地下鉄に飛び乗る。ふと車内吊りに目が行く。黒木瞳の顔がどーんとフィーチャされた日立の
DVDカメラの広告だ。
「黒木瞳はこのDVDカメラを使っているのだろう」
「黒木瞳が、このDVDカメラがいいよ、と言っている」
「黒木瞳のような女性を映像に収めることができそうな気がする」
「黒木瞳が俺を見つめている。俺のことが好きに違いない」
「黒木瞳が自分のカミさんだったような気がしてきた」
と、3秒くらいの間に劇的なスピードで妄想が膨らんでいく。
この広告には上記のようなメッセージは何一つ含まれていないにもかかわらず、人間は常に「対象物の間にはなんらかの関係性があるはずだ」と考えるクセがあるため、勝手に黒木瞳と日立のDVDカメラとの関係、さらにご丁寧なことにそれを観察する自分との関係(そのカメラを使った楽しい家庭生活、といったもの)までイメージしてしまう。実に幸せなことである。
しかしこの妄想は、エネルギー源として極めて重要な役割を果たす。当たるわけがないとわかっている宝くじでも、とりあえず一枚でも買っておけば、当たる確率がゼロではないという妄想がエネルギーになる(のだろう)。
病に倒れて死期が迫っても、楽しみにしているイベントなどがある場合、人間には、なんとかそのイベントまでは持ちこたえようとする能力があることが統計的に知られている(誕生日までの生存率と、誕生日後の死亡率などが顕著)。
妄想から発熱されるエネルギーを提供してくれる広告産業は素晴らしいのだ。