without a trace

ヤマザキ、フリーターを撃て!

そして流刑地へ~出獄日

2010-08-20 00:42:37 | Weblog
 今日は帰る日。台風が来てるとの事で心配だが日本海側だとのことでなんとか大丈夫そう。なんか意味なく空港でボケーっとしてる島民の熟女と話したけど家賃は月に3、4万だとのこと。楽しいからいつでも来なさいと。泊めてくださいって思ったが何も言えず。ほとんどの人はフレンドリーだし飯はうまいし景色もよく本当にいい島。八丈島から御蔵島までヘリコプターで移動することにする。生まれて初めてヘリに乗ることに。御蔵島まで1万2千円くらい。ヘリのプロペラの動きには本気でビビったね。そんなに動いたらもげるんじゃないかっていうくらい。ヘリにはパイロットと整備士の人が乗り込む。ヘリに乗ってわかったのはカツラの人は乗れないね。整備士の人はヘリのプロペラが全開になるまでヘリの前に立ってるんだけどそれがかっこいい。ほとんど揺れはなく昇降でも違和感はほとんどない。旋回の時がとにかくかっこよくてやっぱこうなるんだっていう。御蔵島まではフェリーで3時間だがヘリだと20分ちょっとという素晴らしさ。御蔵島には飛行場がないがヘリポートはある。それで到着したら何人もいて彼らは三宅島へ行く。乗り場の人々はみんな手を振っている。みんな友達っすかというこの島のノリ。それで着いたはいいけどこの島はなんと宿泊先が決まってないと入島禁止という場所。駐在所の警察の人と話する。この後の船で帰りますと説明する。話を聞くとなんと野宿もキャンプも禁止、本当はここで一泊したかったが宿が満杯だった。私有地を荒らすとかでガイドなしであまり先へも行けないし、タクシーもバスもない。道はほぼすべて坂道のみ。日用品の店も食料品の店もなさそう。一番大きい建物が学校。えらい島にきたもんだ。それなのに観光客は結構いる。なぜなら島にイルカが住み着いててイルカウォッチングができるのだ。だから特に若い女の子が多い。これは一泊したかったぜという素敵アイランド。食い物も自動販売機もない船の待合所でひたすら待つ。パンフレットがあったので読んでみたら島のいいところを島民が答えていた「全員知り合い」。えらい島にきたもんだ。外部の人が何かで赴任してきてなじめなかったらイルカと友達になるしかない。床屋も本屋もなくてどう過ごしてるんだろうか。他の島民がいて地元の人と話を聞いてるとフレンドリーで独特なノリがある。東京最強の秘境である青ヶ島に関しては八丈島の人が言うには道がえらく狭いしとにかく怖いとか。船で行くにも行ける確率は50%。ヘリのほうがおそらく行ける確率は高そうだけど乗れるのは8人。


 フェリーは島の手前で半回転。どうやって港にくっつけるか観察してたが船員がグルングルン回してロープを投げて港の人がそれを釣竿みたいな某で拾う。そしてそれをひっかけると。今回の船は13時から21時なので寝る必要はなく座席にする。ほとんどを甲板で海を見てすごす。三宅島では白人の女性二人が降りていく。八丈島から三宅島とはマニアックな旅行してるなと感心。三宅島は噴火があってガスマスクを常時携帯という結構すごい島。都知事がマン島みたいなバイクレースを企画しようとした島だ。かなり人気なのか人も多く乗ってくる。三宅島をすぎると船はほとんど揺れない。行きと同じように酒を飲みながら甲板にいるとえらくでかい島だなと思ってたら房総半島。感覚が島になっていたので大陸のように見えてくるから不思議。千葉と神奈川が両方見えるが見比べると明らかに神奈川のほうが都会。だから泳ぐなら千葉はいいんだろうなって思う。そして夜の東京湾を眺めながら戻ってくる。ダイビングとかじゃなくて普通に泳ぎたいなら八丈島はあまりおすすめできない。山あり、釣りあり、温泉ありなんでそこらへんが楽しめる人にはいいと思う。夏のシーズンを過ぎるとほとんど観光客はいないそう。

そして流刑地へ~刑期二日目

2010-08-16 03:50:28 | Weblog

 八丈島二日目。宇喜多秀家の碑を見に行こうとなる。宇喜多は豊臣五大老で岡山のおよそ60万石の城主という大物。だが関が原で西軍となったために島流しとなった。そこで50年近くも過ごして死んだという。この島では宇喜多が流人の第一号。宇喜多の碑には奥さんの豪姫もある。豪姫とは別れてここで死んだのかと彼の思いはどうだったんだろうとそれが一日ずっと頭から離れず。豪姫は前田利家の娘でキリシタン。碑は海沿いで八丈小島に近い方角を見つめている。おもしろいのは碑のそばの建物は廃墟となった塾。宇喜多の隣は塾でその前には八丈小島かと。八丈小島というと映画「処刑の島」で島そのものが戦時中に少年院となってて三國連太郎が折檻してまわっていた。どこにも逃げられずに少年たちはひたすら耐える。現実には日本で唯一の直接民主制が行われていた島。保元の乱で敗れた源為朝が自害した地でもあるとか。今では無人島で誰も住んでいない。海岸はすべて溶岩の岩石で独特な光景。とりあえず溶岩石を投げてバカ野郎といいながら割る。こういうところの塾に通っていた子供たちはどう思って育つのだろうと興味津々。これを見れただけでも来てよかったなと。

