曽我部絵日記

曽我部昌史の写真絵日記

2015年9月21日~27日

2015-09-29 | 日記


9月27日(日)
「月@大学前(神奈川大学・横浜)」

弾丸で新潟。日比野さんのトークイベントに水土アートディレクターの丹治さんと参加。駅でビールを飲んでから横浜に戻ると壇上で宣言したものの、新潟駅では7分後に出発する新幹線があり、ビールは断念。夕方前に大学。翌日から上海設営に行く学生の準備の確認。帰り道に見上げると中秋の名月。夜も更けてから自宅の屋上からも見直してみたんだけれど、雲が被っていてもよく見える月。かなり久しぶりの横浜。


9月26日(土)
「新津波避難タワー@周参見駅(紀勢本線・和歌山)」

早起きしてメール。今回のチェーン出張中は色々なプロジェクトの佳境が重なっていて、どうにも落ち着かない。まあ、しようがないが。午後から、追手前学院大で行われている公共政策学会のシンポジウムに視察メンバー全員で登壇。活動の振り返りと再確認ができた。写真は周参見駅横の避難タワー。津波の予想が更新されたため、各段と大きなタワーが新設されたらしい。


9月25日(金)
「パンとカフェ・nagi@紀伊大島(串本・和歌山)」

朝一で串本市役所を訪れ、架橋後の変化や産業などについて伺う。気仙沼大島と重なって見える状況も少なく無さそう。その後、橋杭岩(火山岩が作る特徴的ジオサイト)や道の駅を観察しつつ、紀伊大島へ。島の中央を東西に峰道が走っていて、3っつある海岸沿いの集落にはそこから降りる。入ってすぐのところに良い雰囲気のカフェ。神戸などで修行し、奥さまの出身地にて出店をしたらしい。ピザとサンドイッチのランチを食べて、パンもテイクアウト。とてもおいしくて、ものすごい集客力。


「樫野崎の岩場@紀伊大島(串本・和歌山)」

島の各集落を訪ねる。多くの物販店舗は閉店しているみたい。役場での取材で登場した人物に遭遇したりして、さらに取材。最後は、島の東端にあるトルコ記念館へ。トルコには親日派が多いのは知っていたんだけれど、ここでの史実に支えられたものだとは知らなかった。トルコでは小学校の教科書にも登場するらしく、近々、この話しを元にした映画が上映されるとか。
民宿では伊勢エビとビール。


9月24日(木)   
「駅前の様子@串本駅(串本・和歌山)」

打ち合わせをひとつ挟んで、和歌山の串本へ。気仙沼大島に関わっているメンバーによる、同じような背景を持つ同市への視察。こちらは津波予想高さが最大20m近く、架橋がすでに渡っている(気仙沼はこれから)。名前は両方とも大島。大阪市内から特急で3時間強。平日なのにホテルにいる観光客の多さに驚く。夜は先生方と豪快な居酒屋で豪快な魚料理。


9月23日(水)
「上海西岸ビエンナーレ設営中@Shanghai West Bund Art Center(黄浦河下流・上海)」

編集確認作業の続きをやってから、展示会場へ。元工場だった建物で、クレーンなどを残したままの空間。鉄とコンクリートだけによるリノベも格好いい。われわれは、大きく映像を映して、今回の視察を踏まえて作った書籍を置くだけ。持っていったプロジェクタなどの動作確認と設置依頼をして、いかにも上海の家庭にありそうな机と椅子を買ってきて配置。あとは、これから編集印刷が行われる書籍とペンダントライトの取付に学生がやってきて完了。のはず。


「テンポラリーな建築家のオフィス@ビエンナーレ会場の北隣(黄浦河下流・上海)」

設営関連の確認をできる範囲でした後、一昨日の夜にセッティングしてもらった、竣工直前の建築家新オフィス群の見学。開発会社がクリエイティブな地域にしたいと、5社の事務所を建てている。5年間の限定らしい。土地は開発会社が提供するけど、建設費は事務所持ち。同じような素材を用いつつ、5つのテイストが大きく異なるのも面白い。見学の声をかけてくれたからと言うわけではないけど、ZHANG先生のアトリエZ+が、快適さと押さえの効いた空間構成とのバランスが良くて共感。


「上海浦東空港ターミナル1@上海(中国)」

あわただしくタクシーで空港へ。WANG先生によると、空港ビルは夜見るとガラスと大屋根の印象が共通したシリーズにみえるけど、内部に入ると構造形式の違いがそれぞれちがった表情を作っているとか。ターミナル1は張弦梁。手荷物検査を受けてラウンジ。夜遅くに関空について、難波へ。タクシーでホテル名と住所まで言ったのに、違う東横イン(前からあるところ)に連れて行かれる。違うほうのフロントでも、正しい東横インへ向かうタクシーでも「そういう人がたくさんいるんですよ」。。。たくさんいても対策なしか。詐欺にでも遭ったような気分。やっぱりサービスレベルは追い越されたな。


