ぐうじののほほん

山形県長井市の總宮神社ぐうじの個人的日々を綴った日誌です

休肝日

2017年03月27日 21時07分12秒 | バーボン

こんばんは

雪や雨の長井市でした

るうたんが、夜なべして完成したネックウォーマー

めっちゃあったかいです

しかも朝日町のさとうさんのポテチ

 ありえないおいしさです

 ぐうじ家輸血事情・・・・・

 

    変わりました

 以前は際限なく毎日

 1月からは3日の休肝日を作っています

ぐうじの人生でありえなかったことなのですけどね・・・

慣れるまで厳しいですが・・・

 

人生チャレンジってのも、おもしゃいです

 

でも、一晩、一本飲むんですけどね

 

皆様にはステキな夜をお過ごしくださいませ

 

 

 

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青森へ(斜陽館編)

2017年03月27日 17時09分39秒 | 観光

こんばんは

雨模様の長井市でした

先日の青森への旅

五所川原市「立佞武多の館」から斜陽館へ

ちょうど上空を北帰行の白鳥たちが飛んでいきました

きっと太宰も同じ風景を何度もここで見たことでしょう

赤レンガの重厚なつくり

赤いトタン屋根と立派な縣魚

ここ斜陽館は太宰治の生家

父津島源右衛門が新築し、この家で一番最初に生まれた子供が太宰です

それでも太宰は両親にいる11人の子女のうちの10番目、その6男だったんですよ

太宰治記念館「斜陽館」は、太宰が生まれる2年前の明治40年(1907)、父・津島源右衛門によって建てられた豪邸です

和洋折衷・入母屋造りの建物は、米蔵にいたるまで青森ひばが使用され、どっしりした重厚感が特徴となっています

国の重要文化財建造物に指定され、明治期の木造建築物としても貴重な建物


太宰はここで、家の商売や自らの立場を感じ、兄弟の間にも存在する身分の差を実感・・

親代わりの叔母きゑ、子守のタケとの出逢いと別れを経験し、成長していきました

蔵を利用した資料展示室には、太宰が生前着用していたマントや執筆用具、直筆原稿、書簡などのほか、初版本や外国語の翻訳本も展示されています(現在改装中でした)

青森県全体でNO4の豪商だった太宰の父が建てた和洋折衷の豪邸源右衛門は木造村の豪農松木家からの婿養子で県会議員、衆議院議員、多額納税による貴族院議員等をつとめた地元の名士。

 

津島家は「金木の殿様」とも呼ばれていたそうです。

そんな家ですから小作人たちが一揆をおこしても乗り越えられないようにこのそびえる壁を作ったそうです

五所川原一帯に限っては「金木の殿様」と言われるぐらいですから、この住まいの周りに銀行、警察署など所轄庁を集め、道を切り、津島家で発電する電気でこの町の電気を賄い、明治時代に外車を持ち、近隣のトラックにはサラブレットを走らせていた・・・

太宰治(本名:津島修治)はそんな家に生まれた坊ちゃんだったんです

この建物・・・

様々に変遷を重ねて現在に至っています

明治40年(1907)6月21日 津島家六代の源右衛門が当時経営中の金融業店舗を兼ねた住宅として竣工。
大正12年(1923)頃 兄文治の新居として離れ座敷「新座敷」が完成する。
昭和23年(1948)6月26日 角田唯五郎氏が角田家住宅として買い取る。
昭和23年(1948)頃 長兄文治が北東隅の離れ「新座敷」を屋敷外に曳き家移転する。
昭和25年(1950) 角田氏が旅館「斜陽館」を開業する。
昭和51年(1976) 黒滝氏夫妻の所有になる。
平成元年(1989)5月9日 旧金木町指定有形文化財に指定される。
平成8年(1996)3月20日 旧金木町が買い取る。
平成9年(1997)12月4日 復元修復工事完成。
平成10年(1998)4月17日 金木町太宰治記念館「斜陽館」として開館する。
平成10年(1998)7月13日 旧津島家住宅主屋一棟県重宝に指定される。
平成16年(2004)12月10日 旧津島家住宅(斜陽館)国重要文化財に指定される。
平成19年(2007) 築百年を迎える。

太宰治の父・津島源右衛門が明治40年(1907)に建築した入母屋造りの建物。設計は明治期の名棟梁といわれた堀江佐吉で、斜陽館のほかに弘前の第五十九銀行、旧市立図書館などを手がけました


 米蔵に至るまで青森ヒバを使用し、階下11室278坪、2階8室116坪、付属建物や庭園なども合わせて約680坪の豪邸でしたが、昭和23年(1948)、農地改革によって津島家の手を離れました

