り出したのは、
小さなあさぶくろに入った塩でした。
少し茶色の塩です。
それを右手の親指と人さし指でずりずりしながら
おちゃわんのおかゆにかけるのです。

テンがいままで食べてきたばんごはんは、
スパゲティやハンバーグやカレーライスだったので
少しびっくりしていると、
おじさんが彼女のちゃわんに塩をかけてくれました。

おそるおそるスプーンでひとくち食べて、
テンはまたおどろきました。
とてもおいしかったのです。
けっきょく、三ばいもおかわりをしました。

おなかがいっぱいになったのと、
たき火のちろちろもえる火がとてもここちよかったので、
彼女はそのままねむってしまいました。

ふろうしゃのおじさんはちょっとよごれた毛布を
少女のからだにかぶせて、
かぜをひかないようにしてくれました。

おじさんはテンのねがおを見ながら、
あついお茶をのんでいます。
「少しこまったことになったなぁ」
とおじさんはかんがえていました。









「かぎとかばん」8.

2011-12-24 13:59:46 | Weblog


テンは毛布(もうふ)にくるまってクゥクゥとねむっています。
おとうさんの夢(ゆめ)を見ていました。
でも、きょうのおとうさんはなにも話してくれません。
「おとうさん、おとうさん」と、
夢の中でテンが話しかけても、
ズンズンととおくに歩いて行ってしまいます。
「おとうさ~ん」と、
大きな声を出して、
テンはとびおきました。

ふろうしゃのおじさんが、
たき火のまえにすわりこんでむずかしい顔をしています。

「おや?こわい夢でも見たのかな」とおじさんは言いました。

「ああ、そうだ。あたしはおぼれかけていて、
このおじさんがたすけてくれたんだ」とテンは思い出しました。

「さあ、これをのんで」
おじさんが作ってくれたのは、
あたたかい「こうちゃ」に「はちみつ」を入れたのみものでした。

せなかに毛布をかぶって、
そのお茶をのんでいると、
夢で「さびしくなった」気持ちが
だんだんうすらいできました。

「おじさん。こわい顔で何を考えていたの?」
テンはおじさんにたずねました。


「ちょっとこまったことになったなぁ」と、
おじさんがむずかしい顔で考えていたことは二つあります。
でもひとつは、まだテンに話せないことでしたので、
もうひとつの方(ほう)を話しました。

じつは、
おじさんはもうテンの住むあの町にはもどらずに、
次の町へ行こうと決めていたのです。
そろそろ寒くなる季節ですので、
冷たい北風がピープーふきはじめる前に、
もう少しあたたかい町にたどりつきたいと、
おじさんは計画(けいかく)していたのです。
(計画=「つぎはこうしよう」と考えること)
だからテンをつれて、あの町にもどることはできないのです。

おじさんはゆっくりとテンに話しました。

おじさんには「家」がありません。
だからやわらかなベッドも持っていません。
ねむる時はいつも、大きな木にハンモックをつるしています。
おじさんはおとなだからそれでもだいじょうぶだけど、
まだ小さな女の子のテンにはつらいことだよ、と、
そんな話をしたのです。

テンはなんだかまたひとりぼっちになりそうな気がして、
思わず大きな声(こえ)で言いました。
「おねがい。あたしもつれてって」

[それはとてもたいへんなことなんだ]
と、おじさんは言いかけました。
でも、少女があまりにもしんけんな顔なので、言えませんでした。
[小さな女の子が知らないおじさんといっしょにいると、
おうちの人がしんぱいするんだよ]ということも、
おじさんは言えなかったのです。

どうしてかというと、
この少女が、
少し変わった両手のことで、
とてもつらい思いをしてきたのを
ずっと公園から見て知っていたからです。

それに、お母さんといっしょにくらしてはいるけれど、
お母さんはいつも夜おそくまでしごとをしているので、
テンがずっとひとりですごしていることも
おじさんはちゃんと知っていたのです。

チロチロともえるたきびのそばで、
おじさんとテンは
ふたりきりで夜おそくまで話し合いをしました。

けっきょく、
「もうおうちにかえりたい」とテンが言い出すまで
いっしょに旅(たび)をすることになりました。

テンが自分の左手を気にしないですごせるなら、
それはとてもよいことだとおじさんは考えたからです。













「かぎとかばん」9.

