曽我部学習塾

太田市宝町にある学習塾☆☆個人レッスン承ります!!小学生から高校生まで

The Return From The Hell Part 3

2008年02月29日 01時38分43秒 | 日記
話はいよいよ佳境に入って参りました自殺に関するコメントも頂きましたが問題は誰がどうやって「うつ」人間を世の中に放り出すかという事です私の場合はうちの奥さんでした毎日のようにチラシの求人広告を持ってきてはこれなんかどう?そっちはどう?としつこく迫るのです
いい加減な生返事をすると『ここに必ず電話しなさいよね!』と脅します次ぎの日なんだかんだと言い訳してると『ここへ行って話しだけでも聞いてきたら?』とまたまたしつこく勧めるのですいい加減いやになってトイレに逃げ込んだり自分の部屋に引きこもってみたりとにかくイヤでイヤで逃げ回っていましたところがそれでもなお奥様は求人広告を突きつけてきました「うつ」地獄にいるのに「地獄で仏」ならぬ「地獄で鬼」とはあの事を言うのでありましょうか(今でも奥様は鬼ですが・・・)
とうとう根負けしてとあるメール配達のバイトをする事になりました配達先を太田市の地図で調べて配って回る順序を考えて通販のカタログや小荷物案内状などを一軒一軒配るのですが一件につき40円かそこいらで、慣れないうちは1時間に20~30程度しか配れず1ヶ月に6000円くらいしか稼げませんでしたさやかの車を借りて配っていましたがガソリン代とトントンでしたお昼にコンビニ弁当(当時のは今ほどおいしくなかった)を運動公園の芝生の上で食べながらなにが悲しくってこんなとこでメシ食ってんだろうと天を仰いで涙がこぼれない様にしていました昼間からジョギングしているノーテンキなおばちゃん達がとっても幸せそうに思えて冴えない自分の「ウツ」状態を寂しく嘆いていたのでありますなんせ「うつ」というのはマイナス思考の際たるものですから
でもそうこうしている内に仕事先のおばちゃんと荷物の受け渡しをしたり稼ぎをもらったり配達先で『ご苦労様』とか『ありがとう』とか言われたり文句を言われたり犬に吠えられたりぬかるみですべったり低い階段に頭をぶつけたり様々な形で世の中と接触していきましたそしてついに運よく次の段階へと突入していったのであります
その話はまた次回という事で See You Next!

The Return From The Hell Part 2

2008年02月26日 00時46分46秒 | 日記
ユナユーガにせかされてPart2に参りましょう
さてめったに見つからないその道とは結論から行きましょう「世の中と接触する事」です
「うつ」が進行すると少しずつ少しずつ人との接触が減ってきて誰とも話をしたくなくなります人と向き合っている事自体が苦痛なのです前にも述べましたが自分の中に引きこもり出来る事なら自分の後ろまで引き下がりたいと思っていますそして考える事といったら死ぬ事だけ一日24時間のうち6時間寝て13時間は死ぬ事を考えていました4時間は仕事をしましたから残り1時間犬の散歩2回で歩きながら側溝の蓋に書いてある番号を読んで数を数えていました約50分そして一番心休まるのが風呂に入ってボーとする事10分その10分が毎日のすべてと言っても過言ではありませんでした
そんな状態でどうやって世の中と接触できるのでしょう?おそらく99.99%不可能でしょうでも残りの0.01%つまり1万回に一回くらいは脱出のチャンスは有るのですそれは無理やりでも誰かが「うつ」人間を世の中に放り出す事なんです
ではその成り行きは次回という事ですがまたすぐPart3を書かなきゃいけないのでしょうか「ウツ」の皆様死ぬのはもう少しあとにして何度も言うけど『お前はもう死んでいる』・・・ケンシロウ
See You Next!