9月22日(火)
「ホテルの廊下@Asset Hotel(上海市街西寄り・中国)」

さらなるリサーチを行おうかと思っていたんだけれど、書籍にするための印刷原稿準備が間に合いそうにないということもあって、主にホテルで編集作業。
ホテルの廊下はちょうど3周回る大きな螺旋。後日、Xiao Xiaoさんが調べたところによると、元駐車場だったから、こういう構成になっているんだとか。リノベ物件だったわけか。廊下に囲われた内側に、エレベータ、階段、中庭、大きめの居室(中庭に面する)が並ぶ。中央にあるエレベータは、東棟と西棟を繋ぐため、どっちに行くにも段差。まあ、面白いからいいか。


「中庭@Asset Hotel(上海市街西寄り・中国)」

中庭には屋根がかかっていて(ここだけに面する大きめの部屋は、外に面していないということか)、ラウンジスペースになっている。コーヒーと紅茶もサービス。丸山さん長谷川さんと一緒にここを占拠して編集作業。元々Googleドライブで写真の選定分類作業を行っていたので、VPN無しには上手くいかないんだけれど、これがまた不安定。
夕方は、たまたま別件で来ている坂本先生、奥山先生と同済大学の先生方を交えて会食。その前に、バンドくらいは散歩してから行こうかと思っていたんだけれど、結局ギリギリまで作業。


「夜のオリエンタル・パール・タワー@同済大学からホテルへの途中(上海・中国)」

同済大学の迎賓館での中華料理。大学にこういう場があるというのは羨ましい。で、坂本先生の展覧会用図録は同済大学出版局からでるのだとか。出版局も羨ましい。出版局の方に、お土産で「Shanghai Shikume」と「Wang Shu Architecture」の小型本を頂く。先生の中国でのプロジェクトへの勢いに驚きつつ、先生の展覧会もいよいよ楽しみ。
宿に戻って編集の進捗を教えてもらう。


9月21日(月)
「団地のカスタマイズ@Tian Xincun(上海市街西南・中国)」

朝、ホテルにXiao Xiaoさんが来てくれて、上海に残る地域色の深いエリアを回る。最初は、Tian Xincun。先日、ZHANG Binさんにもらった調査書の対象地。70年代から80年代にかけての団地で、多様に増築。北側廊下側ではキッチンをキャンチで出し、南の庭だった部分には屋根がかかり内部化している。屋根をかけるにも、既存開口部にハイサイドライトを取れるよう低め。いろいろと考えられている。廊下でも、食事時になると、準備の人たちの交流の場となるにちがいない。街路の角には廃品回収などの小さな仕事が点在。このくらいの自由裁量範囲があってもいいんじゃないか。


「上海で最初の労働者向け住宅@Caoyang Xincun(上海市街西北・中国)」

Tian Xincunの高層棟などを見てから、1950年代初頭に建てられた公営住宅へuberで移動。写真は建物の北側で、出っ張っている部分に階段と共同のキッチンなど。南側に10平米ちょっとの個室が3室。質素ながらキチンとしていて気持ちよさそう。勝手な増築は多くない。隣棟間隔の緑陰も心地よい。近くにある、マーケット経由じゃないとエレベータに辿り着けなくなった高層住宅とか、元線路上にできた一直線にすごく長い市場などを見て、すごく辛い刺激的な昼食。


「元工場の構造体が中庭のパーゴラに@Lanzhou Rd. Shanty town(上海市街東・中国)」

電車から市街化の様子を眺めつつ、街の東側へ。開発の手がついていない、古いままの居住エリア。周辺は全部開発が済んでいる。開発を期待している住民が多いようで、開発関係者かと期待をもって疑われる。写真の場所は元工場。元々、工場の3方を囲むように宿泊所があったんだけれど、工場は別に移り、宿泊所の中庭へと変貌。この範囲に100人住んでいると言っていたが。。。。


「オフィス→警察官舎→安宿@Longchang Mansion(上海市街東・中国)」

さらに東に。警察署のとなりにある、大きな中庭をもった集合住宅。もともとはオフィスだったとかで、廊下の巾が広い。そのため、廊下側への拡張はキャンチレバー式にはなっていない。手すり壁側に外用キッチンを設け、さらに建物側には小さな増築が点在するため、真っ直ぐなはずの廊下が、カクカクと繋がる路地のよう。2基あったエレベータも内部空間化。


「カニ入りのニンジン製サイン@Din Tai Fung(新天地・上海)」

その後、街中の集落なども回ってから、同済大学のWANG先生、ZHANG先生、東工大後輩の三菱地所樋口さんらと合流して夕食。新天地は10年以上前に来た時の記憶がうっすらとあるけど、まるで違う街。街の清潔さもタクシー運転手の丁寧さも、日本は追い越されてるかも。泊まっているホテルの廊下が螺旋になっているといったら、それを口実にXiao Xiaoさんが宿まで送ってくれる。感謝。

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