2011-12-23 20:20:17 | Weblog
とても楽しい旅でした。

おじさんはあまりおしゃべりはしません。
でもいつもにこにこしています。

おうちにいるときのようなおやつはありません。
アイスクリームもありませんし、
キャンデーやケーキもありません。
食事もおじさんの作る野草(やそう=野原にはえている草)の入ったおかゆと、
かたい「にぼし」(魚をにて、ほしたもの)だけです。
でもおじさんの「にこにこ」を見ているだけで、とても幸せな気持ちになります。

一日のおわりに、おじさんはあのぶあつい本を取り出して、
たき火の明かりで読みます。

「いつまで読んでも終わらないお話」の本のことが、
とても気になっていたテンです。
おじさんの読書のじゃまをしないように、
さいしょは少しえんりょしていたのですが、
どうしても知りたくなって、
テンはおじさんにたずねました。

「ねえ、おじさん。ずっとずっと同じ本を読んでるのに、
いつまでも終わらないのはどうして?」

ひざの上の本をゆっくりとじて、おじさんはにこにこしています。
テンは広げた毛布の上にねころんで、
ほおづえをついておじさんを見上げています。

「それはね、、」とおじさんはテンをだきかかえて、
ぶあつい本のとなりにすわらせました。
「なぞなぞのこたえを見せてあげるよ」と言ってから、
おじさんはゆっくりと本をひらきました。

テンはびっくりして、おじさんの顔を見上げました。
まるいレンズのめがねをかけたおじさんは、
いたずらがだいすきな子どものように楽しそうです。

テンはもう一度、その本をよく見ました。

少し黄色くなったぶあつい本は、
どのページをめくっても白紙(はくし)でした。
なんにも書いてなかったのです。

びっくりしているテンにおじさんはやさしく言いました。
「おじさんはね、この本を読んでいるのではなくて、
お話をここに書いているんだよ。」

テンはおじさんの話がよくわかりませんでした。
きょとんとした顔です。
すると、おじさんは少しあわてたようすで、
こう言いました。

「だれかが書いてくれたお話はすぐに終わってしまうでしょう?
だからおじさんは、だれも書いていないお話を、
この白いページに書くのです。
でも、ペンやえんぴつで書くと、
お話はすぐおしまいになってしまうから、
あたまの中に風景(ふうけい=けしき)をそうぞうして、
動物とか食べ物とか人間の物語(ものがたり)を書き続け(つづ・け)ているんですよ。」

テンはもっとわからなくなりました。
「何も書かないのに、書き続けるって、
いったいどういうことなんだろう?」
彼女のあたまは「ハテナ」でいっぱいです。

「この本はね、おじさんのあたまの中なのです。
あたまで考えたことは、えんぴつを使わなくてもおぼえているでしょう?
それと同じことなんです。」
テンも、こんどは少しわかったような気がしました。

なんだか、ほんわかと幸せな気分になって、
テンはねむりにおちていきました。







「かぎとかばん」10.

2011-12-22 11:45:53 | Weblog
ちいさな車輪が四つついた荷車(にぐるま=にもつをのせて運べるような車)に、
ハンモックと毛布とやかん、それから少しの食べものをつんで、
おじさんはずっと旅を続けてきました。
ひっぱるとゴロゴロとゆかいな音のするこの荷車は、
おじさんが自分で作ったそうです。


旅をしながら、
おじさんはおちているあきかんをあつめています。
あきかんを見つけると、
こしにぶらさげている麻袋(あさぶくろ=「あさ」という植物の「せんい」で作ったふくろ/とてもじょうぶ)にほうりこみます。

