手打ち蕎麦をする私の徒然日記

2003年1月に手打ち蕎麦に初挑戦。手打ち蕎麦の事ばかりでなく、日常インパクトのあった事柄を思ったまま綴ったブログです。

青空のもと、運動会。生きて在ることの素晴らしさ!!

2009-09-20 09:32:09 | 人生
朝、目が覚めたら、カーテンの隙間から、日光がさんさんと降り注ぎ、外を見たら、抜けるような青空だった。まさに、天高く馬肥ゆる秋だな、とも思った。
今日は、秋の彼岸の入りの日。それと、今日は、埼玉に住む孫たちの運動会の日だ。
こんな素晴らしい日和を満喫できる、って、やはり、この世の中に生きて在るって素晴らしいことなんだ!、ってつくづく思った。そして、私の場合、身体のどこも痛くも痒くもないし、健康である、っていうことも、実にありがたい。
先ほど、埼玉の息子から電話があって、既に息子のお嫁さんの両親は、孫たちの運動会を見に行っている、とのこと。まもなく、私たち夫婦も、車で運動会を見に行くことにしている。
今日は、夕方、千葉からは孫娘たちもやってくる、とのこと。
今日は、今からいろいろ、たくさん、楽しく過ごせそうだ。
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幼児の泣き叫ぶ声・・スワッー、親の幼児虐待?!

2009-09-18 18:15:15 | 家族
昨日の午前10時を少し過ぎた頃、私の家の前、通りを隔てた向こう側の家から、火のついたように激しく泣き叫ぶ子供の声が聞こえてきた。ほんの数年前に建てられたその家は、2階建てで、若い夫婦が住んでいて、2歳くらいの子供が一人いることは、知っていた。その家は、外壁がすべて、黄色に塗られていて、所有している自動車もまた、黄色で、余程黄色がお好きらしい。私は、いままでに、ご主人は見かけたことはないが、若い母親が、子供を自動車に乗せて出かけるような場面に、月に1、2度くらいの割合で遭遇するくらいで、話を交わしたことはない。細身でスラッとした、その若奥さんの家は、いままで、いつも物音ひとつせず、静かなたたずまいを見せていたが、昨日だけは、全く別だった!
昨日は、30分以上も、その家から、幼児の泣き叫ぶ声が断続的に聞こえてきた。その泣き声は尋常ではなかった。いまにも子供が気が狂ってしまうほどの激しい泣き叫びだったのだ。私にとって、このような子供の泣き叫ぶ声を聞くのは、身を引きちぎられるほどの辛さを感じる。そんな中、その黄色の家を眺めていたら、いままで入り口のドアが開いていたらしく、私が目をやったちょうど、その時に、ドアが閉められた。時間的に、おそらく、若奥さんが、子供の泣き声が外に聞こえないように閉めた、と思われるが、それでも、幼児の激しい、大きな泣き声は、家の外に漏れて十分に辺りにコダマした。
2歳くらいの子供をどうして、30分以上も折檻する必要があるのだろうか?実に不思議に思う。物静かそうに見える、あの若奥さんが、幼児を叱っていたのかどうかは分からないが、昨日の件は、明らかに幼児虐待の部類に入る、と思える。
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弟の仕事にお供して東北・秋田にドライブの旅

2009-09-14 17:10:11 | 旅行/散歩/ハイキング
先週末の金曜から日曜にかけて、3男の弟に誘われて、彼が運転する2トン・トラックに同乗して秋田県は横手市や鹿角市などに行ってきた。彼が約40年に亘って経営する会社が、秋田の顧客先に資機材を搬入する、という作業にお付き合いしたのだ。本来、彼一人でこなせる作業なのだが、彼から「ドライブを兼ねて行ってみよう」と強く誘われたのだ。そこで、私は「私が行くことで、運転する弟の眠気防止の役目をはたせるかな」と、考えて、行くことにしたのだ。
こうして、私たちは金曜の正午ごろ、埼玉を出発し、東北自動車道を北上した。さて、秋田県の宿泊先に落ち着いて、彼が西川口に住む2男の弟に電話を入れた時、私も2男と電話で話をした。その話で分かったことは、3男に対して、秋田に行こう、と強く私を誘うように仕向けたのは、2男の弟だった、ということだった。2男は、母と同居して住む私のストレスを少しでも解消させるのには、旅行も良いのでは、と考えたのだそうだ。
3男との秋田へのドライブで、私はトラックの荷台に積んだ荷物を降ろすだけのお手伝いしかしなかったものの、お陰で、秋田県の湯瀬温泉郷の豪華ホテルに宿泊して、源泉賭け流しの露天風呂に入るなど、楽しんできた。


