天日古と大日人(solahico & hilohito)

喪失したわが子二人を偲ぶための個人的なブログ。「般若経」を写す所作に倣い、眠れない日々の「ワイパックス錠」代わり。

KAPPA 05

2015-06-25 03:15:15 | Weblog
その日の夕方、村の全員が源さんの家に集まることになりました。「赤い泥水」はチャコ婆さんと源さんの家だけのことではなかったのです。
一番若い良一さんは良ちゃんと呼ばれています。若いといってももう65才になります。明治時代に建てられた立派な屋敷に一人で暮らしています。良ちゃんは郵便配達の赤いバイクでやってきました。高校を卒業してからずっと郵便局で働いていた良ちゃんは、いまでもそのときのバイクやカバンを愛用しているのです。
「源さん、居るか。」返事を待たずに玄関の引き戸をくぐっていきます。
革製の大きなカバンからタラノメの天ぷらを出しながら、良ちゃんが源さんに言いました。
「源さん、どうするよ。困ったことになっちまったなぁ。」
良ちゃんの家にも井戸があります。でも、チャコ婆さんのところほど深く掘ってないので、すっかり涸れてしまったのだそうです。
「そうよ、それ。最初はねえさんの所だけの話しかと思っとたら、ウチもじゃ。さらにあんたのとこも。」
源さんはチャコ婆さんのことを「ねえさん」と呼びます。小さい頃から面倒を見てもらったからだそうです。

良ちゃんが台所の土間に腰掛け、地下足袋を脱いでいるときに、玄関先でトットットという頼りないエンジン音が聞こえました。勘三郎さんの小さなトラクターです。リアカーを引いています。その荷台には勘三郎さんの奥さんのミヨコさんと、安さんちのおばあさんがちょこんと座っています。おばあさんの名前はキヌさんです。

源さんと良ちゃんが囲炉裏端にすわって三人を迎えました。
ミヨコさんとキヌさんがそれぞれふろしき包みを開いて、作って来たおかずを差し出します。ミヨコさんは黒豆の甘露煮。キヌさんは里芋とごぼうの煮物です。
何か相談事があってみんなが集まるときには、それぞれが得意な料理を持ち寄って、食べながら話し合うのが暗黙の約束なのです。
「おや、安さんはどうした?」
安さんの姿が見えないので、源さんはキヌさんに尋ねました。
「あれ以来、寝込んじまっての。メシは食うけど外には出んようになってしもうた。家でぼんやりしとる。」
どうやら、山の水が涸れて(かれて)とてもがっかりしたようです。

源さんがダイコン葉の浅漬けに昆布の細切りをまぶして皿に盛りつけます。

最後に入って来たのはチャコ婆さんです。一度家に戻ってから、みんなのために料理を作って来たのです。今日は黒米を使ったおにぎりです。

囲炉裏に薪がくべられ、自在鉤に吊るされた鍋の中にはキヌさんの煮物が温まっています。框(かまち)にはみんなが持ち寄ったお皿が並べられ、いよいよ会議が始まります。

「それでどうするんじゃ?水がないことには生きていかれんぞ。」
最初に発言したのは良ちゃんです。
「そうよ。うちとこは上澄み(うわずみ)をそっとすくって、それから煮沸(しゃふつ)して使っとるが、こんな案配(あんばい)じゃいつまでも続かんよ。」ミヨコさんが待ってましたとばかりに不満を吐き出します。
「そもそも、なんでこんなことになったんじゃろ。」
キヌさんが黒豆をほおばりながらボソリと言います。
「そりゃあのタヌキ山の工事じゃろう。それに決まっとる。」良ちゃんの怒りはとても激しいようです。
「確かにな。あの工事が始まった途端(とたん)にこれじゃからな。原因としては大いに疑われるのぉ。」
源さんはみんなの意見を上手にまとめて行きます。
「疑われる、じゃなくて、それに決まっとるが。」良ちゃんは少し熱くなっているようです。
「そこが難しいところなんじゃ。因果関係を証明せにゃならんからのぉ。」
「インガカンケイ?なんだね、それ。」
「良ちゃん。役所と話しするときには『原因』と『結果』をきちんと説明せんことには対応してもらえんのじゃ。『結果』はもちろん、ワシらの水が台無しになったことじゃが、その『原因』を突き止めるのは、こりゃぁ簡単じゃない。なんせ地面の下の話しじゃからな。」
良ちゃんが源さんの冷静な話し振りに少し落ち着きを取り戻したようです。
「どうすりゃいいんじゃ。」ぽつりとつぶやいておにぎりをかじりました。

「山の水脈を切ってしもうたわけじゃろ、あの工事が。土地は人間と同じ、生きとるんだから、むやみにいじくったらいかん。そんなことも分からん連中がいきなり押し掛けて来て、みんなを殺しかけとる。」
チャコ婆さんがゆっくりとかみしめるように話すとき、みんなはじっと耳をそばだてます。

「勘三郎、おまえさんはどう思うかね。」源さんが、それまで一度も口を開いていない勘三郎さんに訊きました。
源さんに促されても、勘三郎さんはもじもじと口ごもっています。隣に座っていたミヨコさんが肘(ひじ)でちょんちょんと勘三郎さんの脇腹を小突きました。『ちゃんと自分の意見を言いなさい』という合図です。
「アタシなんかが意見言っていいんでしょうか。」とても遠慮がちです。でも、それには理由があります。実は勘三郎さんだけがこの村の生まれではないのです。若い頃から町の大きな工場で働いていた二人でしたが、二十年ほど前、早期退職(そうきたいしょく)をして、ミヨコさんの故郷であるこの村に移住して来たのです。詳しい経緯(いきさつ/けいい)は誰も知りません。

「アタシら人間のカラダには血が通ってます。血の流れがあるから生きていられます。包丁でカラダを切れば血が噴き出します。放っておけば死んでしまいます。地面も同じだと思います。地下の水の流れはアタシたちの血管と同じはずです。だからやたらに断ち切ってはいけないのに、あの工事はそこのところが考慮(こうりょ)されていない。そこが一番の問題だと思います、はい。」
ラジオのアナウンサーがしゃべるような標準語で、訥々(とつとつ)と話す勘三郎さんの話しが終わると、しばらく沈黙(ちんもく)が続きました。









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