麻袋がいっぱいになると、
それを近く(ちか・く)の工場(こうじょう/こうば)にもっていきます。
きれいなあきかんはそこで買ってもらえるのだそうです。

テンもおじさんのあとさきになりながら、
草むらにすてられたアルミ缶(かん)をひろっては
おじさんの袋(ふくろ)に入れていきます。
「おじさんのしごとだから、テンはひろわなくてもいいんだよ」とおじさんは言います。
でも、少女は少しでもおじさんの手伝い(てつだ・い)がしたくてしかたがありません。

おじさんにみつからないように、
荷車の後ろ(うし・ろ)のほうでこっそりひろっては、
そぉっと、麻袋に入れ続け(つづ・け)ました。

秋(あき)なのにとても暑い(あつ・い)日でした。

いつものように川ぞいの道を
二人は歩(ある)いていました。

おじさんは顔中(かお・じゅう)、あせまみれです。
ときおり、「ふぅっ」と大きなためいきをついています。

「そうだ」と、テンはいいことを思いつきました。

「おじさん、少しゆっくり進(すす)んでてね」と、テンはおじさんに言いました。
それから元来た道(もと・き・た・みち)をいちもくさんにかけもどりました。
少し前に通りすぎた公園(こうえん)に行くつもりです。

公園の真ん中(ま・ん・なか)あたりに、
「水飲み場(みず・の・み・ば)」があったことを思い出したのです。




テンはポケットから「かぎ」を出して、左手の「かばん」をあけました。
それから、大きくひらいた「かばん」に
水道(すいどう)の水をたっぷりと入れました。
こぼれないように、
しっかりとふたをしめて、「かぎ」をかけました。
そしてさいごに、自分ものどがかわいていたので、
ごくごくとたくさん水をのみました。
むりもありません。
あんなにいっしょうけんめい走ってきたのですから。

さあ、先に行っているおじさんにおいつかなければなりません。

こんどは左手の「かばん」がとても重たくなっているので、
来るときほど速く(はや・く)は走れません。

でも、なんとかすぐに追いつきました。

おじさんは先に行かないで、
ずっと同じところで待っていてくれたからです。

ハアハアと息(いき)を切(き)らしながら、
テンは言いました。
「おまちどうさまでした。つめたい水をおもちしました。」
まるでどこかのレストランの人のようです。

おじさんはびっくりしています。
テンは荷車からおじさんのコップを取り出して、
「かばん」の水をすくいました。
「はいどうぞ。めしあがれ。」と、こんどもお店の人をまねて、
おじさんの前にさしだしました。

おじさんはテンのまえにひざまづいて、
いきなり少女をぎゅうっとだきしめました。
小さな声でおじさんが、
「ありがとう」とささやきました。
にこにこしながら、
でもおじさんの目からはなみだがひとつぶこぼれています。
よほどうれしかったのだと、テンはわかりました。
「ね、早く(はや・く)飲まないと、こぼれちゃうよ」と、
こんどはふつうの話し方でテンは言いました。

おじさんはおいしそうにぐびぐびと、ひといきに飲みほしました。
テンはおかわりをつぎました。
こんどもひといきに飲んでくれたので、
テンはとてもうれしくなりました。

こんどから、「かばん」にいつでも水をいれておいて、
おじさんが、
「のどがかわいたなぁ」と言ったときに
コップについであげることにしました。
いつも水を入れておくと重くてたいへんですが、
おじさんがよろこんでくれるのならばがんばれます。

はじめて「左手」の使い道ができたので
テンはとてもうきうきしていました。

いままで何にも役(やく)に立たないと考え、
わずらわしく思っていた左手の「かばん」が、
おじさんに喜んで(よろ・こんで)もらえるのです。
そうぞうしただけでも、わくわくしてきます。
テンは荷車(にぐるま)のうしろを
おくれないようについて歩きながら、
おじさんが、
「のどがかわいたなぁ」というのを待つようになりました。







「かぎとかばん」11.