戦争に負けてGHQの手が入ったんですね。


 戦後、昭和25年(1950)から平成8年(1996)まで46年間は、旅館として太宰ファンに親しまれ、その後、旧金木町が買い取り平成10年(1998)から現在の太宰治記念館となっています

すごかった・・・

部屋の一つ一つが明治のものとは思えない

ここでスマホ電源OUT

なので、青森への旅、ここが本丸なのにあんまりネタが撮影できませんでした

ま、それも旅です

太宰治という一人の作家をさかのぼる青森への旅

意外や意外、おもしゃいです

結局、財を成す父や津島家と、小作人とのギャップに悩む太宰・・・

   

社会主義的思想に傾倒し平等を求め、津島家に反骨する気持ちもわかります・・・

               

太宰は青森から東京三鷹に居を構え生活し作品を生み出していきます

  

だけど、戦争が激しくなり東京の空襲、青森市も空襲にあいますが、疎開で戻ってきます。

短かったけど激動の人生ですね

昔の人かと思いき、最近まで生きていて、入水自殺しなければ近年までは存命していたはず(生きていれば109歳)

なんだか、とってもセンチメンタルな気分になる斜陽館なのでした

さ、次は「太宰治疎開の家」にGo!

皆様はステキな夜をお過ごしくださいませ

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青森へ(立佞武多はすごかった!編)

2017年03月27日 12時10分38秒 | 観光

こんにちは

雪模様の長井市です

皆様の地域では如何ですか?

先日の『青森へ(太宰治学びの家編)』から五所川原市へ

          

青森県五所川原市『立佞武多の館』(たちねぷたのやかた)に到着

高さ38m、地上6階

館内に入ります

まったく事前情報なし

ここで入館料を支払って中へと入ります

大人の休日クラブでも吉永小百合さんが来ていた場所

大人にならなくても楽しいところです

佞武多は・・

 

    ねた・・

 

      じゃなく、

 

       ね

 

         なんですねぇ

歴史ある立佞武多ですが、いったん途絶えていたことも知りませんでした

正直、青森にきて一番驚いたのがこの立佞武多でした

圧倒的な大きさです

        

こんなのが町並みを巡行するなんてキセキです

五所川原の記録に登場するのは、明治40年頃といわれています
 当時、県内にその名を轟かせた「布嘉」などの豪商、大地主の力と象徴として、巨大ねぷたは高さを誇るようになり、約10~12間(約18~21.6m)に及ぶようになったそうで・・

その勇姿は、近隣の町村からも見えたと言われるほど巨大なもの


 しかし、大正時代になり電気が普及し、ねぷたは小型化の一途をたどります

電線が巨大なねぷたに引っ掛かるんですね

 

また、戦後に起きた2度の大火で街が全焼したことにより、設計図や写真が消失し、巨大ねぷたは姿を消しました・・

 

   いったん歴史から消えたんですね~


 ところが、1993年に当時の設計図と写真が発見され、翌1994年に 高さ7mのねぷたが復元され、その後1996年に市民有志により「たちねぷた復元の会」が結成され、1998年、80年ぶりに「五所川原たちねぷた」が復活をなしとげたとか

   

これが明治時代の立佞武多

この当時、こんなのが町の中を・・・

五所川原・・・

   すごい歴史に満ち溢れています

これが電線の普及により小型化した立佞武多

      

こりゃすごいわ

地上6階の立佞武多の館はエレベーターで6Fまで行き、そこからスパイラルに立佞武多を見ながら1Fまで歩きますが・・

  ↑を見ている場所で5Fです

           

存在感がスゴスギマス

(ノ´▽`)ノオオオオッ♪

          (ノ´▽`)ノオオオオッ♪

これも5Fだから、地上30mぐらいの場所?

館内には3基の立佞武多が展示されていて、実際にまつりで引き回されるものです

この巨大な構造物を展示しておくために作られたのが立佞武多の館

地上1Fが見えますね

人が豆粒ほどに見えます

          

圧倒的な大きさです

この4Fのデッキが・・・

小百合さんが立っていた場所

同じ場所がここです

館内はスパイラル状のスロープを見ながら1Fまで降りていきます

大きすぎて、そうやって分割してみていかないと、構造物としてとらえられないのかな・・ 

だってこんなにでかいんですから

   

