古稀の青春・喜寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

「根来寺]

2016-10-13 | 旅行
11日は恒例の4人組の旅行。10時JR西岐阜駅に集合することにしました。
9時35分に着きましたが、次の列車でSさん、Jさんも見えてHさんの車に乗り込みました。今回の目的地は和歌山。今日は最初に根来寺、その後和歌山城を訪ねることにしました。
「一度和歌山に行ってみない」とHさんに電話したら「根来寺(ねごろじ)に行きたい」という。
http://www.negoroji.org/
司馬遼太郎街道をゆく32巻で「紀ノ川流域」を読んだらもっぱら「根来寺」と「和歌山城」だった。そこで、今日は根来寺、和歌山城になった。
 岐阜羽島から名神に乗り、1時間あまり草津のパーキングエリヤで休憩し、その後瀬田東から京滋バイパスにはいる。久御山JCTで第二京阪、近畿道。枚方、東大阪を通ってなんかした。この辺りは高速道が錯そうしてどの道を行くのが良いのかさっぱりわからないのでドライバーのHさんに任せる。12時半」岸和田のサービスエリヤで昼食をとることにする。鉄火丼を食べたが、この辺にくると海に近くなる所為かお刺身がおいしい。
 和歌山の手前の泉南ICで高速を降りる。一路、根来寺へ。
根来寺は高野山中興の祖と言われる覚鎫(かくばん)上人は、空海の教えに新解釈をして新義真言宗を説いた。これが高野山の主流派に嫌われ、高野を追われ紀州に根来寺を開いた。覚鑁は康治2年(1142)亡くなった。頼朝の生まれる4年前です。死後根来寺は隆盛になった。僧兵を養い、その武力を謳われたのは戦国時代です。
 秀吉対家康の小牧長久手の合戦の際は家康に味方し秀吉包囲網の結成に努めた。このため秀吉に疎まれ、一時つぶされかかったが、家康の時代になって家康の助力で勢力を持ち直し、70万石余の大名並の威勢をほこったそうだ。

 2時頃根来寺に着く。伊受付の女性に「ここの見どころは?」と聞くと、階段を上がったところに国宝の「大塔」、隣に県文化財指定の大伝法堂があります」
大塔は高野山伝法院にあった大塔を継承して天文16年再建され、「天正の兵禍」を免れた

 大伝法堂は根来寺本尊の三尊像を安置、根来寺を総本山とする新義真言宗の中心的行事の行われる建物という。

1時間度ほ見学し、車に戻り、今度は和歌山城に向かう。4時に着いた。(続く)
ジャンル:
ウェブログ
この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 医療費問題を考えさせられた | トップ | 和歌山城と美術館 »
最近の画像もっと見る

あわせて読む