2011-12-21 21:38:18 | Weblog
おじさんの荷車には四つの「はこ」がつんであります。
ぜんぶ同じ大きさで、それぞれに「ふた」がついています。
「はこ」の中にはいろいろなものが入っているのです。

日がおちるころ、おじさんがあけるところには
丸められた毛布と「ふく」が入っています。
どれもとてもよごれているようです。

そのとなりには「やかん」とコップと「ちゃわん」が入っています。
やかんはまっくろにこげています。

お米の入った「はこ」もほこりをかぶっていますし、
雨の日に着るカッパもあまりきれいではありません。
でもテンはそのにおいがすきです。
なんだか野原のにおいがするからです。

荷台(に・だい)の「はこ」はそんな荷物(に・もつ)でいっぱいですが、
じょうずにたたんであるので、きちんと「ふた」がしまります。
そうすると、
テンが歩きつかれたときには「ふた」の上にすわることができるのです。
くたびれて足がいたくなったときは
おじさんがひっぱってくれるので、とてもらくちんです。
そのままねむってしまうこともありました。

きょうはたくさんあきかんを集(あつ)めました。

テンも、いつものようにこっそりとひろっては、
おじさんの麻袋に入れました。

ふたりでがんばったので、
麻袋はぱんぱんにいっぱいです。
あしたの朝(あさ)、工場にもっていくそうです。

「あきかんを買ってもらったお金で、
ソフトクリームを食べようか」とおじさんは言いました。
テンはそれがとても楽しみです。
今夜(こん・や)のゆめは、
きっと、あまくてつめたい「ソフトクリーム」にちがいありません。














「かぎとかばん」12.

2011-12-20 23:49:26 | Weblog
今朝(けさ=きょうの朝)、
テンがとても早起き(はや・お・き)をしたのは、ソフトクリームのことだけが理由(り・ゆう)ではありません。
あきかんを買って(か・って)くれる「工場」というところに行くのが、
とても楽しみだったからでもあります。

空が見えなくなるくらい高くつみ上げ(あ・げ)られた「あきかん」の山。
そのすきまをきっとロボットみたいな機械(き・かい)が、行ったり来(き)たりしている。
工場の「うけつけ」のところには、
きちんと「せいふく」を着て(き・て)、
おまわりさんみたいな「ぼうし」をかぶった人がいる。
きっと無口(む・くち=あまりしゃべらないこと)なその人に、
おじさんは麻袋のあきかんをわたすにちがいない。
でも、こんなにたくさん集めた(あつ・めた)のだから、
「すごいねぇ」とほめてくれるかもしれない。

そんなふうに、まだ見たことのない工場について、
テンはいろんなことをそうぞうしながら、おじさんの荷車のうしろをトコトコとついて行きました。

でも、その「工場」はテンの思いえがいていたのとはまったくちがっていました。

ちょっときたないふつうのお家(うち)に、「やね」や「かべ」をくっつけたような、
いまにもこわれそうな工場だったのです。
そしてその入り口にすわっていたのは、
「せいふく」も「ぼうし」も身(み=からだ)につけていないおばあさんでした。
よごれたエプロンをして、首(くび)にタオルをまいたその女性(じょ・せい)は、
なんだかおこっているようなかんじでしたので、テンはこわくなりました。

おじさんから麻袋をうけとると、あばあさんは、
ポイと「はかり=おもさをはかる機械」の上にほうりなげました。
おじさんとふたりでたいせつにあつめたあきかんを、そんなふうに投げ(な・げ)られたので、
テンはかなしくてなきそうになりました。

するとそのおばあさんは、じろりとテンをにらみました。
ますますこわくなって、テンはおじさんにしがみつきました。
ずっとテンのことをにらみながら、おばあさんがまばたきをしました。
それも、右がわのまぶただけが二、三回(に・さん・かい)上下(じょう・げ)にうごいたのです。
左がわの目は、いちどもまばたきしません。
よく見ると、左目は白っぽくにごっています。
ほんとうにこわくなったテンはぶるぶるふるえだしました。

そんなテンのようすをじっと見ていたおばあさんが、
手まねきをしました。
真っ黒(ま・っ・くろ)によごれた手ぶくろをした手で、
「おいで、おいで」をしたのです。
テンはもうがまんできずになきだしてしまいました。
「このあばあちゃんはきっとあたしを食べてしまうつもりだ。」と、テンは思ったのです。