The Return From The Hell Part 1

2008年02月25日 00時05分16秒 | 日記
全国の「うつ」の方その関係者の方はたまた私の隠れファンの方お待ちどう様でしたリクエストに応じて「うつ」地獄からの帰還のお話をすることにしましょう(The Return Of The King・・・The Road Of The Rings・・・の方が良かったか)
先ずはご注意から医者に行って薬などをもらっても、どおしょも無いと言う事医者に「鬱」であるという烙印を押されてしまうとカルテというデスノートに名前を書かれたようなもんでこの絶対に書けない漢字のような体と心になってしまうのでますます「うつ」状態が固定されてしまうのです病は気からの代表が「鬱」なのですからそれに薬で治るくらいならどこにも「うつ」なんて無くなっちゃいます一番いけないのが医者と薬ですかねえ次に「うつ」から逃れようなんて甘い考えは捨てる事「うつ」地獄は決してあなたを放しません一番いいのは「うつ」地獄で死ぬ事ですそう正にのた打ち回って死ぬほか有りません死ぬ勇気もすべもなく死ねなかった私みたいな臆病者がなんかの間違いで地獄から生還する事もごくまれにある程度なのですしかし帰還する道は必ず有りますたとえそれが100年後に見つかるとしてもはたまた私みたいに4年半後かもしれませんその僅かな希望と苦悩の道がどんなものだったか次回お話いたしましょうSee You Next

お墓参りしない訳 Part 0

2008年02月18日 00時57分38秒 | 日記
父、母でお墓参りしない訳を2つ述べましたが実はその前に衝撃の事実が有ったのです
それはまだ私が大学生の時(写真)なぜか私はお寺に下宿しておりましたたまたま朝の通勤通学ラッシュの電車に乗った時目の前の女子高生が私をにらむので『えっ何で?』(それまで女の子には素敵だわぁという目つきでしか見られた事なかったし)と思ってよくよく見ればなんと女子高生の斜め後ろのハゲじじいが痴漢しているではないかとっさにオレは両手でつり革につかまって身の潔白を証明してやったらその子は余計恥ずかしそうな顔をして下を向いてしまったオレが犯人だと思っていたのに違って今度は痴漢されてる事を知られたのがもっと恥ずかしかったんだろうなオレも『やめろよ!』と言う勇気もなくて次の駅で3人とも下車しました今のオレだったらそのハゲじじいの気持がとってもよく分かります女子高生がピッタリそばにくっついたらとってもうれしいし手が動かないという保証は無いそ、そんなにおこんないでほんとのことだから(余計わりぃか)でもその頃はまだ純粋な学生だったしハゲおやじぜってぇ許せねぇと思ってました
それから何ヶ月かして下宿先のお寺で何人か坊さんがきて会議らしきものを開いていたが帰り際にふと見るとなんとあの時のハゲじじいが挨拶して帰るところではないか呆然として後姿が見えなくなるまで私はお寺の門に立ち止まっていました「どおりでハゲてた訳だぁ」と妙に感心しちゃいましたそして「坊主が痴漢坊主が痴漢・・・」と頭の中にしっかりと叩きこみましたそれ以来坊主は信用していません
という訳でお墓参りは行かない事にしてます
でも下宿先の坊さんはとってもいい人で毎月私がバリカンで頭を刈っていたのですが床屋が終わると私に向かって『南無妙法蓮華経・・・』と唱え『曽我部さん、これであなたは一生安泰ですよ』と言ってくれましたが果たしてどんなもんでしょうか
いずれにしても冠婚葬祭はなぜか一悶着有るもんですなぁ
それではまた次回どんな話になるやらお楽しみに See You Next!

うれしい指輪

2008年02月16日 01時55分27秒 | 日記
美都が自慢げに婚約指輪を見せてくれました長い指にそれはそれはとても良く似合っていました(写真参考&親馬鹿)さとちゃん奮発したねぇありがとうございましたおっとオレが言う事じゃなかったかな婚姻届も出したと言うしもう曽我部ではないんだったっけこれできれいサッパリ我が曽我部家は消滅したって訳だぁチョット寂しい気もするけどオレが生きてる間は未だ有るしその後はもうオレの知るところでは無いからいいかあ奥さんはもともと曽我部は好きじゃなかったしどーでもいいってとこかな
3月の結婚式にはもう泣く準備は万端整ってますよ泣けなかったらマジ怒るからね
出来ればオヤジに一曲歌わせてもらいたいんだけど変かな曲名は有名な歌手のだけどナイショです(カラオケとか有るんかな?)涙で歌えねえかも
最後の一人なんで楽しみでもあり悲しみでもあります嫁にやりたくない世のオヤジの気持ちがよ~く分かりますほんとはさとちゃんを一発ぶっとばしてやりたいくらいなんだけど(ごめんなさい今どき嫁にやるってのが古いんでしょう二人は結婚するってのが筋道だとは分かってるはずなんだけど・・・ど~もね
嬉しいんだけど結局ウダウダ言ってみたい訳よゴメンなさいね
という事でSee You Next!