 それから山を登って牧場へ。八丈牛乳を飲んだりアイスを食べて過ごす。ここは牛が有名で闘牛をやってたがやめてしまったという。昨日水着が破れてたおばちゃんがいたが何も気づかないフリをする。水着の穴の中の人が牛を見てるのはなんだか印象的。明日葉というのが名物らしく明日葉蕎麦を食べるがうまい。蕎麦屋のバイトの女子高生がえらくかわいくてようやく気づく。島に若い人間がほとんどいない。いるのは中年以上と高校生以下ばかりだ。島民と話したがみんな仕事がなくて都会へ出るとかで全国の地方と同じ状況だ。よく観察してるとこの島の若い子は美人が多い。歴史民族資料館へ行く。クーラーもないボロ資料館で一番の見所は流刑紙芝居。この島の流刑の歴史を紙芝居で教えてくれる。1800人以上の人間が流刑となって暮らしてきた。まず三宅島に送られるがここでは流刑者同士のいじめがある、それから八丈島に来るがここはいじめがなくて快適だったとか。この伊豆諸島の微妙な敵対関係が笑える。流刑者と島民は実際に馴染んでたとか。だが青ヶ島が噴火で島民が八丈島に逃げてきたときに奴隷のようにされたというので現実は厳しかったんだろう。他にも幕府が薩摩藩の勢力を弱めるために豪商を島流しにした。島民はどぶろくも飲めなかったのでさつまいもを使って焼酎を開発したと。だから八丈島や青ヶ島では焼酎が今でも作られてる。他にも流刑遊女が男と脱走するも結局江戸でつかまった話、暴動が起きてると言って島民から銃を奪って自分たちが暴動を起こすも島民たちに逆襲される、流人がストレス発散のために太鼓を叩いて八条太鼓となった話、拷問の数々、宇喜多秀家が完全に一般人となってた話、中国人と筆談で会話したらこんな田舎にも漢字読めるのがいるぞと感心されて物をもらった話とか。写真を撮りたかったが撮影禁止なので諦める。資料館なのに観光客が若い男一人しかいなかった。紙芝居っていうのが八丈島クオリティなのだ。

 それから宇喜多秀家の小さい墓を参ってから乙千代ヶ浜という海岸へ行く。この辺りは別荘のようなのが多い。泳げるのはほんのちょっとでなんと海岸なのにプールがある。いかに泳げる場所が少ないかを如実に語っている。原付を返して戻る。この島では商店街というものがない。どこが中心なのかよくわからない面がある。コンビニはないがスーパーがあって雑誌も発売日当日に出ている。バイクでまわってるとかなり広いのでものすごい田舎にも人が暮らしててどうやって生計を立ててるのだろう。民宿ではかなり人が増えて一人旅の女性がいた。小笠原から来たという。小笠原からは船がないのでなんと東京まで行って飛行機で来ると。小笠原から東京まで28時間かかるとかでそれから飛行機で再び伊豆諸島へ行くと片道1300キロの東京都内の旅。さすがにおそれいりました。

宇喜多秀家と豪姫の碑 
http://imepita.jp/20100816/127910

八丈小島 映画「処刑の島」で少年院となってた島
http://imepita.jp/20100816/129210


そして流刑地へ~初日

2010-08-14 02:58:49 | Weblog
 八丈島行ってきました。宿が取れなかったので一日早く帰ってきた。といっても一人で行ったんじゃない。一人だったらまずお盆には行かないかな。男も女も若くて一人旅の人も結構見かけたが気持ちは結構わかる。伊豆諸島の火山地帯は一人旅が似合ったりもする。シカゴからきたとかいう白人も一人で旅していた。こういう所に一人旅にあこがれるが民宿での微妙な馴れ合いを考えると萎える。おれ以外の全員が学生で盛り上がってたらどうしようとか。あの独特な雰囲気は例えるなら動物病院の客同士の馴れ合いですよ。お利口なワンちゃんですねみたいな。かといってホテルじゃつまらんていうか民宿なら何か出会いがあって素敵なサムシングがあるかもしれないじゃないかとか。つげ義春みたいに鄙びた旅館をあちこち回ってみたいてのはある。つげさんでさえ仲居とサムシングがあったんだぞっていう。