おじさんの顔を見上げました。
にこにこしています。
いつもと、同じ「にこにこ」です。

それからおじさんは、テンのせなかをぐいと押(お)して、
「ほら、おばあちゃんがよんでるよ」と小さな声(こえ)でテンに言ったのです。

ひくひくとしゃくりあげながら、
テンはおばあさんのそばに行きました。

おばあさんはそのよごれた手ぶくろをしたまま、テンのあたまをなでました。
それから、きたないエプロンのポケットから何かを取り出して、
テンの右手ににぎらせました。
さいごに、おばあさんが「バイバイ」と手をふったので、
テンはおじさんのところに走ってもどりました。

おばあさんは一言(ひと・こと)もしゃべらないまま、
おじさんに「あきかん」の代金(だい・きん)をわたしました。
そのお金を見ておじさんはおどろいています。
おばあさんは「早くかえれ」とばかりに、
ふたりを両手で追い立てて(お・い・た・てて)います。

おじさんはちょっとおじぎをしてから、
テンを荷車にひょいと乗(の)せました。
テンは少しでも早く、ここをはなれたかったので、
荷車にしがみついています。

おじさんはもう一度(いち・ど)おばあさんに「えしゃく=おじぎ」をしてから、
ゆっくりと出発しました。
どうしておじさんは、
あんなにこわいおばあさんに、ていねいな「おじぎ」をくりかえすのか、テンにはわかりません。
「おじさん、早く行こう」と、言いました。








「かぎとかばん」13.

2011-12-19 21:06:59 | Weblog
しばらくしてから、おじさんがにこにこしながら話しはじめました。
「さっきの工場にいたおばあさんの話しをしてもいいですか?」
テンはまたこわくなりそうで、ほんとうはイヤだったのですが、
あの場所(ば・しょ)からずいぶんはなれたので、
いいよ、と小さくうなづきました。

「あのおばあさんはね、小さいときに重い(おも・い)病気(びょう・き)で、
左の目が見えなくなったんです。
右目はほんの少し見えるようですが、
それでも形がボンヤリとわかるくらいだそうです。」

だから、あんなふうに白くにごっていたんだ、とテンは理解(り・かい=わかること)しました。

「それにね、そのとき声を出すこともできなくなったんだそうです。」
テンはおどろきました。
話すことのできない人がいるなんて、
はじめて知った(し・っ・た)からです。

おじさんの話しはゆっくりと続き(つづ・き)ます。
「おばあさん、すごくきたないかっこうをしていて、
お話もできないから、みんながこわがっているのですが、
ほんとうにやさしい人で、おじさんは大好き(だい・す・き)なんですよ。
きょうのあきかんも、いつもの二倍(に・ばい)のねだんで買ってくれました。
きっと、ふたりでおいしいものを食べなさい、って言いたかったのでしょうね。」

「そうだったのか」と、テンはとても後悔(こう・かい=しっぱいしたな、と思うこと)しました。
「おばあちゃんにわるいことをしてしまった」と考えたら、
さっきとはちがうなみだがこぼれました。

「だから、あなたのこともとてもしんぱいして、
ほら、右手になにかにぎらせてくれたでしょう?」

テンはすっかりわすれていました。

あのとき「おいでおいで」と手まねきされて、
よごれた手ぶくろの手でにぎらされたモノ。
それをテンはぎゅっとにぎりしめたままでした。

おじさんがテンのまえに手のひらを出しました。
その上に、テンはにぎったままの右手をのせて、
ゆっくりとひらきました。

それはいままで見たことのないふしぎな形(かたち)の石でした。
あちこちがギザギザしていて、
つよくにぎるといたいほどです。
それに、まんなかのあたりが少しきらきらとかがやいています。

テンはおじさんの顔を見ました。

にこにこしています。

どうやらおじさんはこの石のことを知っているようです。

「すごいモノをもらいましたね。よかったですね。」
おじさんはそう言っただけで、
それがどんな石なのかすこしもおしえてはくれません。

テンの顔(かお)の前(まえ)に、
おじさんがひとさし指(ゆび)を立てて言いました。
「ひとつだけ、おしえてあげますね。
それは{しあわせスイッチ}という名前(な・まえ)でよばれている石です。
なくさないように、大切(たい・せつ)にしまっておいてください。
そのうちに、つかいかたもわかりますから。」