ラーメン「火山」

2008年02月15日 23時32分08秒 | 日記
2月10日(日)久々に佐野の弟が家族と一緒に太田にやってきて皆でお昼をラーメン屋「火山」で食べる事になりました
私と娘3人ケンちゃんと孫4人弟夫婦と姪の(写真)えりちゃんとたかおさん夫婦と子供2人総勢15人でにぎやかにラーメンを食べました「石焼きラーメン」は最後まで冷めないアツアツのおいしい一品です皆さんも是非ご賞味あれ
帰ってきてから子供たちはにぎやかに遊び回っていました弟の散髪をしたりいろんな話をしたりすぐに楽しい時は過ぎましたたかおさんには訳あって世界史Bの問題をやってもらいました自分では2時間くらいかかってしまうところ数分で片付けてしまうところはやはり専門助かりましたブログでお礼も変ですがありがとうございました
夕方今度はほぼ同メンバーで私と雄河の誕生祝いをしました奥さんと永子おばあちゃん、義妹の真由美、マチャが加わりフルメンバー13人で夕食を食べ誕生祝のケーキではローソクを吹き消すのに私がオレがと5回くらいやってましたそんな事でもめてるのも今のうちかぁ
とにかくにぎやかなそして幸せな一日でありました

母 Part最終章

2008年02月01日 01時38分49秒 | 日記
その地獄とは母の死の一ヶ月前頃ゴルフをしていた時急に体がだるくなり立っているのがやっとという状態になってしまい本島病院へ行き色々な検査をしましたがどこも異状無しでした精神的なものという判断で神経科の病院に行きましたそこで「うつ病」と判定され何やら怪しげな薬と睡眠薬を渡されました服用すると一日中ぼんやりしていて夜は睡眠薬でないと眠れない始末これではいけないと半年もしない内に病院へ行くのは止めましたが一向に体調は優れず好きだったゴルフも止め外に出るのは犬の散歩だけという引きこもり状態になっていました
毎日、日を重ねるごとに落ち込んでいくのが自覚でき36.9度から37度の微熱が続きしまいには朝起きるとどうやって死のうかと考える始末そのうち起きている間中どうやっていつ死ぬかだけ考える日々がなんと4年半も続いたのでありましたその間一度も笑った事も無く楽しいとかおもしろいとか感じる事もないのに辛く感じたり意味も無く泣けたりはするのです真に地獄の日々でした肉体は生きたまま心はすでに死んでいたのです生ける屍とは正にあの事をさすのでしょう『お前はもう、死んでいる!』You are ahock ・・・ケンシロウ
後から考えるとこれが私の頼みどおり先に逝った母の私への最後の贈り物だったのでしょう(いっらねぇ)そういう訳で母の墓参りには行けたもんじゃありません(墓参りしない理由Part2)お墓でまた悲しくなって次の贈り物をもらいそうだからね
やおら奇跡的に立ち直った今でもまたあの日々がやってくるんじゃないかと戦々恐々としてその反動で思いっきりバカな事を言ったり好き放題ゴルフに金かけたりしている今日この頃でありますまたあんな風になったら今度こそ死ねるかもね(お母ちゃん呼ばないで)そーだゼクシオ5のドライバーを買わなくっちゃあ(2月14日の誕生日プレゼントとかいって・・・こないよな)
ですからオレは『さっさと逝けっっっ』なんて言わせたくないのでさっさと死のうと思ってるんだけどもしボケたらどーしようと悩んでおります運よく早く死ねたら『おめでとう』と言ってください葬式もお墓もいりませんこってり焼いて灰だけにしてどこでもいいからまいてすっかり「無」に帰してちょうだい
これでもう言いたい事は言ったしあとは美都の結婚式で思いっきり泣くだけだいその前にまたどうしてその生き地獄から抜け出したか知りたい方はお尋ねください
長い間お付き合いありがとうございまいした次回からはもっと楽しい話にしようと思っていますので是非ご愛読の程を See You!