 きっかけは突然と友人が三国志の場所に行きたいと言い始めた。それで中国旅行に行こうとなったんだけど中国のどこに行くかで揉める。どうせなら砂漠に行きたいとか石窟やら関林廟やら。じゃあ韓国にしようと。フェリーで釜山まで行って射撃場で銃体験してカジノで遊んで犬なべ食って北朝鮮の国境に行く旅にしようと。それがなんとおれのパスポート取得が間に合わないという理由でおじゃんになってしまった。それで国内旅行となったので沖縄か北海道かで調べるがお盆なのでとにかく高い。JTBに聞きに行ったら沖縄だと飛行機が往復8万以上。インドまで往復12万だった記憶があるので固まる。北海道もどうせ同じようなもんだろうと。西の方は暑いからできれば行きたくない。というわけで伊豆諸島となる。友人は新島に行ったことがあって楽しかったので行きたいと。じゃあどうせならともうちょっと遠い八丈島へ行くことに。上原善広「日本の路地を旅する」で佐渡の路地の話が印象的だった。今でも年をとった人は路地の人を奴隷のように思っていて流刑の地ということで独特な文化が残ってるのじゃないかと上原さんも驚いてるようだった。それで流刑というか島というものに興味があった。それでやはり流刑の地である八丈島へ行ってみたかったと。ロケ地となった映画「バトル・ロワイアル」、「処刑の島」も印象的だった。
 

 八丈島というのは東京から南に約300キロ離れてる島。人口は8000人でかなり多い。行くには飛行機か船。やはり行くなら船だろうと浜松町から乗り込む。浜松町を出てしばらく歩くとビルに大きく広告がある「東京都青ヶ島村無番地」。日本で唯一住所がない地域が存在するのだと心が躍る。本当は青ヶ島にも行きたくて民宿に電話したがどこも埋まっていて諦めた。なかなか大きいフェリーで安心。小笠原に行ったことがあるんだけど電車なんてレベルじゃねえぞっていう揺れだったので心配していた。しかも隣に寝てた人が寝ゲロをするわ、降りても一日ずっとフラフラするなどえらい目にあった。今回は小笠原の半分以下の11時間の旅。旅に出るまでにインターネットで調べたのはほとんどいかにして船酔いを抑えるか。どうやら船酔い前に酒に酔ってれば楽だとか。そういえば船長は強い酒を飲みながら日誌を書いてる印象がある。22時に出航し東京湾を眺めながら甲板で友人とビールを飲む。あまり揺れないので調子に乗って4本ほど飲んでしまう。どうやら席がなくても乗れるので島民みたいな人は堂々と甲板で一升瓶を飲みながら眠っている。トイレの前なんかでも平気で横になって寝ている。2等は1万円ちょっとで座席と和室があるんだ。座席は長距離バスみたいな感じで和室はある程度区切られてて雑魚寝にはならない。それに席なしは船のいたるところで寝るみたいな状況。朝までずっと共同の椅子みたいなのに座ってる青年もいた。200円でコインシャワーがあるのでこれは使わなくてはと早速特攻。シャンプーだけ付いてて揺れながらシャワーというのもなかなか乙なもの。あまり揺れないので2時に寝る。5時になると三宅島に到着したらしく電気も放送も全開でうるさすぎて目が覚める。その1時間後にはまた御蔵島なのでもはや寝るどころではない。仕方ないのでずっと甲板で海と島を見続ける。フェリーに乗るのもいいもんだなって思う。御蔵島を過ぎると外洋に出るのか揺れ始めるがそれほどでもなく9時に到着。
 

 民宿のおっさんが迎えに来ていて車で送ってもらう。えらく広い島だとわかる。驚くのはこのおっさんは制限40キロの道路をその2倍以上のスピードで進む。ちょっとやばい系の島ですかと少し心配する。だがどうやらこの人は東京からの移住者。リタイアして沖縄に住んでたが仕事もないし馴染めなくて八丈島へ流れ着いたとか。宿泊者はおれたち以外誰もいない。これはラッキーと思いきやこのおっさんが適当すぎて笑える。基本的に適当というのがこの島の特徴。レンタカーは遅すぎてどこも借りられない。なんとか原付をゲット。初めて島民と話したが独特の訛りがある。関東とは思えないような訛りがあって西日本でたまに東日本に近い訛りの地域があるけどそれに近いと思った。この島はいろんな地域の流人が入ってきて文化も混じってるんだ。そういう意味ではここも東京なのだなと。

 原付借りたんだけど半ヘル。DQNぽい高校生がよくかぶってるタイプ。それでブイブイ走る。どうやら島民の交通マナーはかなり良くておっさんがおかしいだけ。外部の人間がよく事故を起こすとか。なにしろ信号が一部の中心地以外にほとんどない。それなのに島の周囲は50キロ以上もある。海水浴場で泳いでみる。海で泳ぐなんて久しぶりだから緊張したしあんま泳げない。仕方ないので浮き輪を借りて浮かぶ。この島は広いのに砂浜があるのが一箇所しかない。見事なまでに岸壁で火山地帯。登龍峠というのにバイクで登るが追い越しは一台もなし。完全に爽快なツーリングですよ。30分くらいかかって無料の温泉へ。漁港にあって地元の人ばかり。もう一箇所も行くがこっちは混浴なので水着着用。温泉からは滝が見える。入ってきたおばちゃんの水着の尻が破れててそれしか頭に残らず。すごく嬉しそうな顔と水着の穴がシンクロする。こうして初日は終わる。