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工場から少しはなれたところに大きな公園(こう・えん)がありました。
「そうだ。ここの売店(ばい・てん=お店)にソフトクリーム屋さんがあったはずだ」
まだ少し、めそめそしているテンに向かって、
おじさんが大きな声で言いました。
「ソフトクリーム」ということばを聞いて(き・いて)、
テンはいっぺんに明るい(あか・るい)きもちになりました。
一番(いち・ばん)大きなのを買って、
ふたりで半分(はん・ぶん)ずつ食べることに決まりました。


公園のベンチでなめるソフトクリームは、
夢(ゆめ)で見たよりもあまくて、つめたくて、
ずっと食べつづけていたいほどのおいしさでした。
半分ずつというやくそくでしたが、
おじさんはほんのちょっとだけペロリとしただけです。
ほとんどテンが食べてしまいました。

テンはポケットの中の「しあわせ」スイッチ」を右手でさわってみました。
さっきよりもトゲトゲがなくなって、まるくなったような気がしました。




「かぎとかばん」14.

2011-12-17 19:30:37 | Weblog

「きょうは遠くまで行くから、ずっと乗ったままでいいですよ。」と、
朝ごはんの時、おじさんはテンに言いました。
それでテンは、いつもの荷車に後ろ向き(うし・ろ・む・き)にすわっています。

十月です。
風がふくと、落ち葉(お・ち・ば)が舞う(ま・う=おどること)季節(き・せつ)になりました。
おじさんの引く荷車にも、いろいろな葉っぱが飛(と)んできます。
すわっているテンのそばにも、たくさん落ちてきます。
テンはポケットから「しあわせスイッチ」を取り出して、
「きょうもおじさんに良いことがありますように」と、いのりました。

左手の「かばん」には、ちゃんと水をくんでおきました。
きゅうけいの時に、おじさんに出してあげるのです。


茶色(ちゃ・いろ)く枯れた(か・れた)「椚(くぬぎ)」の葉はギザギザです。
「朴木(ほお・の・き)」から落ちてきたのは、
テンの顔よりも大きな葉っぱです。
気の早い「銀杏(いちょう)」は、まだ緑(みどり)色なのに落ちてきました。

荷車は秋の落ち葉でいっぱいです。

テンは、落ちてきた葉っぱたちが
荷台の上で、
たくさんおしゃべりしているように感じました。
「ざわざわ」
「かさかさ」
「くしゃくしゃ」
そんな音で、なんだかお話ししているようにテンは思ったのです。

「シャカシャカ。
初めまして、クヌギです。」
「カサカサ、ゴソゴソ。
こちらこそ、初(はじ)めまして。
ほおの葉です。大きくてごめんなさい。」
「フニャフニャフニャ。銀杏(いちょう)です。
まだ、青いのに落ちてしまいました。なかまに入れてください。」
「パラパラパラ。
おぉ、そうだねぇ。まだわかい葉っぱくんだね。
みんなでなかよくしましょう。」

そんなふうにそうぞうしていると、
テンはとても楽しい気分になりました。

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そのころ、テンの家はおおさわぎになっていました。

テンがいなくなったので、お母さんがけいさつをよんだのです。

ちょっとこわい顔のおまわりさんがふたりで、
お母さんと話しをしています。
おまわりさんは、
「どこへ行ったのか、心当たり(こころ・あ・たり=「きっとこうなんじゃないかな」と考えること)はありませんか?」とか、
「だれかあやしい人はいませんでしたか?」と尋ねて(たず・ねて=しつもんすること)います。
おかあさんはずっとないています。
とても心配(しん・ぱい)なようすです。

けいさつに「そうさくねがい」というのを出すことになりました。
「そうさく」というのは「いなくなった人をさがす」ことです。
テンをけいさつにさがしてもらうことにしたのです。