曽我部絵日記

曽我部昌史の写真絵日記

建築家仲間のキャンプ

2006-08-18 | インポート

 8月12日(土曜) 

例年、夏になると、建築家の友人たちと蔵王でキャンプをする。今年で6年目だ。

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先に着いていた笑顔の森川綾太さん(FRPの造形アーティスト)。

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ウニ

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地元のバンド「R&K」

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タイ(塩釜)をつかむ阿部仁史。

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お好み焼きの準備を前にした梅林克。

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ぼくのとこのテントのみ。超プライベート。


今年は、日程調整をしたのが遅かったせいか、お盆のまっただ中になってしまった。調整している時はお盆なんてすっかり忘れてて「ああ、そのへんならぼくも空いてる」みたいな気軽なのりで決めたんだけれど、やっぱりお盆だから、道が混んでる。いや、混んでるなんてもんじゃなかった。

ずっと妻有にいたせいもあって、準備もしてないし、夜中出発するガッツもなく、なんとか家を出たのが朝7時。東北自動車道でひたすら北上するわけだが、川口あたりですでに「宇都宮まで渋滞30キロ」の表示。まあ、渋滞することは覚悟の上だし、と自分をなぐさめたのだけれど、でも、これはまだ、ただの始まりだったのだ。

その後、30が50になり、ついには「那須まで渋滞100キロ」の表示が出た。「100キロ」!。随分長く車の運転をしているけれど、渋滞三桁は初体験だ。寝袋用の枕を両肘の下に置き姿勢を楽にして、DVDで映画を観つつ(カーナビがDVD式なので、映画が観れる)、少しずつ進む。那須の先も断続的に渋滞していて、結局、白石ICに到着したのが夕方5時半過ぎ。映画は5本。いやあ、よく観た。現地についたのは夕方6時半近かった。11時間半かぁ。

いつもの通り、初日の夜ご飯は海の幸。おっきな貝をさばいて刺身にしたり、殻ごとのウニを開いて食べたり、タイを塩釜焼きにしたり、もう贅沢三昧。

さらに、京都(!)からの、梅林克ファミリーや河井敏明が到着するのを待って、地元のフォークバンドのコンサート。「R&K」という、結構由緒ありそうなバンド。もうフォークど真ん中で、懐かしい。飲みながら食べながら音楽を聴けるなんて、もうほんとに幸せだ。食材とコンサートなどは、地元で阿部仁史さんが仕切ってるんだけど、毎年さすがだと思う。


その後は、関西におけるお好み焼きのつくり方と地域性との関係や、京都の食材の質が他の地域に比べて高い理由などについて講義を受けながら飲んでいたら、あっという間に夜中。



 8月13日(日曜) 

昼食に、なんと、昨晩の講義を体現できることになった。つまり、京都宇治地域におけるお好み焼きの実践講座。プロの手によるレクチャーだったわけだけれど、忘れないうちに、重要項目を挙げておくと、

(1)具は豚バラ、
(2)豚は練り込まず、ネタに載せる、
(3)鉄板にネタを載せたら「絶対」へらで押したりしない、
(4)火力は強く、
(5)粉は少なくヤマイモでギリギリな程度につなぐ、
(6)天カスはイカ入り、
(7)ドロソースは必須、
(8)専用マヨネーズ(順不同)。

他にもあったかもしれないが、とにかく、野菜主体でふかふかでさわやかなお好み焼き。こういうもののことを言っていたわけだな。いくらでも食べられるし、いつものお好み焼きよりヘルシーな感じだ。


で、おなかも幸せになったところで、いつもの河原に遊びに行くことになった。それぞれの車で向かうのだけれど、ちょっと出遅れた。まあ、場所は知ってるからいいや、と思ったら大間違いで、記憶は全く頼りにならなくて、簡単に道を間違えた。この道の間違いは、割と簡単に解決したんだけれど、この辺が不幸の連鎖のスタートだったんだな。


川についたら、水が異常に冷たい。何とか頑張って、昨晩からムシに刺されまくっている足を入れたら、なんだか変な悪寒がしてきた。かゆみが冷たさで麻痺して、気持ちよくなると思ったんだけれど・・・。風邪か?。

で、しばらくしたら、運の悪いことに雨が降ってきたので温泉に行くことになった。これも
、不幸の連鎖の一環か。河原は石の転がる平地なんだけれど、悪寒のせいか少し判断が雑になっていて、バックしたら後輪側が大きめな石に乗り上げ、後輪駆動のぼくの車は、タイヤが空回り。あああ。みんなが押してくれて、すぐに復旧できたのだけれど、何だかイヤな予感が・・・。


温泉ですっきりするはずがすっきりせず、キャンプ場に戻る車の中で、悪寒が明確になった。熱がある。間違いない。
ちょっと休めば、ごはんの時には復帰できるかと思い、テントで仮眠をすることにした。そうしたら、熱はどんどん上がってきて、結局、この日の晩餐には不参加。三元豚のかたまりとブイヤベースが・・・・。シャンパンのマグナムボトルもあったなあ・・・。



 8月14日(月曜) 


夕方4時半から寝始めて、起きたのが翌日朝9時。16時間半寝てたってことだ。こんなに寝続けたのは何年ぶりだろう。しかもテントで。でも、寝始めた時は「朝になったら病院で点滴かなあ」と覚悟してたのに、すっかり体調回復。
撤収も順調に済んで、渋滞にもそれほどぶつからず、横浜に戻ってきたのでした。


あ、で、後半は上記のようなことなので、すっかり写真が途切れちゃってます。ご了承ください。