古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

人口と日本経済

2016-12-20 | 旅行
『人口と日本経済』(吉川洋著、2016年8月中公新書)を丸善で手に入れました。市立図書館で借りようと思って申込んだのですが、貸し出し中で、「予約者22であなたは20番目です」と言われた。あきらめて買うことにしたのです。
 バブル崩壊後の日本経済の低成長について「人口減少がその主原因」とする論があります。はたしてそうか。
経済成長を決めるのは人口ではない。まず筆者は説く。明治のはじめから今日まで150年間、経済成長と人口はほとんど関係がない、といっていいほどに両者は隔離している。経済成長率と人口伸び率の差、これが「労働生産性」の成長に他ならない。
一国経済で労働生産性の上昇をもたらす最大の要因は、新しい設備や機械を投入する「資本蓄積」と、広い意味での「技術進歩」、すなわち「イノベーシヨン」であると、筆者は日本の高度成長を振り返る。もちろん経済の供給サイドだけでなく、需給サイドの動向も考えないといけないが、
「一昨年、人口・世帯数発表になって驚いたことは、人口が減った県が25県もあったが世帯数の減った県は一つもない。」(19671月年『統計』)
高度成長期、輸出から輸入を引いた「純輸出の経済成長への貢献はほぼゼロであった、日本経済は昔から輸出に引っ張ってもらい成長してきた、と思っている人が多いが決してそうでない。年平均10%の高度成長は旺盛な国内需要により生み出されたのだ。第3次産業革命あるいは第4次産業革命の帰趨は分からないが、はっきりしていることは先進国の高度成長は、人の数ではなくイノベーシヨンによってひきおこされることだ。

次に筆者は出生数の低下と平均寿命の伸びに着目する。
 現代日本では経済的困難により結婚できない人が増えてきたというマルサスの時代に戻ったかのような厳しい現実がある。しかし先進国の歴史では、全体的に平均所得は上昇してきた。ところがその先進国で平均所得が上昇したにも関わらず出生率が低下するという「新しい現実」が生まれた。
 出生率の低下と呼応して平均寿命が伸びた20世紀。先進国では人間の寿命が大きく伸びた。日本は今日世界一、二を争う長寿国である。しかしこれを当たり前と思ってはいけない。日本人の平均寿命の伸びは、戦後の日本の成し遂げた成果、「最大」といってよい成果である。高度成長が始まる直前の1950年我国は先進国の中では寿命が最も短い国だった。
日本では厚生労働省が3年ごとに「国民生活基礎調査」を用いてジニ係数を計算し公表している。筆者は、所得の平等程度を見るジニ係数を寿命に適用した考察を紹介している。
「寿命のジニ係数」についてベルツマンという学者が調べている。
 ソ連/ロシヤの平均寿命とジニ係数の推移は興味深い。1917年の革命後1950年代後半までは、ソ連の平均寿命は順調に伸びた。ジニ係数も順調に低下した。しかし1950年代末から顕著な停滞が始まる。平均寿命は全く延びず、むしろ短くなる。と同時に、ジニ係数は増加した!1991年にソ連は崩壊したが、こうした平均寿命、ジニ係数の推移をみると、1950年代からの社会主義体制がいかに大きな問題を抱え、行き詰った社会であったかうかがい知ることが出来る。ソ連はまさに自壊したのである。
 この100年、先進国では豊かさの中で人口が減り始め、一方寿命は著しく伸び始めた。日本は先進国の中で例外的に20世紀前半、すなわち戦前はまったく寿命が延びなかった。
 戦前の日本も一部の人が言うほど「悪い」社会ではなかった、そういう人がいる。なるほど一つの社会がすべての意味で悪かった、というようなことは希であろう。しかし人間社会の総決算といえる平均寿命、そして寿命のジニ係数の推移をみる時、戦前の日本は大問題ありの社会であったと言わなければならない。
 戦後は一転して寿命が急速に伸び、日本は世界の最長寿国になった。これは、」戦後日本の最大の成果なのである。
最終章で「人間にとっての経済成長」を論ずる。
 既存のモノやサービスに対する需要が飽和に達するなら、経済全体の成長もやがてゼロ成長に向け収束せざるを得ない。
「需要の飽和」。ここにおいて、通常「水と油」と考えられているケインズとシュンペーターの経済学は急接近する。需要の不足によって生まれる不況を、ケインズは政府の公共投資と低金利で克服せよと説いた。シュンペーターは、需要の飽和による低成長を乗り切るカギはイノベーシヨン以外にないと主張した。
 別の角度から見よう。
 「もはや先進国において経済成長は不必要であるか否かは、究極的には、80歳を超えるまでになった平均寿命はここらでもう十分、これ以上寿命を延ばす必要はないと考えるか否かにかかっていると言えそうである。
日本の平均寿命は、確かに生物学的に見た限界に近づきつつあるかもしれない。しかし、なお残る課題として「健康寿命」、「生活の質」がある。すでに現実になりつつある超高齢社会において人々が「人間らしく」生きていくためには、今なお膨大なプロダクト・イノベーシヨンを必要としている。超高齢社会においては医療・介護はいうまでもなく、住宅、交通、さらに一本の筆記具から都市まですべてが変わらざるを得ない。それらは、「好むと好まざるとにかかわらず、経済成長を通してのみ実現される。先進国の経済成長を生み出す源泉は、そうしたイノベーシヨンである。
最後に筆者はこういう。「部門(家計、企業、政府)別貯蓄・投資の差額のグラフを見ると、
かつては、家計が貯蓄し、企業は負の貯蓄、つまり借金して投資をしていた。今貯蓄は、、企業が家計をしのぎ日本経済で最大の純貯蓄主体となっている。これは資本主義経済本来の姿と言えるか。企業は時代が変わったという。しかし変わったのは時代でなく、企業ではないのか。
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