五所川原市民って・・・

   すごいです

スロープを下りながら佞武多の勉強ができますよ

これはもう下まで降りてきた感じ

途中には佞武多の歴史、復興への苦労などが展示されています

塗装前の鬼も展示

あらら・・・

  テイク1失敗 

テイク2でOK

とにかくすごいという感嘆詞しか出てこない

こんな感じでスロープがらせん状に展開しています

発見された設計図のひとつ

こんなのも展示されています

間近で見る絵がめっちゃギミックです

もはや芸術

これで4Fからかな

ライトに照らされてとってもきれいです

幻想的です

だんだん下りましょうね

これでスロープの半ばでしょうか

色の鮮やかさが目にまぶしいです

佞武多を出すときには佞武多の館がオープンしますが・・・

これ・・

   オープンブリッジ

    

五所川原市が一体となってまつりを作り上げているんですぇ~

           

これでスロープ2Fかな

下までやってきまし

23mっすもの、そりゃすごいわ

              

この佞武多・・・

   ガンダムと比べると・・・

    

ガンダムより全然大きいです・・・

 

   ビグザムなみです

いいものを見ました

太宰を巡る旅ですが、行程途中にここがあったので組み込んでみてよかった

青森県五所川原市「立佞武多の館」

お奨めです

台座には消火器あるし 

は~~~

  すごかった

さ、堪能しました

ワンツーワンソフト

青森名物りんごソフト

めっちゃ酸味がきついスイーツ

おいしかったっすよ

お土産を見て・・

このてぷた骨組みの後ろから、展示されていた佞武多3基が町に出てきます

すごいものを見てインスパイアされました

さ、いよいよ本丸「斜陽館」へ移動です

皆様にはステキな午後をお過ごしくださいませ

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朝の時間

2017年03月27日 08時24分36秒 | お弁当

おはようございます

雪の長井市です

ぐうじは土日祝日はお宮に完全缶詰なので、平日しか自由が利かないのですが・・・

3月と言ったら、土日が晴れで平日雨雪パターン

今朝のあや公でこんな感じの積雪

皆様の地域では如何ですか?

今日は春休みの部活弁

のりたまと、ゆかりでミニおにぎり

隙間を埋めるためのブロッコリー

無印良品のシリコンタッパーでチン

あとはお弁当を埋めるだけです

ゆかりと、のりたま

ミニホットドック

たまご焼き・既製品のカニカマ・銀鮭・ハムカツ

幕のうちになっちゃうんだよなぁ 

粗熱を取って蓋をして完成

いつも通り、何時もの風呂敷

水筒と一緒に持っていきましたよ

そしてぐうじ飯

ルーティーンサラダ

豆苗とオニオンのサラダ

毎日野菜

セカンドのエスカルゴ

バジルとガーリックが効いていておいしいです

こごみ(こごみ=山菜)が手に入ったのでPASTAにします

ホイ完成

『こごみのあったかクリームPASTA』

ひさしぶりのクリームPASTA

なんてうまいんだろ

ごちそうさまでした

いつも通り今日も同じ道

当たり前が当たり前に始まっています

朝起きれて、動くことができ、お弁当を思考して作って、朝食も頂ける朝の時間・・・

ありがたいことです

皆様にはステキな1日をお過ごしくださいませ

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青森へ(太宰治学びの家編)

2017年03月26日 20時44分14秒 | 旅行

こんばんは

週末になると晴れの日が続きます

皆様の地域では如何でしたか?

先日の青森への旅

太宰治が学んだ、学びの家まで行ってきました

青森県弘前市

ここが一階スペース

やはり文スト絡みで、たくさんの若者が訪れているようです

実際にこの家で学び、小説も書いていたとか・・・

一回は生活基盤

2階に太宰の部屋があります

若いうちから結構写真があります

そんな器だったのでしょう

ここが実際に太宰が生活し学んだ場

実際に使った机、ちゃぶ台

実際に着た学生服、外とうがあります

すごい!

実際に生活していた部屋・・・

部屋から見下ろしす中庭

きっと、この庭を毎日見下ろしていたのでしょう・・・

かっこいいっすね~

ここはルパンで撮影されたもの

ルパン→http://home.u06.itscom.net/lupin/aboutlupin.html

このバーは、現在も営業しています

すごいな~~

太宰が生活した2階から1階が見える吹き抜け

ここは生活感がありますが、管理人さん、観光ガイドさんのオフィスでもあります

そんなに太宰の作品を読んだわけではないですが、ここに来れてよかった・・・

そして、ぐうじプロデュースの太宰をたどる旅ルートが意外に、的を得ていて太宰を知るにはベストでした

そんなことに気づかずに学びの家を後にして・・・

五所川原市へ

ここでとんでもないものを見ることになります

五所川原、立佞武多(たちねぷた)の館

すごかったぁ~

皆様にはステキな夜をお過ごしくださいませ

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