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若夫婦から赤ちゃんの写真が載ったハガキが届いた

2009-09-07 23:37:20 | 家族
夜、家に戻ったところ、家内から、数ヶ月前の沖縄旅行の際に知り合いになった若夫婦からハガキが届いた、ことを知らされた。赤ちゃん誕生で、家内が先日、若夫婦宛てに贈ったお祝い品に対しての、お礼の文章がしたためられた、そのハガキを早速見てみたら、若夫婦に抱かれた可愛い赤ちゃんが写っていた。お父さんにもお母さんにも似ていて、すごく可愛いい。お父さんはラグビーが趣味だ、と言っていたので、なんかしら、赤ちゃんの顔も逞しく見えた。若夫婦にとっては、初めての赤ちゃんでもあり、感動もひとしおだろう、と思う。このような、赤ちゃん誕生のおめでたい話題とか、子供の話題っていうのは、私にとっては、若さとか元気をもらう一番の原動力になる。
赤ちゃんの写真を見て、私は、ここのところ一週間以上も逢っていない孫たちが急に恋しくなって、早速、千葉の孫娘のところに電話を入れた。時間は夜8時半を回っていたので、家内からは「もう寝てるかも知れないので、電話しないほうがいいのでは」と言われたのだが、敢えて電話してみた。すると、幼稚園年中さんの孫娘が電話に出たので、私は「いま、何をやっているの?」と質問してみた。すると、彼女は「くもん(公文)の問題をやってるの」という返事。そして続けて彼女が言うには、「明日からは引き算の問題をやるんだよ」と言っていた。--こんな会話の短いやりとりをした後、勉強にお邪魔かな、と思って、ほどなく電話を切った。




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旧い知人の葬儀に出席した後、丸の内ブリックスクエアを散策

2009-09-05 19:13:56 | 想い出
一昨日、我が家に、三十数年前に知り合って以来、今まで会う機会が無かったN山さんの奥さんから電話があった。私たち夫婦は、結婚して最初に移り住んだ所が、JR南武線の鹿島田駅の目と鼻の先にある木造アパートだったが、そこで、そのアパートの同じ屋根の下に住んでいたN山さん一家と知り合ったのだ。当時、N山さん一家には、私たちの娘と同じ2歳くらいの男の子がいて、両家は、お互いに散歩したりなど、親しくおつき合いしていたものだった。私たち家族は、アパートで、2、3年くらい住んだあと、引っ越していったが、その後も現在まで、ずっと年賀状のやり取りは続いている。
で、一昨日、N山さんの奥さんから電話があったのは、ご主人が急逝されたことを知らせてくれたことだった。今年3月ごろ、ご主人に腎臓ガンがあることがわかり、それから、アッという間に、8月30日に亡くなった、という。59歳だったそうだ。奥さんによると、亡くなって、往時を振り返っていたとき、妙に思い出されたのが、三十数年前に私たち夫婦とお付き合いして懐かしい風景がよみがえってきたそうで、そこで、電話をされたのだそうだ。
奥さんに伺ったら、今日が告別式ということなので、私たち夫婦は、早速、神奈川県にある寺院で行われた、その式典に参列してきた。式場に着くと、すぐに喪主でもある、奥さんに声をかけられた。予想していたよりも痩せていた彼女は、気丈に振舞ったいることがうかがえた。それから、すぐに、昔、私たちの娘と一緒に遊んだ彼女の一人息子の圭介くんに紹介された。彼をひと目みて、昔の坊ちゃん当時の面影がはっきり残っいるので、すぐ圭介くんであることを理解できた。
しめやかに行われた告別式では、いつもながら、私は、人生って長いようで短いものだなあ、としみじみ思ったものだった。
告別式からの帰途、私は、辛い悲しい別れの現実を忘れる意味もあって、黒のネクタイを外して、家内と共に、つい数日前にオープンしたばかりの「丸の内ブリックスクエア」を散策した。驚いたことに、この場所は、以前に私が勤務していた会社が入居していた古河総合ビルとか、その他、三菱商事があったビル、それにかつて学生運動が盛んな頃、企業爆破事件として有名な三菱重工ビルを解体して全面的に建て替えられ、新築・建設された場所であることがわかった。今までの丸の内界隈には見られない、独特のデザインであり、ちょっと異国風とも受け取れる雰囲気を持つ、このスクエアは大勢の人々でごった返していて、今後は丸の内の名所の一つになると思われた。



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